第4話
ボタンを押した瞬間目の前が真っ暗になった。何にも見えない。淀んだ空気に体が包まれている。ムワッとして暑い。いつの間にか服を着ている。手で触ってみると上はTシャツで下はジーパンっぽいな。手触りだけでボロボロ感が伝わってくる。Tシャツの袖に鼻を近づけたら、なんかカビ臭いぞ……。うぇぇ。しかもジーパンの尻に穴が開いてるよ。足はサンダルかよ! 初期装備が酷すぎる。さすがにベリーハードモードですな。
この世界は「ハードボイルド近未来世界」だったはず。だけど俺はハードボイルドの意味をほとんど知らない。タフな中年男性がタバコを咥えて、寒々しい街を歩いている。古いアメリカの映画のイメージ。そんな感じかね? 単にキツくて辛いって意味だったら嫌だな。
目が暗闇に慣れてきた。ここは建物の中だ。ガランとしていてだだっ広い。部屋の中にたくさんのデスクと椅子が並んでいる。窓があるので近づいてみる。外も暗い。何も見えないけど、目線の下の方に闇が深い。ここはたぶんオフィスビルの上層階という感じか。
部屋の中に視線を戻した。景色が全体的に薄汚れている。廃墟っぽい。この場所が放置されてから、相当時間が経っていると思う。ベリーハードですね……。
目の前のデスクの上にボロボロの紙が置いてある。何かの書類だ。英文だから内容は分からない。英語の授業もちゃんと受けていればよかったなぁ。英文は読めないけど書類に日付が入っている。
2143/9/15
マジかよ、スゲーな。
この書類は相当古そうだから、実際の時代はもっと未来なのかも。少なくとも、俺が生きていた時代から100年以上先という事は分かった。ピカピカで素敵な近未来! という事は無さそうだ。映画とかで見たことがある、ゴチャゴチャして暗い未来の方かもしれないな……。
それにしても暑い! 喉が乾いてきた。だけど飲み水なんて近くにありそうもない。とりあえず部屋の外に出てみるか……。
心臓がバクバクしてきた。ドアを開けたらいきなり敵がいました、みたいなのは止めてくれよ? だけどゲームだったら、そういう展開は普通にあるよね。マジで怖い。
オフィスのドアをゆっくりとスライドさせて開ける。元は自動ドアだったみたいだけど、ギギギと軋んでドアが動いた。暗い廊下を恐る恐る覗きこむ。照明が無いから何にも見えない。怖えー。今この廊下に出て行く勇気は無い。絶対に無理。一旦ドアを閉めよう。
こういう状況を、ゲームだったら何度も経験した事がある。ホラーとかSFとか、それはむしろ俺が好きなジャンルだ。だけどリアルで自分がやるとなると半端無く怖い。暑いし息苦しい。これはゲームじゃない。感覚的に現実世界となんら変わりは無い。
とりあえず朝になるまで待ったほうが良いと思った。重いデスクをギリギリと引っ張ってきて、部屋の隅に小さな四角いスペースを作った。この中に潜って寝よう。
暗闇の中で俺は体を小さく丸める。……寝ている間に敵が部屋に入ってこないよな? 変な虫が寄ってくるとかやめてくれよ? 無理、絶対に眠れないと思いつつ、俺はいつの間にか眠ってしまった。
目が覚めて、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。だけど埃っぽい空気を吸い込んで、ベリーハードに転生した事をすぐに思い出した。はぁ……絶望的だ。机をギギーっと押して外に頭を出した。窓から部屋の中に朝日が差し込んでいる。
窓の外は……うおお! 地面が遠い。やっぱりビルのかなり上の方だ。窓の外にもビルが立ち並んで見える。デザインは未来的だけどやっぱりボロい。半壊しているビルもある。俺がいるこのビルは、突然崩れ落ちたりしないだろうな?
この世界で何があったんだろう。戦争とか大災害とか……いや、そういう事を考えるのは後にしよう。とりあえずこの場所から脱出をしないと。
俺はそろりと部屋の外に出た。敵とか……大丈夫? 廊下にもぼんやりと日が差し込んでいる。薄暗いけどかろうじて辺りの様子が分かる。より明るい方向へ向かって俺は歩いて行く。廊下の隅に赤い小さな機械が置いてあった。これ、消火器かな? なにかに使えるかもしれないから、一応拾っていくか。
自分のサンダルの足音がパタパタと廊下に響く。この消火器……結構重いね。荷物を持てる量も現実と同じかよ。ゲーム的な要素はスキルだけなのか。マップとかヘルプも無いっぽい。これがファンタジー冒険世界だったらだいぶ違うのかもしれない。ああ、イージーモードか、せめてノーマルに行きたかったよな……。
廊下の奥にエレベーターがあった。期待はしてなかったけど、下りのボタンを押しても予想通り反応が無い。まあ例え動いたとしても、廃墟のエレベーターなんて怖くて乗れない。
という事で階段を探す事にする。そして簡単にそれは見つかった。廊下の反対側の端に非常階段があった。壁に73Fと表示がある。マジかよ。くそ! ベリーハードだとしても、初期位置くらい人のいるところにしてくれよな。チュートリアル的なものが少しはあってもいいのではありませんか、神様。
73階から延々と階段を降りるうちに、足がガクガクしてきた。そしてついに1階に到着した。キツい。体力には自信があるのに変な疲れ方をしている。精神的に追い詰められている感じがする。
ビルの出入口はガラス張りだったけど、大きく破壊をされていて簡単に外に出る事が出来た。まだ午前中の早い時間だと思うけれど日差しが凄い。眩しい。暑いし湿度も高い。
ビルの前は結構な大通りになっている。道路標識があって、西新宿という文字が見えた。ということはここは東京か。「近未来」の東京という事か。他に標識が無いか見渡していたら、遠くに人影が見えたような気がした。俺は慌ててビルの柱の後ろに隠れた。消化器を抱きしめてじっとする。超怖い。この荒廃している世界で、他人に見つかったら簡単に殺されるかもしれない。オープンワールドのゲームだと、そういうの結構あるよね。
恐ろしいけど柱の影から再び様子を伺う。マジで人がいた! 遠くに1人。こちらに向かって歩いてくる。突然、背中の方から話し声が聞こえて来た。俺は柱の影に身を潜める。ヤバイ挟まれてる。だけどもう移動は出来ない。俺はできるだけ体を小さくした。
道を歩いてきた3人が、俺が隠れている柱のちょうど前で合流した。うわ、緊張する。息を潜めて耳をすませる。
「どうでした? 金目のものはありました?」
若い男性の声だ。
「ダメだ。タイミングが悪かった。ゴキブリだらけで探し物は無理だな。高円寺あたりまで行ってみたけど、1メートルぐらいの奴に出くわしたよ。命からがら逃げ出してきた」
中年男性の皮肉っぽい笑い声がした。
「このままじゃ借金が……」
若者の困った声。
「んなこたぁ解ってるよ……」
「手ぶらで帰るのはキツイですね。けっこうリスクを負ってきたのに」
「こういう時に暗い顔をしててもしょうがねえだろ? 大人が焦ってたら子供も不安になるだろ」
中年男性がドスのきいた声で言った。
「二人共落ち着いて。今回は大人しく帰りましょう。夜通し歩いたから疲れたわ……」
年配の女性の声がした。
「荷物、持ちますよ」
若者が言った。
「大人しくスラムでごみ拾いしてればよかったな……」
中年男性の声。
「でもそれだと、あの子の薬だって買えないでしょ!」
女性のヒステリックな声。
「だよな……」
中年男性が沈んだ声で言った。そして、3人の声が遠くなって行った。
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