第5話 年下の男の子のワガママを聞いてあげるのも、女の器量だからね
「この階段を見ると、京都に来たって思うよね」
「そんな感傷を抱くほど、思い入れがないです」
「え、本気!? 修学旅行で来たんでしょ?」
「移動時間って急かされるんですよ」
有名な京都駅の大階段だろうと、ゆっくり見ている暇はない。
「風情がないね」
「寺社仏閣より食い気を優先した人が言うことですか?」
「京都の食べ物なんだから、それだって風情の一環。なんだったら、最初に抹茶を堪能しに行く?」
「せっかくですから大階段を昇りましょう」
あ、待って。と言う春海さんは追いかけてくるに任せて、俺はさっさと大階段を昇り始める。
「え、昇るの?」
「そう言いましたよね。階段なんだから昇りますよ」
「じゃあ、私はこっちから行くから、上で会おうね!」
「エスカレーターって、風情の欠片もないじゃないですか……」
そんな俺の苦情はどこ吹く風。春海さんはさっさと大階段の横に据えられたエスカレーターに乗ると、スルスルと登っていく。
その姿を見ていると俺もエスカレーターに乗りたくなるが、それはそれでなんとなく春海さんの手のひらで踊っているような気がするので、えっちらおっちら階段を昇り始めて、すぐに後悔する。なんでこんなに長いんだ。……せめて春海さんにスーツケースだけでも持って行ってもらえばよかった。
「肇君が昇ってくるまでに、東西南北全ての景色を堪能しちゃったよ」
「じゃあ、もう一周付き合ってください」
「うん。いいよ」
いいんかい。
いや、ここでダメって言われたら切り返しようがないから、いいよって言ってくれてありがたいんだけどさ。なんとなく。ほら、ツッコミ待ちな時ってあるし。
「風が気持ちいいよ。夏だからかな」
「花より団子だった人が急に風情を出してきますね」
「京都だから」
「シンプルな理由っていいですよね」
シンプル is ベスト。
言葉は一言ですっきりぱしっと告げるに限る。
「夕焼けにはちょっと早いね」
「ですね」
「大文字焼きを見てみたかったなぁ」
「またの機会ですね」
「また一緒に来ようね」
「……はい」
さらっと当たり前のようにそういうことを言わないで欲しい。反応が遅れた。
「京都タワーと大階段なら、大階段の方が好きだな」
「開放感ありますからね」
「うん、そう。風がある方が気持ちいい。さすが肇君。わかってるね」
「春海さんのことだからですよ。他の女子なら、何考えてるかなんてわかりません」
「……」
「なんすか」
「……」
え、何。なんで急に黙るの。そして黙ったこっちを見ないで欲しい。どうすればいいのか分からなくなる。
「肇君ってさ」
「はい」
「たまにサラッと口説いてくるよね」
「……どういうことですか?」
「え、今のとか。私だけ特別って言ってたじゃん」
「──あ」
言われて把握。これは俺が迂闊だった。だけど、
「春海さんこそ、軽率にそういうこと言うじゃないですか」
「そういうことって?」
「君は私のことをわかってくれてる的なこと」
「え、……あ」
いや、気づいてなかったのかよ!?
何で照れ臭そうにしてるんだよ! それぐらい自覚しといてくださいって。大人なんだから!!
「グルっと見て回ったら宿に行こうか」
「そうしましょう」
これ以上はドツボにハマる。
お互いにそんな予感があったからこそ、そこから先は何もなかったかのように大階段の頂上からの景色を見て回り、なんだかそそくさとした気分で下に降りた。エスカレーターで。
▼
「え。部屋、同じなんですか?」
「当然。他にどうしろって言うの」
「や、なんていうか。さすがに別かなって思ってたので」
「今さらそんな風に思われていたことが私は逆にショックだよ」
いやまあ、そういう側面もあるかもしれないけどさぁ!?
あるじゃん!? 節度とかそういうのが!!
「夕飯までは時間あるし、ちょっとプラプラするか、それともこのままダラダラするか、どうしたい?」
「散歩に行きましょう」
「即答だね」
「せっかくの旅行ですし、嵐山って来たことないですし」
春海さんが取っていた宿は、嵐山のとある旅館だった。
値段を聞くような野暮はしないけど、ぱっと見た感じそこそこするんじゃなかろうか。
部屋に入った瞬間の畳のにおいと言い、襖や障子の感じと言い、思い描く京都のイメージそのままな、いい部屋だった。
「私的には早速温泉を堪能するのもいいと思っているんだけど?」
「俺的には少しでも多く観光名所を巡りたいです。渡月橋に行きましょうよ」
「もしかして、はしゃいでる?」
「せっかく旅行に来たのにはしゃがない理由があるんですか?」
旅館の部屋に着いたからだろうか。
これまでどこか現実感がなかった旅が、急にはっきりとした輪郭を示しだした。そしてそれを自覚するのと合わせて、俺のテンションも上がっている。
「温泉はどうせ後でも入るんですし、渡月橋に行きましょう」
「ちょっとゆっくりしたいな~みたいなのは無いの?」
「無いです。春海さんが行きたくないっていうなら、ひとりで行ってきますよ」
「それはダメ。君は私と一緒に行動するの」
「じゃあ、行きましょう」
「しょうがない。年下の男の子のワガママを聞いてあげるのも、女の器量だからね」
「そもそもこの旅が春海さんの思い付きってところに目を閉じれば、そうなるかもしれませんね」
「そういう余計なことは言わなくていいの」
いや、真実ですから。大人なんだから責任の所在ぐらい明確にしておいてください。
「夕飯までの時間だからね」
「わかってますって」
「ちょっと待ってね。準備をするから」
言いつつトートバッグの中身をひっくり返し始める春海さん。
本当に着替えなんかも最低限しか持ってきてないんだと思うと同時に、そういったあれやこれやを当たり前のように見せられていることに、なんともむずがゆさを感じる。
ああ、俺には見せてもいいんだって感じだ。
「肇君はいいの? 準備しなくて」
「スマホと財布を持ってくだけですから」
男子高校生のお手軽さを甘く見てはいけない。
どこに行くにもそれさえあれば十分なのだ。
「男の子って感じだ」
「男の子ですから」
「じゃあ、今のシチュエーションにもドキドキしてる?」
「それはもう通り過ぎました。今は、早く外に出たくてソワソワしてます」
「……うーん。それは残念」
何が? とは聞かない。
聞いてしまえば通り過ぎたドキドキが戻ってきてしまうから。
「準備できたよ。行こうか」
「はい」
空っぽのトートバッグにスマホと財布と、その他細々したものを入れた春海さんは、爽やかに笑いながらそう告げる。
その笑顔を見て思う。
こんな夏休みは、思ってた以上にありかもしれない、と。
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