第2話 私には君しかいなかったの
「あれ、なんかキレイになってる。部屋の中、片づけたの?」
「なんで当たり前のように俺の部屋に入ってきてるんですか。リビングで待っててくださいよ。準備ぐらいすぐに終わらせますから」
「つまらないでしょ、それは」
「さいですか」
つまらない、楽しい。くだらない、おもしろい。
春海さんがそう言った言葉を使うときは、彼女の中でやりたくないこととやりたいことが決まっている。そうなったら何を言ってもムダだってことは、これまでの付き合いで嫌と言うほど痛感している。
「さてと」
「部屋に入ってくるならまだしも、勝手に家探しするのはやめてもらえません!?」
「パスポートはどこかなって思って」
「え、何。旅って海外なの!?」
「ううん。決まってないよ。ただ、選択肢は多い方がいいかなって」
「パスポートは持ってないんで、国内に限定してください」
本当は持ってる。でも、さすがにいきなり海外はないだろう、常識的に考えて。
身内でも何でもない、近所に住む年上の女性と旅に出るって時点で、非常識なのかもしれないけど、そこに関しては目をつぶって欲しい。
「肇君ならそう言うと思ったから、自分の目で確かめるね」
「もうちょっと人の部屋を漁ることに抵抗感を持ってくれない!?」
「あんまり大きい声を出すと近所迷惑だよ」
「非常識な人から常識を説かれるのがこんなに苛立つとは思わなかった!」
この人は間違いなく人生の反面教師だ。
「肇君ってさ」
「なんですか」
「いつからボクサーパンツ派なの?」
「男子高校生の下着事情に目を輝かせるなよ変態」
性別を逆転させて考えろ。一発でアウトだろうがッ!!
「これから一緒に旅をしようって相手のことを知りたいと思うのは、人として当たり前の感覚だと思わない?」
「人として間違ってるくせに言うことは一丁前だな、この人」
「肇君ってたまに生意気だよね」
「春海さんの前だけですよ、こんな態度を取るのは」
会話するだけでこんなにツッコミが必要な人が、そう何人もいて堪るか。
「私しか知らない君の姿って言ったら、少しはロマンスに繋がるかな?」
「今の状況で何を言ってもロマンスの欠片すら見当たらないですね」
「私、今ティーバックなんだ」
「エロスの欠片をかき集めて何をする気ですか」
「今日の肇君もツッコミが冴えてて私は嬉しい。楽しい旅になりそうだね」
こっちは心労と疲労で困憊しそうな旅路になりそうだ。
「ていうか、なんで俺なんですか? 旅行に行きたいなら友達とか誘えばいいじゃないですか」
そう言うと、春海さんはチッチッチと言う舌を鳴らすリズムに合わせて、顔の前で人差し指を振って見せる。キザな名探偵でも気取ってるんだろうか。
「旅行じゃなくて旅だよ、肇君」
「何が違うんですか」
「行き先が決まっているのが旅行、行く当てがないのが旅だよ」
「春海さんの人生みたいですね」
「上手いこと言うね! 確かに人生は果てのない旅って言うよね。今のは私的にポイントが高いよ!」
妙なとこで食いつきいいな。っと、下着って何枚ぐらい持ってればいいんだ?
「で、行き先が決まってないのはいいんですけど、何日ぐらい行くつもりなんですか? ざっくりした予定ぐらいあるんですよね」
「ないよ」
「ないんですか」
「ない」
いや、決め顔で言われても……。仕方ない。とりあえず下着は一週間分ぐらい持っておこう。それ以外の着替えは3、4着ずつぐらいでいいだろう。
「あれ、肇君。なんだか荷造りに夢中になり始めてない?」
「ちょっと静かにしてもらってていいですか? さっさと終わらせちゃいたいんで」
洗面用具は、……旅行用とかも全部洗面所か。取りに行ってこないと。ついでにタオルも何枚か持ってこよう。
「あれあれ、私を置いてどこに行くの?」
「春海さんはそこで待っててください」
「ちょっとちょっと、君を連れていく一番の理由は、私の話し相手になってもらうことなんだから、側にいてもらわないと困るよ」
「いや、知らないですよ、そんなの。大体さっきも言った通り、俺じゃなくて友達を誘えばよかったじゃないですか」
で、なんで春海さんは洗面所まで付いてきてるんだ? すぐなんだから部屋で待ってればいいのに。
「十歳年下の男の子に振り回される感覚も悪くないって思っちゃったよ」
「はいはい。そうですか」
「そういうぞんざいな扱いも新鮮でいいね」
「何言ってんだこの人」
「でも、もうちょっとだけ年上に敬意を払った方が、ポイントは高いよ」
何のポイントだよ。
それ以前に、敬意を持って欲しかったら、ちゃんとした大人の振る舞いを見せて欲しい。切に。
「結構増えたな、荷物」
思わずそう呟いてしまうぐらいにはしっかりした荷造りになってしまった。
春海さんがちゃんと予定を立ててないせいだ。
「肇君、そんなに持っていくの? 大変じゃない?」
「そういう春海さんは?」
「私はこれだけ」
いや、さすがにトートバッグひとつはおかしいだろ。日帰りじゃないんでしょ?
「必要なものがあったら現地調達でいいかなって」
「どれだけお金が有り余ってるんですか」
「いっぱい」
いっぱいか。そうか、いっぱいのお金か。この世で最も素敵な響きの言葉だ。
「あ、大丈夫だよ。エッチな下着はちゃんと入ってるから」
「むしろ一番いらないよな!? いつまで引っ張るんだそのネタ!!」
「──本当にいらない?」
「……いや、いらないでしょう」
一瞬迷ったとか、ないから。そんなことはあり得ないから。
「その言葉の真意は旅先で確かめるとして、準備できたの?」
「ええ、まあ。一通りは」
着替えを詰め込んだせいで、スーツケースがいっぱいになっている。
「それじゃあ、行こうか」
「行くのはもう決定でいいんですけど、なんで俺なんですか?」
さっきも聞いたけど、答えが得られなかった質問を再度ぶつける。納得したいとか、そういうわけじゃない。ただ、知りたいんだ。春海さんが俺を連れ歩こうと思った理由を。
「そんなの簡単だよ。私の友達ってみんな社会人なの」
「春海さんを除いては、ですね」
「そうそう、そうなの」
クソ、皮肉のつもりだったのに、本人が大してダメージを受けてない。
「だからね、いないんだよ。一ヶ月も一緒に旅をしてくれる人なんて。みんな普通に仕事があるから」
「あー」
「長い夏休みって学生の特権でしょ。だから肇君に一緒に行ってもらおうって思ったの」
「ものすごい単純な理由ですね」
「世の中って意外とシンプルなものだよ」
本人はカッコつけたつもりかもしれないが、ダメ大人代表みたいな春海さんが言っても、全然そんなことはない。むしろ世の中なめてんだろって感じだ。
「ということで、肇君の夏休みを貰うことにしたの」
「そんなあっさりと学生の特権を奪わないでくれません!?」
「いいでしょ。ひと夏の思い出が出来るし」
「それは間違いないだろうけど、そうじゃない!」
美人な年上の女性と一ヶ月も旅行なんて言ったら、そりゃ同級生の男子連中は羨ましがるだろうさ。だけど待って聞いてくれ。相手は春海さんだぞ!?
マンションの前で泥酔して倒れてるのを介抱したのが初対面な、出会いからして最悪な人だぞ!?
「あ、なんかよくよく考えれば、この話に乗る必要なんてどこにもない気がしてきた」
「肇君の望むことなら何でもしてあげるよって言っても?」
「そんな安い挑発に乗るほどバカでもありませんので」
「その反応はつまらないよ。もっと会った頃みたいに、『な、何言ってんすか』って照れてくれないと」
「それこそ今さらでしょうに」
これまでの付き合いで、恥じらいなんてものはどこかに消し飛んだっての。
「ま、いいや。じゃあ、行こっか」
「今の会話でそう言い切れる春海さんって、やっぱすごいですよね」
「これからの旅路で、私のすごさはもっと体感することになるよ」
「これ以上めんどうをかけられるのかー。嫌だなー」
「ぶつくさ言わない。ほら、行くよ」
そう言って手を引く春海さんに連れられ、俺は夏の日差しの下へと一歩を踏み出す。
高校二年。一度しかない暑い夏が始まった。……暑すぎて秒で家に帰りたくなったけど。
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