10歳差のふたりは、匂わせ以上ワケあり未満?

藤宮カズキ

第1話 君の夏休みを私に頂戴

「私と一緒に旅に出よう」


……はい?

高校二年の夏休み初日。暑いし休みだし自由だからと、ひたすらにゴロゴロしていたのだ。

そうしたら玄関のインターフォンが鳴り、出てみれば開口一番にそんなことを言われ、俺──阿澄肇(アスミ ハジメ)はわけがわからずにフリーズした。


「どうして固まっているの?」

「どうしてって、ていうか何してるんですか、春海(ハルミ)さんは」

「君を旅に誘いに来た」


一言で言えばマイペース。それが今目の前にいる槻木春海(ツキノキ ハルミ)さんの性格だ。

一見すれば爽やかな美人。ゆるく内巻きになっているボブカットの髪も、さっぱりと整った目鼻立ちも、登校中に電車の中で出勤姿を見かければ、思わず視線を向けてしまうに違いない。

ただ、その完璧すぎる見た目に騙されると、彼女のエキセントリックな性格に面食らうこと受け合いだ。


「とりあえず家に上げてよ」

「なんでですか!?」

「暑いんだよ、外は」


それは知ってる。なぜなら夏だからだ。だが、いきなり家に押し掛けてきた春海さんを上げなければならないのかの答えにはなっていない。


「どういうつもりですか」

「どうって、何が?」

「何もかもが、です。家にいきなり押し掛けてきたり、上げろって言ってきたり」

「だから言ったじゃない。私と一緒に旅に出ようって。君の準備が終わるまでの間、私に外で待ってろって言うの? この炎天下の中で? 倒れちゃうよ」

「なんで俺が旅に出ることは確定なんですか!?」


ん? と考えるような表情をする春海さん。

言われてみてそう言えば、といった反応に、いつもの思い付きかと頭を抱える。思いつくのはいいけど、俺を巻き込まないでくれ。一応、社会人だろうに。


「私のお願いだからかな」

「すごいなあんた!? どこかの国のお姫様か!」


理屈もクソもないじゃん。どういう発想だよ。


「あはは。私がお姫様なわけないでしょ。相変わらず面白いね、肇君は。さすがはあのご両親の息子さんだね」

「『阿澄家は変人一家』みたいな物言い、やめてもらっていいですか」


ご近所付き合いがしにくくなったらどうするんだ。


「ん? 割とこの辺では有名だと思うよ。君たち一家のことは」

「冗談だろ!?」


この大都会東京で!? 地方民から冷たいと言われる東京で、そんな噂が流れるほどのご近所ネットワークが構築されているだと!?

ていうかそんなことより、変り者代表みたいな性格をした春海さんの耳に入るほどの噂だって言うのが、一番ショックだ。


「話題に事欠かないからね、君たち一家は。今だって夏休みに入ったばかりの息子をほったらかして、ご両親は海外出張中なんでしょ?」

「プライバシーもクソもあったもんじゃないな……。なんでうちの事情がそんな筒抜けになってるんだ」


学校もない、親もいない、そんな最高の夏休みが始まったと思っていたのに、まさかのご近所ネットワークに監視されていたとは。


「そんなことよりさ。暑いんだよね、さっきから」

「夏ですしね」

「近所に住む美人なお姉さんに、クーラーの下で麦茶をご馳走するという、男の子的配慮が溢れる対応を見せてもらえると期待してるんだけど?」

「それが人に物を頼む言い方だと思っているなら、社会人失格ですね」


ただの皮肉のつもりだった。いつもいつも俺を振り回す、10歳年上の女性に舐められたくないと告げた一言が、まさか春海さんを加速させるとは思わなかった。

いや、ていうかさ。『社会人失格』って言われたのに、なんでそんなに嬉しそうな顔をしてるの?


「聞いてよ、肇君!」

「なんですか、一体」

「私、社会人失格になった!!」

「……どういうことですか?」


マイペースな春海さんの悪い癖だ。自分の言葉で話してしまうことがよくある。

コミュニケーションなんだから、もっと伝える努力をしてくれと言いたい。


「私、槻木春海は自由業無職です」

「はい?」

「私、槻木春海は自由業無職です」

「繰り返さなくていいです。え、つまり会社をクビになったってこと?」

「失礼な。クビになったんじゃなくて、辞めたんだよ。自分でこう、ターンッて退職届を叩きつけて来たの」

「……マジで?」


クラっと来たのは暑さのせいじゃない。この眩暈は明らかに目の前に立つ女性のせいだ。

ていうか、会社を辞めたことをそんな自慢げに語るなよ、27歳社会人。あ、今は『元』か。『元』社会人。


「え、なんで? 仕事が嫌いだったわけじゃないんですよね?」


これまで事あるたびに話を聞いてたけど、春海さんは別に仕事が嫌いなわけじゃない。むしろ楽しそうに働いていた人だ。うちの両親と同じで、仕事が好きだという、ある意味現代日本じゃ稀有な人種だったはずだ。


「それがどうして辞めるなんてことに」

「ちょっと飽きちゃったんだよね、今の仕事」

「……バカでしょ、それは」

「あ、ひどいな肇君は。10歳も年上のお姉さんに向かってバカだなんて」

「バカにバカと言って何が悪い」


飽きたから仕事を辞めるって、それは違うだろ。子供の習い事じゃないんだぞ!?


「ということで今の私は自由業無職なの」

「妙に清々しく感じたのはそういうことですか」


会社を辞めた解放感でハイになってるだけか。


「ということで肇君。私と一緒に旅に出よう」


そうして話はループする。

そうだった、春海さんは俺をわけのわからないものに誘いに来たんだ。


「嫌ですよ」

「なんで?」

「夏休みだからです。予定があるんですよ、こっちにも」

「ゴロゴロしてただけなのに?」

「なんで知ってるんですか?」

「え、だってSNSで呟いてたでしょ」

「え!? 俺のアカウント知ってるんですか!?」

「うん。ほら」


そう言って春海さんがスマホの画面を見せてくる。

うわ、本当だ。普通にフォローされてる。


「ねえ、肇君」

「はい」

「……ダメ?」


いや、そんな首を傾げておねだりするみたいな言い方されても……。美人だからって、何でも許されるわけじゃないんですよ?


「せっかくのお誘いですけど、やっぱりお断りさせてもらいます。両親もいないのに、家を空けるわけにはいきませんし」

「あ、ご両親からは許可取ってるよ」

「嘘だろ!?」

「ほら」


そう言って春海さんが再びスマホの画面を見せてくる。

『肇君と旅をしてきますね!』という春海さんのラインの後に、間を置かずに押される『OK』のスタンプ×2。

って、秒で了承してんじゃねぇよ! それでも人の親か、あんたらは!!

春海さんもうちの両親も軽すぎだろぉ……。


「両親がOKしても、俺のお小遣いじゃ一ヶ月も旅に出るなんて無理ですよ」

「あ、それなら心配しなくていいよ。今回の旅の費用は私が全部出すから。路銀が尽きたら帰ってくる予定。大体一ヶ月分はあるから、そんな感じ」


めちゃくちゃ現実的だと思ってた断り文句を二つ続けて封殺された!?

ていうか、春海さんって何気に金持ち!? さらっと旅費が全額免除されたんだけど!?


「でもその、友達との約束とかもあるから」


まあ、本当のところは決まった予定なんて無いけど。どうせ適当に集まるだろうから、それでいいかなって。BBQとかは計画したい奴が計画するだろうし。


「君が来てくれないと、せっかくエッチな下着を用意したのに無駄になっちゃうね」

「──ッ」


大丈夫だ。その程度で俺の心が揺れ動くなんてことはない。大体、高校生男子が全員、性欲で動くなんて思わないで欲しい。それは俺たち高校生男子への冒涜だ。


「あの時よりも、エッチな下着なんだけどな」

「春海さん。それは言いっこなしです」


あの時は、あの時のことだけは、禁句だろう。それは、お互いにとってそうだ。


「頑固だね、肇君は」

「真面目なんですよ。何しろ、夏休みの宿題は七月中に終わらせるのが特技ですし」

「あ、そういうこと」

「なんですか?」

「閃いちゃった」

「なにが?」

「頑固で真面目で融通が利かない君が一緒に旅をしてくれる方法」


だからそれが何かを聞いてるっていうか、さすがにそこまで言うことなくない!?


「夏休みの宿題を手伝ってあげるから、君の夏休みを私に頂戴」


なぜかは自分でもわからない。それでもその言葉が殺し文句となり、俺は春海さんからのお願いを了承した。


こうして高校二年の夏。

俺、阿澄肇の夏休みは、槻木春海のものになった。

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