第16話 この世に戻った理由


 細長い通路の先に酒巻とおるが横倒しになっている。

 手足はぴくりとも動かないが、胸はゆっくりと上下していた。

 その周囲を、薄ぼんやりした亡者たちが取り巻き、空中から降下しては、手に手にもった棒のようなものを彼の眠るコンクリートの上に置いていく。木切れのように見えた。

「キャンプファイヤーでもやる気か?」そう聞くと、ももが言った。

「護摩でも焚くつもりかな。でも、よくご覧なさい。あれ本物の木じゃないわよ。亡者たちが持てるんだもの。あの世の木ね」

「そんなのがあるのか」

 豪山は白狼たちの接近にも構わず、そのまま剣を顔の前に立て、またなにか唱え始めた。周囲の空中を亡者たちが激しく周回し、雷獣がさらにその外を守るような形になっていて、容易には近づけない。 


 その時、白狼の耳に小さな声が届いた。

「もし」とかすかな声がしたように思ったが、水泡がはじけるようにふつりと消えた。あたりを見回したが、それらしい相手はいない。

 声は豪山の声よりずっとか細いが、たしかに男の声だった。

 –––– どこかにもう一人いるのか?

 鼻にも耳にも所在はつかめなかった。

 だが、古代の死霊とも違って、変な話だが謙虚な声に感じられた。


「では、そろそろみせてやろうか化け犬。復活の秘儀を」

 準備は整ったのか、ダムの後ろの山になにやら唱えていた豪山が体を入れ替えた。正体のわからぬ亡者たちもこっちを見ながら、暗い口を開けた。ワサワサ、としか言いようのない声らしきものが聞こえた。笑顔と笑い声なのかもしれない。

 左手に呪具を持ち、右手に短剣を握って突っ立つ豪山に、

「そのまえに聞きたい」白狼が声をかけた。「なぜ、酒巻とおるなんだ?」

「さかまき……おお、こやつのことか。見た目以上に間抜けな犬だな。このものは桐丸こと酒匂文吾。わしと二世を……」

「ただ、顔が似ているだけだ」

 馬鹿なことをぬかすとでもいうように、豪山は首をゆらゆらと振った。

「いぬころに教えてもせんないことだが、この者は正しく桐丸の生まれ変わり。そういえば、あの者も歌が上手かったな。しかし、どこの誰とも知らぬ婆どもに聞かせるようなことない。もっと慎みはあった」

「歌手だから仕事だろ」そう言ってから狼は遠慮ない口調で言った。「酒巻さんはこの近くの出身。遠い子孫かもしれない。だが、似てるのは偶然。ただの遺伝子のいたずら。他人のそら似だ。勝手な思い込みで人に迷惑をかけるな」

 遺伝子という単語を知っていたかはともかく、言い草がよほど不愉快だったのか、どこか手際を誇るかのようだった豪山の顔から表情が消えた。


 彼はだまったまま、呪具をつかんだ掌を向けたが、狼の金色の眼と視線を合わせると、「む」と目を逸らして動きを途中で止めた。病院で念動力が跳ね返ったのを思い出したようだ。

 豪山はあらためて反対側の手をあげ、殴りつけるように振り下ろした。白狼の背後のモルタルが爆ぜ、破片が飛んできた。

「おっと」白狼が避けると、今度は波のような水しぶきがかかった。

 さきほどから静かに渦巻いていたダムの湖水が、うずしおのように黒く勢いよく暴れ始め、ついには巨大な水蛇のようにうねって行く手を阻んだ。

 同時に空から立て続けに落雷があった。

「もう、むちゃくちゃだ」

 水しぶきを避けながら、とっさに腹の下に夜雀二羽を隠す。

「あらっ、ありがとう」「まあ、すごくうれしい」二羽が騒がしく喜んだ。

「つかまって」いったん体勢を整えようと、二羽を抱えたまま白狼は天端を駆けた。しかし移動する先々を小さな落雷が絶え間なく襲い、嵐の日に沖に出た船のみたいに水しぶきに叩かれっぱなしになった。

 

 勢いの鈍った狼を五、六匹の雷獣が取り囲んだ。

「どけっ」

 しかし、猫より尖った顔から歯を剥き出し、雷獣たちは耳障りな声で吠えかかる。白狼が前足を振るって追い払おうとするとひとまず下がり、代わりに矢のように雷をぶつけてくる。なかなかの喧嘩上手だ。

 敵が多すぎるから、とにかく各個撃破するしかない。そう考え、ひとまず夜雀たちを下ろそうと足を止めると、ついに何匹かが牙を閃かせ、あっちから突っ込んできた。

 眼前に剥き出しの牙が迫った。

 白狼は瞬間的に前足を人の手へと変え、襲撃してきたうち最も大きいのを力任せに掴んだ。猫よりは硬く、筋肉質な感触が伝わってきた。

 身動きできなくなった雷獣は、じたばたと悶えつつ白狼の手を噛んだが、逆に歯が折れてしまった。稲光がほとばしり、視界が真っ白になる。

 狼は気にせず口を大きく開け、捕まえた雷獣の頭を口の中に入れ、牙で噛み砕く寸前に止めて思いっきり咆哮した。

 自分でも感心するほどものすごい声が出た。

 すると、抵抗していた雷獣の体から急に力が抜けた。気を失ったのだ。白狼は、くたっとなった雷獣を見てうなずき、掴んでいた身体をそっと地面に下ろした。顔を上げると、そばにいた雷獣がみな天端の上に腹を見せて転がっていた。こいつらも咆哮で気絶してくれたようだ。

「ほほほほほ」「きゃあ、ステキっ」と夜雀たちの歓声が聞こえた。


 残りの連中は、と思って目をやると、ダムのあちこちから気配が伝わってきた。さらに雷獣が増えている。

 ぎょっとしたが、どれもこちらにはやってこなかった。数匹が気絶した仲間を救出にきたほかは、もぞもぞとダムの一角へと移動し、中央にいた一際大きく灰色の毛をした雷獣の周囲にに小さくまとまった。

 総攻撃を仕掛けてくるのかと身構えても、なにもない。

 ありがたいことにゴロゴロと鳴りっぱなしだった雷はぱったりとやみ、雨も風も徐々に弱まっていった。


 それを見て、夜雀二羽はまっすぐ豪山に向かってとんだ。

 雨は止んだが、ダム湖の渦は勢いを増していた。そのうねりの真ん中に、ほんの一瞬だが湖底らしきものがのぞいた。湖面が揺れ、巻き上がった渦巻がすさまじい水しぶきを飛ばしている。その中を嬉しそうに亡者たちが飛び回っている。湖面を睨み付けながら呪文に集中していた豪山だが、さっきの木片の上に青白い炎が次々に灯り、その炎が合わさって細く長く天へと燃え上がっていくのを確かめると、

「おおっ」と、喜びの声を上げた。


「おおかみちゃん、援護お願い」

 ももの声に、白狼は濡れたコンクリートの上をまっすぐ駆けた。こっちに気づいた亡者たちが騒ぎ立て、豪山はそこらの石をぶつけてきた。それを左右に飛んで避けながら、体当たりを仕掛けた。

 とっさにかわした豪山だったが、体勢を大きく崩した。通り過ぎた白狼が、ダムの手摺を足場にして身体を反転させたところに、

「おのれっ、許さんっ」と怒号が聞こえた。

 ももとさくらが、安西=豪山の下げていたはずの鎖を二つのクチバシにひっかけ、夜空に飛び上がった。集まってきた亡者どもを、二羽は鎖をぶらさげたまま、ひらりひらりと避けて飛び回る。

 豪山が手を伸ばし、例の念動力を夜雀たちにぶつけようとした。いったんは器用に避けた二羽だったが、下げていた呪具が弾かれてしまった。くちばしを離れた呪具は宙を飛び、小さな音を立ててダム湖の水面に消えた。

「くそっ」

 亡者たちを集め、豪山も自ら空中に飛び上がった。湖水に落ちた呪具を拾おうとするのだろう。


 空中の豪山へ体当たりジャンプを目論んだ白狼が、背中を撓めて飛び出そうとしたとたん、

「まって」

 強く引き止められた。声ではない。待ってほしいと訴えかける意識が直接、頭に響いた。いったん飛び上がった狼は、すぐにまたダムの上へと着地した。


 すると、呪具が水中に落ちてしまったにもかかわらず、暗かったあたりが青白い炎によって明るく照らし出されていた。眠る酒巻とおるの上に、ぼんやりしたなにが浮かんでは消えた。

「桐丸っ」夜雀も白狼も忘れたかのように豪山は必死で叫んだ。「その者の体を使ってここに蘇れ」


 いったん全ての炎がかき消すように消えた。暗闇がダムの上を覆った。

 数秒ののち、酒巻を囲むように冷たい氷のような青白い光が広がり、その中にまた白いものが浮かんだ。 

「桐丸、戻ったか」豪山の悲鳴のような声がダムに響いた。

 次第に輪郭がはっきりし、人だとわかるほどになった。浮かび上がったのは若い男だ。たしかに、酒巻と顔も体つきもよく似ていて、美男といっていいほどなのに、受ける印象はまったく違った。

 つらく、悲しそうな表情が顔を覆っている。


 酒巻とおるの体の上空に浮かび上がった青白い人影の前に、よろめくように豪山はやってきた。そして相手を見上げ、両手を広げるとかすれ声を張り上げた。

「よう戻った、よう生き返った。すべての望みはこれからはじまる。犬め、みたか。わしを邪魔したおろかなものどもよ、みたか。さあ、桐丸。我ととともに、骨の髄まで思い知らせてやろうではないか」


 だが、桐丸こと酒匂文吾は首を横に振った。そして、か細いがはっきりと理解できる声で言った。

「ここに惨めな姿をさらしたのは、生き返るためなどではない。あさましや、豪山さま」

 驚愕の表情になった安西=豪山を尻目に、酒匂はいったんかき消すように消えた。

 そして、白狼のそばにぼんやりと姿を現わすと、

 「おそれながら、お尋ね申し上げます」と、白狼だけに聞こえるようにささやいた。

 「豪山を誅せず生かしておられるのは、あの者がうばった体をお気遣いのためでは」

 「まあ、そうなります」

 「ならば、彼の男の心の臓を、ひしとお叩きくださいますよう」

 「心臓を?」

 「人の胸に宿って身を奪い取るは豪山の得意とした妖術。かつて奴がそう漏らしたのを耳にしました。あなた様のお力なら、あの者の術を破り、邪気を払えるはず」

 このことを伝えるためにこの世に戻った。無礼は許して欲しい。そういう意味の言葉をつぶやくと酒匂文吾は寂しげな顔で微笑み、黙礼した。

 そして白狼と夜雀が見守る中、白い像がゆらゆらと揺れたかと思うと、酒匂は消えた。


 「おのれ犬っ、嬲り殺しにしてやるわ」我にかえった豪山は、絶叫するなり黒い霧と白い亡者を従え、空中に跳ね上がって高所から攻撃を仕掛けてくる。念動力を直接当てると跳ね返されると見たのか、石塊やらコンクリート片を持ち上げては次々と投じる間接的な技をふるいはじめた。

「大切なダムを傷つけるなっ」と白狼は怒ったが、かえって効果ありと見たのか、豪山は湖面に浮いたまま、走り回って避ける白狼を笑いつつ、休まずさまざまな重量物をぶつけようとする。

 自在に宙を飛ぶ豪山に、空を飛べない白狼は押されているように見えた。しかし、白狼は天端をジグザグに走って相手を引き寄せると、水際にある取水塔を駆け上って空中に飛び出し、湖上に浮かんだ豪山に飛びかかった。

 思わぬ反撃に豪山は剣を立てて防いだが、白狼はそれをかいくぐって、さっき言われた通り左胸を一撃した。

 二人はそのまま一緒に水面に落下し、暗い湖面に大きな水しぶきが上がった。

 夜雀が忙しく湖水の上を飛び回っている。

 豪山が水に落ちると、亡者たちの姿もかき消すようになくなった。

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