第15話 笑う逃走
白狼の姿のままのタケルは、騒ぎの中心へと飛び込もうと試みた。
だが、牙の生えた巨大な狼が飛び込んだら、起こるパニックは骸骨ダンスどころではすまない。
ひとたび白狼となれば、こちらに見せるつもりがなければ、人の目では容易には捉えられないと夜雀に聞いた。だからといって、これだけ大勢の中に躍り込むのは勇気がいる。
(えい、ヤケクソだ)いま、会場の前は異様な地響きが起こって人々がうろたえはじめている。とにかく騒ぎに乗じて素早く敵の首根っこを捕まえ、どこか人のいない場所に拉致するしかなさそうだ。
四足歩行になったタケルが突撃を決めて身構えたとたん、文字通り大地が揺れた。周囲に続けざまに小さな火柱が上がり、何が起こっているか把握できない。雷獣の仕業だろう。
しかし、パニックになるかと思ったファンたちの動きが鈍い。顔つきはこの前の病院の職員たちと同様、ぽかんとしている。雷獣の仕業だ。人々は、すでに夢の世界に半ば身を浸し、豪山の邪魔をしないように仕向けられていた。
「わしと来い、お前の運命を教えてやる」
豪山が言うと彼の周囲に黒い霧がゆっくり渦を巻いた。口を開けたままの酒巻とおるが亡者たちに捕り、黒い渦といっしょに廻りはじめた。
「え、え、えええーっ」さすがにあげる悲鳴も、声量は豊かだった。
ようやく悲鳴が耳に届いたのか、黒Tシャツの付き人のうち、ひときわ体格のいい一人が空に浮いた酒巻とおるの腰を捕まえようとした。だが、銀色の光が彼の近くに何本もつきささり、付き人は地面に頭を抱えて伏せた。
三、四匹の雷獣が豪山の横で吠えている。笑っているのかもしれない。
安西=豪山に飛びかかるつもりの白狼が前に出るとその瞬間、足元にまばゆい銀色の帯が突き刺さり地面が焦げた。
「おお、この前の化犬か。今宵はすっかり犬ころだな」
豪山は余裕を見せると、「それ、存分にやってくれ」と手を上げた。その直後、輝く光の矢がついに白狼を直撃した。
「痛っ」
だが、ぎゅっと閉じた目を恐る恐る開くと、狼の白い体毛がやや逆立っているほかは火傷も痛みもないし、痺れたりもしていない。
三匹いた雷獣が続けて短く吠え、また銀色の帯が白狼を襲った。今度は五発、六発と雷は威勢よく続き、豪山の高笑いがした。
しかし、白狼にはなんの変化もない。
目に見えない装甲板の上を弾がすべるように、雷光は狼の体をさけて地に落ちていく。ついに雷獣たちは前にでて、残光によって視界が真っ白になるほどたくさんの雷を呼びぶつけてきたが、白狼は一度首をぶるっと振っただけで、雷獣たちを金色の眼で睨んだ。
じりっと雷獣たちがあとずさりした。動揺している。どんな理屈かは知らないが、と白狼に雷は効かないようだ。
(ああ、助かった)
見た目の威厳とはうらはらに、タケルの内心は安堵に包まれた。
「チッ」形勢不利と見たのか、豪山は首に下げた呪具を片手で握り、残った手を宙に差し上げ大きく回した。
地響きとともに足元が揺れると、ゆるやかだったさっきの黒い渦が気を失ったらしい酒巻と亡者たちを巻き込み、激しく回転しはじめた。駆け寄ろうとした狼の足元に雷が乱れ飛び、足止めされるうちに黒い渦は夜空に駆け上がった。
「あっ、飛んだ」我ながら間抜けだと思いつつ、白狼は夜空を見上げた。哄笑を響かせながら、豪山は見る見る小さくなって行き、暗い闇に消えた。
「あらまあ、二十面相みたい」ももが言った。ホール前に集まった大勢の客たちは、ただぼんやりとたたずんでいる。先日の病院で起こった現象と同じだった。
「逃げられた。狼は飛べない?」白狼が聞くと、
「聞いたことないわねえ」ももが答えた。「けど、翼があるっていいことばかりじゃないのよ。タッチパネルなんて使いにくくて仕方ない」
「どうすれば跡を追える?」
「立派なお鼻を使うのよ。とにかく、あの歌のうまい兄さんは助けないと」
「それに、行き先はわかってる」さくらが断言した。「復活の儀式をやるつもりね。そこを使って」
「えっ、どこですか」
「この先のダムよ。南条妙義谷ダム」
最初に目的地を遠望した際は、ダムの遠さと結構ある高度に驚かされたが、四本足の白狼なら、一飛びで十数メートルは距離をかせげるのがわかり、やや安心した。
電柱や木立など、白狼は高いところを結ぶように飛び続け、眼前に大きな灰色の構造物が見えるところまでたどりついた。妙義谷ダムだ。
「このあたりまできたら、においで跡をたどれるかしら?」さくらが尋ねたが、狼は黙ってうなずくと鉄の門扉を乗り越え、遡上するようにながれてくるにおいをたどっていく、罠でなければ連中はダムの最上部にいるはずだ。あたりのにおいを嗅ぐ白狼を見て、「ミイラにイタチもどきなんて、さぞ嫌なにおいでしょうね」とももが言った。「わたしたちの鼻があなたみたい効かなくてよかった」
「ミイラのは、ぼんやりとしかわからない。でもひとつだけ、跡を追えるほどはっきりしたにおいがある。酒巻とおるの香水だと思う」
「あらっ、さすがおばさまのアイドル。身だしなみは完璧ね」
逆に聞いた。「でも、どうしてここに逃げたとわかった?」
「図書館に潜り込んでつれづれに資料を見てたら」問いにさくらが答えた。「このあたりに昔、寺があったのがわかった。建立されたのは豪山のお父さんが領主としてこの地を治めていた時期ね。でも、ほんの数年で寺の名称は変わり、あとに大きな塔が建てられた。ただそれだけの話なんだけど、これは故郷に戻った豪山のために建てられた寺じゃないかとにらんだの」
「つまり、あいつの事務所跡か」
「ええ。あとはただの推測に過ぎないけど、豪山は最初からここを隠し芸である外法の儀式に適した場所として選んだのじゃないかな。だって、領主の息子用の寺にしては立地がよくないでしょ。ここは日の入りが見えて、湿気や死んだ人の念が自然と集まってくるような場所。それで塔は、豪山を鎮めるためにお兄さん、またはその子孫が建てた」
「寺の場所が正確にはわかる?」
「それがどうやら、ダムの湖水の下」
天端と呼ばれるダムの最上部は、橋のようになっていて人が上を歩ける。
いまのところ、何もいないように見えるが、狼になって高みから観察しているタケルには、もちろん小さな獣があちこちに潜んでいるのはわかった。
彼らがダムのそばに到着した途端、小雨が降り出して脅すように雷鳴があたりに轟いた。
「ほほ、やっぱり伏兵ありね」ももが感想を述べた。まったく恐れていないのはいいが、めぼしい策もないらしい。
半ばやけくそになり、白狼は堂々とコンクリートの天端へと飛び降りた。
雨の中であっても狼の目と鼻と耳は情報を伝えてくれる。気配を分析すると、雷獣が少なくとも十二、三匹まで増えていることになる。
(いったい、何匹いるんだ?)
別の妖怪まで呼ばれていたらやっかいなので、耳をすませた。雨の音を通してかすかな心音が聞こえてくる。豪山ともうひとり。酒巻とおるだろう。
いや、彼らの近くには、心音こそしないが重苦しい気配がひそんでいる。さっきからの黒い霧は、こいつが発しているのだろうか、と思ったりした。生き物というよりも、意思を持った器のような動きのない気配。
四つ足のまま、狼はダムをゆっくり歩いた。腹が決まれば、雨に打たれるのも悪くない気分だ。雷獣たちの間に緊張が走るのがわかった。
雷獣たちがすぐに襲ってこないのは、狼の爪と牙を恐れているのだろう。体重差はあるし、本気でこの強靭な手足を振り回せば、たとえ魔力を持つ雷獣であろうがティッシュペーパーの箱を潰すみたいに粉砕してしまえそうだ。
雷獣たちがどこまでこっちの正体を知っているかはわからないが、戦闘力の差は心得ているようだった。
–––– と、いうことは罠とか作戦を用意していてもおかしくない。
慎重に振る舞おう。できることなら争いたくはないが、放置もできない。
雷獣の群れの先、美しい直線を描いている天端の反対側に僧はいた。
風になぶられながら、ゆったりと立っている。しかし、雨は彼の付近には降っていない。
周りの雷獣たちになにかささやいてから、豪山は天を仰いで叫びはじめた。タケルには理解のできない呪文だった。足元にいるのは、間違いない。気を失った酒巻とおるだ。
「あれはなにをする気だ」タケルはやってきた夜雀たちに聞いた。狼になっていると、ぶっきらぼうな口調となる。どうもお喋りには、向いていないようだ。
「刀を出したぞ」愚心は、短剣を片手に掴んでいた。日本刀ではない。
「生贄を捧げるつもりかしら」とさくらが言った。「でも、あの歌手が死んだら、元も子もないわね」
「おお、化犬に病みスズメよ。無事に日も沈んだ。見るがいい」
安西=豪山が顔を上げた。気味の悪い笑みが浮かんでいる。
「その男を、生贄にするつもりか」白狼が聞いた。
「贄だと。違うな」豪山は喉を鳴らした。「この者の中から、まことの桐丸を引き出させるのだ」一斉に周囲にいた亡者たちが笑った。日の落ちた、人外しかいないダムで亡者たちの笑いを聞いているのは、あまり楽しくはなかった。それに亡者たちまで頭数に入れると、敵との数の差は3対50ぐらいある。
「我らは離れ得ぬさだめのもとに生まれた。なのにこの者は、わしの捕縛に手を貸したばかりか、自ら首を刎ねて死んだ。おろかな振る舞いだ。賢い男のはずだったのにな」
目を閉じたままの酒巻とおるを、安西=豪山はじっとみつめた。有力武将の子として生まれ、学僧として将来を嘱望されたという彼だから、かつては品のある賢げな容姿だったのかもしれないが、頬がこけ、唇の荒れた表情は安西先生でもかつての豪山でもなく、怪人へと成り果ててしまってる。その顔に浮かぶ感情も、愛なのか憎しみなのかもよくわからない。
「長い間眠る羽目となったが、時はわしに味方した。蘇る力を得たばかりか、さらなる高みにたつ知恵を、技を与えた」自慢げに顎を上げ、爪の長い指で胸元をなでた。下げられていた装身具が鈍く光った。
「博物館にいたのがラッキーだったって言いたいらしいわ」
「?」タケルの疑問に、足元で雨宿りしている夜雀たちが口々に答えた。
「あの外国製呪具を使って強制的に彼氏を転生させるつもりと見た。よその国の技術とコラボするなんて、面白い」
「そんなこと、できるのか」
「わからない。でも、やる気は十分よ。歌のお兄さんも、イケメンに生まれたばっかりに災難に巻き込まれちゃって。タケルさん、あなたも気をつけなさいよ」
「犬、そこでよっく見ておれ」彼は短剣を天に差し上げた。「時は満ちた。まず、この者を目覚めさせよう。それがすめば、相手をしてやってもよいぞ。それまでは、雷獣どもに任せるとするか」
雨音の中に、僧の哄笑が響いた。薄ぼんやりした亡者たちの首も、同じように笑った。さっきからかすかにあった地響きが、一挙に耳につき出した。暗い人工湖の水面がゆっくりと渦をまきはじめたのがわかる。
水面が徐々に盛り上がってきた。
「お洗濯をするつもりではなさそうね」ももが言った。「豪山にこんな力があるなんて、びっくりよ。あの首飾りのせいかしら」
「まさか、湖の水を抜いて寺を探すつもりか?」白狼が聞いた。
「そんなテレビ番組あったわね」
「水の行き先は?」
「あらたいへん。川が氾濫したら下流が水浸しよ。これがほんとの寝耳に水」
夜雀二羽は宙に飛び出し、白狼も走ってその後を追った。
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