第13話 告白

 コーヒーショップの椅子に腰掛けたままの自分に、人影が迷わず歩み寄ってきた。その顔の若さに樹は少なからず驚かされた。


 実家の花農園のお向かいさんは果樹園であり、両親ともすこぶる仲がいい。その関係者が今日、届け物にくるとは母親から知らされていた。だが樹はなんとなく、所帯じみた中年の男がくると想像していた。あるいは首の太い、よく日焼けした働き者っぽい壮年。襟首にタオルを巻いて、後ろ半分がメッシュの野球帽をかぶってたりするのだ。

 しかし、出現したのはどちらともほど遠く、どう見ても十代の少年だった。

 どうやら知らず知らずのうちに、人生を悲観的に予測するくせがついていたようだ。

 

 さらに思いがけないことに、少年はなかなかというか相当というか端正な容姿の持ち主だった。日本人離れした長い手足、白くつややかな肌。賢そうな瞳。警戒し睨むふりをして、こっそり観察してしまった。とおる様とはタイプは違えど、目の保養にはなる。

 彼は無駄のない身のこなしで樹の向いの席につくと、まず樹が図録をすばやく手配したことについて、丁寧な礼を言った。

(あ、この子の依頼だったのか)本好きっぽい雰囲気はするので、納得はした。

 

 だがこの前見た映画では、真の敵は友の顔をしてやってきた。この天使のような少年こそ権力に派遣された罠かもしれない、との考えが樹の頭に明滅した。それに、こんなかわいい男の子になら、脅される前にこっちから注文を取りに行ってしまいそうだ。ある種のハニートラップだったりして。

「きみ、政府に雇われて口封じにきたわけじゃないよね」冗談半分、本気半分で聞いた樹に少年は言った。

「学校は、アルバイト禁止なんです」

「そうか。バイト代だって渋そうだしね」

 少年は、相手が冗談の通じない不機嫌な女ではないと理解したのか、樹にやわらかく微笑みかけた。その屈託のない表情に樹もまた気分が軽くなった。

 秋山タケルと名乗った少年は、自分もまた先日までこの病院に入院していたと話した。ICUにもいたそうだ。急に親近感の湧いた樹は、自分が入院した経緯について、彼女の被った災難を少しだけ明かす形で話してみた。

 少年は真剣な顔で樹の言葉に耳を傾けた。世辞や追従ではなく、彼女の身に降りかかった奇談に本気で関心があるようだ。

(そりゃ、高校生ならホラー話は好物よね)最初はそう思ったりしたが、しばらく会話を続けるうち、そのイケメンぶりに幻惑された分を差っ引いても、信頼できる誠実さのようなものが胸に伝わってくるように思えた。

 (やっぱり、この子が『最初に会う知らない人』かも)

 それに、まさかこんなスレンダーな少年が呪いを肩代わりするわけでもあるまい。樹は、封印していたあの日あった出来事を、自分から口にした。


 いったんはじめると樹は休まず、ひたすらに語り続けた。突然に棺が落下し、それにぶっ飛ばされた安西先生が即身仏に触れ、それから悪鬼に変じて若いテレビクルーの血を飲んだこと。展示品の小さな箱を宝物のようにうやうやしく自分の懐に入れたこと。しきりに誰かを生き返らせるとかひとつになりたいとか口走り、どうやらそれは桐丸という人物に対してらしいこと。

 少年は余計な口をはさまず、樹の荒唐無稽な言葉を、終始真剣な顔をしてうなずきつつ聞いた。そしてスマホの争奪戦について話すとようやく、

「酒巻とおるの写真を、じっと見つめていたのですか」と話した。

「うん。好みのタイプが私と同じだってのは、複雑な気持ちだな」

「酒巻さんって、たしかこの近くの生まれでしたね」

「今日、コンサートのある南條市なの。妙義谷って鎌倉時代に遡る歴史のある地域があって、彼の一族はそこの郷士だったそうなんだけど、集落自体は開発によって無くなっちゃった。故郷を詠ったロストメモリーって歌、なかなかいいよ」

 ついでに樹が曲を口ずさんだところ、少年は嫌な顔もせず聞いてくれた。


 こわばっていた気持ちがほぐれるにつれ、樹は目の前の高校生を相手に、先日来どうしても頭から離れない悩みを口にしてしまった。

「私が余計なことをしたせいで、ふたりも犠牲になってしまったんだ」

「それは、佐久間さんの責任ではないのでは?」

「ありがとう。でも頭から離れない。大怪我をしたのは副館長ともうひとり。詳しくはいわないけど、もうひとりなんて名前も知らない。ただ毎日挨拶してただけの間柄よ。なのに、私を庇ってひどい目にあった。一体どうして、こんなに親切にしてもらえたのかな。考えてもよくわからない。この私にそんな価値なんてないのにね」

「……」 

「言ったらなんだけど、余計なお節介だった。放っておいてくれたらよかったのに。私のせいで怪我なんてさせたくなかったよ。あれはやっぱり、夢であってほしいよ」

 胸の底にある蓋が勝手に開き、中に渦巻いていたものが溢れ出たように感じた。まさか自分にこんな感情があったとは。口に出すまで自覚すらしていなかった。高校生相手になに馬鹿な告白してるんだろう。

 正面を向いていると涙が溢れてしまうので、樹は天井に顔をあげたままにした。少し落ち着いてから、樹はまた言った。

 

「キミはまだ若いし、こんな情けない思いは縁がないよね。まさか、親切にしてもらったせいで自分がこんな苦しい気持ちになるなんて、考えてもみなかった」赤い鼻をした樹は無理に笑った。

「ごめん、変なこと聞かせて。一人でいる時間が長いものだから、考えすぎて疲れてしまったのかもね」

 

 しばらくすると、目の前の少年は慎重に言葉を発した。「僕はガキですが、似た話を知っています。以前、僕自身の身の上に起こったことです。長く複雑なのでこれ以上話しませんが、親切にした人に明確な理由なんてない気がします」

 目の前の少年は、ひどくやさしい表情をしていた。。

「そうか」樹はうなずいた。「そうだよね。高校生でもいろいろあるよね。悪かったね、見くびったようなこと言って」

「いいえ」

「そうか。じゃあさ、経過は聞かないから結論だけ教えてよ。関係ない人に親切にされて、困ったりしなかった?」

「結論だけいうと、そのお節介のおかげで僕は生きてここにいます」


 しゃべり終えてぼんやりしてしまった樹に、少年は丁重に礼を言った。

 そして彼女に叔母からだと紙袋を渡すと、もう一度頭を下げた。

「ねえ」と、樹は言った。「さっきの親切だけど。お返しはできた?」

「いいえ。まだ全然。ただ、僕もあまり関係ない人に親切になれるよう、努力しなくちゃなあって思っています。難しいけど」


 そういってタケルは去っていった。高校生の足の長い後ろ姿を見送った樹は、行儀が悪いと知りつつ見舞いの中身を透かしみた。見覚えあるロゴがうっすらと見えた。

 もしかすると、これはかの「プティルー」の贈答セットではあるまいか。好奇心を抱き購入を検討したが、高価なため中止したことはあった。

 お向かいの果樹園が、プティルーとつながりがあるのは聞いていた。お見舞い兼コンサート入場券のお礼なのかもしれないが、

(こんなに高いもの、ちょっとまずいかも)と思い直し、少年を追いかけようとした樹は、途中で立ち止まった。

 –––– いいじゃない。もらっておきなさいよ。食べたら元気も出るわ。

 室内なのにそよ風が吹いて、だれかにそう言われた気がしたからだ。

 砂漠の美女の声ではなかった気もするが、雰囲気は似ていた。

 そういや、プティルーって、チビ狼って意味だよな。けものだね。なんとなく、平仄はあっている。

(悪いこと続きだったから、たまに良いことがあってもいいかな)

 樹はそう考え直し、ずっしり重い紙袋を揺すり上げた。



 病院の大きなドアから出てバス停に向かう途中、角にある公共掲示板がタケルの目を引いた。

 頭のどこかで金属音が鳴ったような気がする。

 そこには羽織袴に身を包んだ酒巻とおるが笑っていた。斜め下に同じ人物が派手な洋服を着ている写真が配置されているのは、舞台劇と歌謡ステージの二部構成のためらしい。

 彼のコンサートを告知するポスターである。地元出身の人気歌手が全国ツアーの皮切りに故郷を選んだのは自治体にとっても誇らしいのか、市中のあちこちに同じものが貼ってある。スケジュールを見ると、午前の部はすでに終わっていて、あとは午後の部だけだ。

(これに行くのを、佐久間さんはあきらめたのか)

 佐久間樹は、安西先生が酒巻とおるの顔の写り込んだスマホに強く関心を示したと言っていた。さらに、安西先生はこの近くにある公園の一角にしばらくじっとしていたという。安西先生こと豪山は、これと同じポスターの前にいたのではないだろうか。


 スズメの鳴く声に続き、

「人の良さそうな娘だったわね」と声がした。

「あっ、ももさん」

「けど、よく気がついたじゃない。あの娘こそ、まさに目撃者であり古代の美女に救われた当人よ」

「もうひとつ、大事なことに気がついたように思うんですが」

 すると、小さく黒い鳥が一羽飛んできた。さくらだ。

「夜明け前、山の方に向かって怪しい瘴気をまとった男が移動したとの情報を仲間が教えにきてくれたわ。ちょっと遅れたのは馬鹿なトンビが邪魔したせいなの。ヤキを入れてやったわ。二度とスズメに嘴を出さない」

「…ト、トンビ?ヤキ?」

「スズメたち、ITが使えないのだけが不便よね」ももが言った。


 人目につく掲示板の前でスズメとしゃべるわけにもいかず、一行は木陰に隠れてから相談を続けた。

「目的地は、南条文化センターではないでしょうか」とタケルは自分の推理を説明した。「生まれ変わりかどうかは知りませんが、酒巻とおるは、即身仏が誤解するほどには桐丸って人に似ているのかも」

「どんな顔?」

 昨日、手に入れたばかりのスマホをタケルは取り出した。

「よかったね、スマホ買ってもらって」

「親からも持てって言われたものですから」

「それで女の子の連絡先は入ってるの?」

「姉と母なら」

「ダメねえ」


 なんとか検索した画像をタケルは、ももとさくらに示した。

「これが酒巻とおるです」

 二羽は、スマホを前にハチドリのように器用にホバリングして画面を見た。知らない人間が目にすれば、動画サイトに投稿しそうな光景である。

「あら、この子だったの」と、ももが言った。「見覚えがある。たしか朝ドラに出てたわよ。あたし、演歌番組はあまり見ないから」

「桐丸に似てるかはともかく、首が細いし色気はあるし、小姓が似合う感じはするわね。目がとても大きく見えるのはメイクのせいかな」

「可愛いじゃない。病んだ坊主が血迷うのもわかる」

「でも、タケルさんのほうがいい男よ」

「そうね、狼ちゃんには品がある」

「ありがとうございます。それで、僕は追いかけた方がいいでしょうか」

 あと少しで午後の公演がはじまる時刻だった。ただし、午前中から襲われていなければの話だが。

「会場に乗り込んで、まず説得するというのは、どうでしょう」とタケルが言うと、「とめはしないけど、人の心を無くしたからこそ、魔物と化したのを忘れてはダメよ」

 冷静な返事が帰ってきた。「奴の頭の中は妄念が渦巻いて、同情心もなければ論理的な思考もできない。コンサートをまだ襲っていないとしても、それには理由がある。あるいは可愛いホトトギスが唄う姿をただ愛でてるだけかもしれない。飽きれば躊躇せず襲って、その血を啜るでしょうね」タケルは黙り込んだ。

 

「とにかく、様子を見にいきましょう」

「それしかないわね」

 だが、今いる大学病院前から会場の南条文化センターまではアクセスがよくなく、電車だと複数の乗り換えが必要となる。バスに乗っても直通はなく、こちらもたっぷり一時間以上かかる。

「ぼく、タクシー代を持ってません」

「こうなったら、自力で解決してもらうしかないわね。マラソンよ」

 タケルに走れというのだ。

「えっ。誰に見られるかわからないじゃないですか」

「狩衣になれば、大丈夫。人にもカメラにも、白い影が揺れたようにしか認識できない」

「道を知りませんよ」

「あたしたちがついてるじゃない。それに、とっても便利なスマホだってあるし」

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