第11話 消えた教授
木立を抜け、茂みを一気に突っ切ると草が千切れ、青いにおいが強く感じられた。
白い狼の姿になったタケルは、きつい傾斜を風のように駆け下りて、今度は先にある坂の上を目指した。一気に駆け上がっても速度は衰えない。気分はモトクロッサーだが、大地を捉えているのは自分の足であり手の指だった。
四足歩行にも次第に慣れ、白狼は自分でも信じがたい速度で木立の中を走り回った。
テストと称し朝から駆け巡っているのに、まだ疲れは感じない。それに高速で駆けても周囲の景色の変化は把握している。人とはスピード感が違うようだ。
白狼にされたのは複雑な気持ちだし、正直逃げ出したいとさえ思う。ただ、超のつく肉体を得たのは、運動の得意ではなかった高校生にとって面白くて仕方ない面はある。
体力以外にも興味深い能力があった。駆けていてもどこの茂みに野ネズミが何匹、蛇が何匹いて、こっちをこっそり見ているかがわかる。目・耳・鼻が格段に良くなり、特に鼻は驚くほどだった。相手の数、距離や種別など視覚以上に詳細な情報を伝えてくれる。夜雀によると、彼には純粋な狼ほどの鋭い嗅覚はないとのことだったが、それでもびっくりだった。
それに、人にも狼にもないであろう感覚もある。いまも感じている。遠くの茂みからじっとこっちの様子を探っているのは、
(ネズミそっくりのくせに妙に大きいし、仲間とぼそぼそ人語で会話してる。あれが、妖怪なのかな)
彼は、妖怪・魔物と分類される連中を察知できるようになっていた。
これから、始終そんなの付き合わねばならないと考えたら、夜は十分に熟睡できるかが心配になる。とはいえ、世界には人の目や耳に捉えられない存在がずいぶんといるというのは理解できた。
タケルはすでに病院を退院し、静養がてら自宅で過ごしていた。
高校への復学は来週を予定していて、今日はまだ休みである。だから、運動を理由に家を出て、こうして走り回っている。
親に余計な心配をかけたくないので遠出は自粛し、とりあえず普段からたまに散策した城跡の林にきた。幸い、人がいても白狼の姿はぼんやりしか認識されないと夜雀に聞いている。ちょうど、かまいたちのようなものだと説明されたが、まずかまいたちをよく知らない。
(安西先生は、どこに行ったんだろう。まだ意識があるといいのに)
そう考えるとみるみる速度が落ちた。病院での活劇以来、安西教授の行方は、杳としてとして知れない。警察が本気で調べているし、よく顔の知られたテレビ著名人なのだからそう簡単に失踪できないと思うのに、事件当日に少し目撃情報があったのみ、あとはパッタリと途切れ、痕跡すらなくなった。
その見事な消えっぷりからすると、
「雷獣が匿っているに違いない」と、夜雀姉妹はいう。こうなると簡単には見つけられないそうだった。大学附属病院をはじめいくつか出没の可能性があるポイントには夜雀の仲間たちが日夜張り付き、監視してくれているそうなのだが、白狼の出現に懲りたのか、こちらもまったく音沙汰がない。
博物館での事故から1日過ぎてようやく、館長による会見があった。そこでは、番組撮影で県立自然史博物館を訪問した安西教授が、落雷による火事のあと、行方不明になったと正式に報告された。
なんら責任のない館長が苦渋の表情で説明する姿は、気の毒でならなかった。怨霊も雷獣も即身仏の再生も抜きに事件の責任を問うのは無理筋である。だいいち、館長だってタケルだって、起こったことの半分も把握していない。真実は安西先生と一緒にどこかへ姿を消したのだ。
その後、見舞いに来た梓の妹、由実が持参のタブレットであちこちのニュースを見せてくれた。予想外の局地的落雷?を受けた結果、自然史博物館は電気設備類の故障と火災、そして展示物の落下等々の複合事故を起こし副館長以下職員と撮影スタッフ計十七人が重軽傷を負う惨事となったそうだ。
安西先生は、複数の病院に分けて怪我人を搬送する際、突如として救急隊員を振り切って離脱し、その後の行き先は判らないとされている。むろん、タケルのいた病院に寄り道していらっしゃったわけだ。
失踪は、悲惨な事故を目の当たりにした錯乱、あるいは一時的な記憶喪失が原因ではとの実に適当な推測をコメンテーターに語らせた番組もあったが、大半のテレビ番組では情報不足もあってあまり突っ込まなかった。そして、その直後に有名俳優の不倫騒動と人気女性タレントの薬物疑惑、それと閣僚の収賄問題がまとめて起こった結果、あっという間に過去の事件となった。
「人の噂も七十五日っていうけど、三日持たなかったなあ」タケルがそう漏らすと、
「でも、こんなのあるんだよ」と、由実はうれしそうに教えてくれた。テレビとスポーツ新聞、週刊誌には関心をなくされてもネットでは命脈を保ち、その後も刺激的なストーリーが展開しているのだという。そのほとんどの主役が安西先生なのは、どうにも気の毒だった。
「安西庄司って、この病院の近くで目撃情報があるんだね。なにしてたんだろ」
「ふーん。動画を撮影しとけばよかった」と、あっさり惚けられたのにタケルは自分でも驚いた。
やけにこの話の気に入った由実の念入りな解説によると、安西先生に関するネット風説のうち、一番人気が愛人と逃避行説、次点が記憶喪失のまま田舎の旅館で下働きをしている説という。国際陰謀に巻き込まれ某国諜報機関に拉致説もあるが、受けはいま一つだそうだ。
「どうせなら、拉致されて記憶を失い愛人と旅館に勤務中って一つにまとめたら?」
「それじゃリアリテイがないよ」
「元から全部にないよ」
書店の新書コーナーに行けば、帯に大きく先生の顔写真を載せた本がまだ並んでいる。ひと目に立つ顔をぶらさげたまま姿をくらました理由付けとして火傷を負って人相が変わったとの設定が加えられ、「いまはこんな顔」と、加工した写真までネット上には出回っている。
「変な方向に行っちゃったなあ。人相の変わるほど火傷を負ってすぐ出歩けるのか?」と、タケルが小声でツッコミを入れると、「最初、救急隊員から軽い火傷に包帯を巻いてもらったの。それで便利さに気づいて、それからは自分でグルグル巻きにしてるんだって」由実は聞いた風なことを言った。
「ダークマンみたいだ」とタケルは兄、賢人のお気に入りだった昔の映画の名をあげたが、十四歳の由実には今ひとつ理解できなかったようだ。
文武両道かつ容姿・体格にも恵まれた賢人は、身内から見ても眩しい存在なのだが、変身願望を抱いているのをタケルは知っていた。リアルスーパーマンみたいな兄にも、平凡な弟には計り知れない苦労や鬱屈があるのかも知れない。離れて暮らす賢人とは、まだ安西先生の件についてやりとりしていないが、由実に負けない関心を持っていそうだ。
(それより、ぼくが狼人間になったのを知ったらなんて思うだろう。けっこう、喜ぶかも)もちろん明かしたりはしないが、頭の隅にそんな考えがよぎった。
「わたしのお気に入りは、計画的に消えた説だよ」由実は、人も振り向くほどの美貌を惜しげもなくクシャッとつぶし、うれしそうにコメントした。「はじめは私、火事も安西が起こしたと推理してたの。でも、さすがに無理があるかな」
「そんな度胸、ただの学者にあるかな」
「だから、予想以上に大ごとになったんでパニクったんだよ」
博物館の防犯カメラ類はことごとく障害を起こしていて、安西先生の映像はもとより当日の映像は残っていない。だが、附属病院の近くの公園にあったカメラに、先生がひとり移動する姿が写っていた。彼は公園の一角を長い間凝視していた。自分から失踪したという話が出回ったのはこの映像が背景にあるそうだ。
まさか、タケルから病院での騒ぎを解説するわけにもいかない。彼は彼で自分の活劇が録画されていなかったのを確かめ、胸を撫で下ろしていた。
「博物館に飾ってあったタカラモノに、壊れたり無くなったのがあるらしいよ。あれを盗もうとしたんじゃないのかなあ安西。いや、絶対にもう盗んでる」
「せっかく築いた地位を、盗みで捨てるようなことはしないんじゃないか」
「そうかなあ。あいつけっこう性格悪そうだよ。ねえねえ、ミイラと一緒にあったネックレスとか売り飛ばしたら、すぐ足がつくかな。海外にいるヤバ目のコレクターに売ったんじゃないかなあ」由実はタケルを相手にさんざん好き勝手な放言をして、満足げに帰って行った。
いったん、城跡の裏手の無人の神社にたどりつき、人の姿にもどったタケルは、しばらく小高いその場所から、眼下を見下ろしていた。せっかく入った登山部が上級生の不祥事で休部に追い込まれた直後は、ここを登ったり降りたりして体力の維持に努めていたのだったが、最近はすっかり休んでいた。
「また山歩き、やろうかな」と、誰ともなくつぶやいた。どこかに狼の体力を確かめたいという意識もある。人の身体のままだと、従来とあまり変わった印象はない。変身すれば桁違いに身体能力は向上するのだが、その持続時間や、なにか副作用はあるのかといった疑問はまだ解明できていない。
そこへ、ももとさくらが飛んできた。
「精が出るわね。あまり無理しちゃダメよ」
「ええ、ありがとう。それで安西先生は、いまだに……」
「そうなの。一度、はるばる首都圏から、怪しい瘴気をまとった男を見たって知らせがあったの。でも、それっきり」
「知らせというのは、スズメのネットワークってやつ?」
「そうそう。気まぐれさえ少し我慢すれば、とっても役に立つの」
「興味を引いた相手には皆さん一斉に突撃するから、情報が供給過剰になるのよ。人間と同じ」
「なるほど」
「噂みたいに愛人宅に逃げ込んでいたならスズメのパパラッチは役に立ったでしょうに、雷獣が匿っているならどうしようもない。もともと雷獣は、うつしよとかくりよのはざまで気楽に暮らしてるの。ケチ臭い雷雨を起こすしか能がないくせに、寿命だって長い」
「ところで、安西先生はなにか目的があって隠れてるんでしょうか」タケルが聞くと、「そこよ、問題は」と、さくらが言った。「この前、あいつ病院で昔話みたいなのをごにょごにょ言ってたでしょ。もっと語らせたらよかった。次の行動が予測できたのにね」
「あっ、そうだ。これ」タケルはリュックからミイラ展の立派な図録を出して二羽に示した。
「あらっ、早いわね」ももとさくらが揃って嬉しそうな声をあげた。
「叔母が持ってきてくれたんです」
夜雀からオーダーのあったミイラ展の出品リストは、図録に詳しく掲載されてあるのがわかったが、博物館は休館中であり通販も休止してしまっている。
思い余って、母の理玖に誰か見に行った人はいないか聞いたところ、翌朝まだ早いうちに叔母の史乃が持ってきてくれていた。
夫と果樹園を営む叔母は、母の妹のうちでは最もフットワークが良く、軽トラックに乗ってどこにでも出現する。ミイラ展についてはお向いさんに入場券をもらったとかで、早い時期から見に行っていたそうだった。
開いたガイドブックに見入っているスズメという絵面も面白かったが、二羽は「これね」「これよ」と言い交わしてからタケルにくちばしで写真を示し、「この箱、見つけたらすぐに壊しちゃってね」と言った。
それは、手の込んだ彫金が施されたケースだった。一緒に写っていた他の装飾品から類推すると、せいぜいスマホぐらいの小さなもののはずだ。
「たぶん、安西先生が胸に入れてたのはこれかな。これを破壊しなけりゃ」
「考古学的価値のあるものを、勝手に壊せないですよ」
「考古学どころか、いままさに悪魔的影響力を周辺に撒き散らしてる。逆にいうなら、ここまでやばいとあなたしか壊せない。普通人はもちろん、霊能力があったりすれば触れただけで洗脳されちゃう」
「ぼくも洗脳されませんか」
「目眩し程度ならともかく、あなたに魔力や妖術は通じない。言い方を変えれば、あなたは相手がどんな魔力を振るおうと肉体勝負に持ち込めるの」とさくらは言った。「これほど嫌な敵はいない。真実のイコライザーよ」と、ももが言った。もしかすると自分に期待されているのは「体力馬鹿」なのではないかと思ったが、二羽には言わないでおいた。
「あ、これ」さくらが別の写真をくちばしで示した。変な形の首飾りだった。「この前先生が胸から下げていたやつね」
「ふーん、再生と復活の紋章か。意味深ね」夜雀たちは丸い頭を傾げ、思案を続けていた。
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