第8話 予知夢
梓が帰ってから早々に、タケルはふたたび病室を移動させられた。
今度は4階から6階へと、階まで変わってしまった。
「退院が近づいた証拠よ」と、リハビリの担当には励まされたが、いきなり決まってバタバタと移動させられたのは、彼の回復の具合に加えベッドの玉突きがあったためのようだ。例の自然史博物館からの搬送患者が複数人ICUへと入り、症状の軽い順に送ってベッドを開けたということらしい。
「もしや、安西先生ですか」周りの病院関係者に訊ねても、むろん教えてはくれなかったが、タケルはその日のうちに自らの目で真実を知ることになった。入院したのは博物館の職員であり、先生はその女性を追いかけてきたのだ。
夕食後、タケルは次第に頭痛を感じるようになった。
発熱もないし、吐き気もない。彼はとりあえず看護師に訴えたりはせず、大人しくしていた。
梓が持ってきてくれた差し入れ –––– タケルの姉の奈緒が愛読する吸血鬼ハンターものの新刊 –––– を9時の消灯まで読もうとしても、頭が重くて集中して字を追えない。
楽しみにしていたのをあきらめ、ベッドに仰向けになって呼吸を整えた。
そのうち、眠ったつもりはないのに、夢かうつつかわからない物語へと浸り切りになった。それは「家令」と呼ばれた人物についての、持って回ったような不思議な話だった。
昔々、ある暑く乾いた国でのこと。名門に生まれ、病弱な王に代わって政治を取り仕切った権力者・執政がいた。彼自身も当然ながら数多くの家臣を抱えていた。それらを取り纏め家内の仕事一切を取り仕切るのは、権力者が最も信頼した男、家令だった。
表向きはひたすら主人の内向きの仕事に没頭する家令は、実は当時としては傑出した知識人であった。同時に、どこで学んだのか、遥か遠い地域で栄えすでに滅びてしまった或る文明の知識と、その副産物たる謎めいた呪術を会得していた。それを生かし、ひそかに家令は主人の政敵の排除などを担っていた。
やがて、権力者の寿命が尽きようとすると家令はにわかに邪心を起こし、術によって主人になりかわった。いや、邪心とは後に家令と敵対した側の言い草にすぎない。家令にとって主人は、とうに己と一体化した存在だったから、なり替わりは彼にとって当然の行為だったし、目的はただ主人の遺志の遂行だけだった。
死期の迫った主人は枕頭につきそう家令に、半生を費やしたにも関わらず、理想とした政治が3分の1も実現できなかったと繰り返し嘆いた。その理由は他国の軍事的脅威より、むしろ自国の無理解な政敵や欲深な親族の抵抗だったのは誰よりも家令にはわかっていた。
やがて権力の簒奪に成功した家令は主人の密かな願い、すなわち彼の邪魔をした政敵や縁者を次々と陥れ、冷酷に始末した。主人のごとく憐憫やしがらみに縛られないため計画遂行に容赦はない。妨害者の退場によって、国は亡き権力者の望んだ形へと足早に近づいた。
ところが、ほんの小さな気の緩みから、術による一連の企みがさる慧眼の人物に見抜かれた。その人物は誰もが一目置くほど無私であり、立場や政治的意見はむしろ権力者主従に近く、対応が後手に回った。ついには恐ろしい争いが起こり、最終的に家令はあえなく処刑され、死体は焼かれ灰は溶けた青銅に混ぜて海に沈められ、永遠に封じられることとなった。
だが家令は、最後に自らに術をふるい、体の一部を箱に保存し後世に復活できるよう仕組んだ。その箱は主人の遺品に紛れて後世に伝えられ、誰にも気づかれないまま長い長い時をじっと眠り続けた。
家令にとって喜ばしい偶然の起こったのはほんの最近、権力者の屋敷あとが遺構として発掘調査されてからだ。その後たびたび安置場所の変転した権力者、そして家令の遺物は、各地の博物館や研究施設に彼同様の怨念が点在しているのを知った。さらに、偶然から家令の遺物は東方の国へと送られた。そこで家令の死霊は、自分と極めて似た運命を辿った存在に出会い狂喜した。志半ばで命を断ち切られ封じられ、さりとて完全には死滅しきれぬ熾火のような死霊。一人の男に身を捧げたのも同じだ。妖力は増しても、もはや自力活動の困難な家令に対し、似た存在はまだ生しく肉体の所有も可能だった。
そこで家令は、その死霊に新しい肉体が手に入るよう妖力を貸した。あとは慎重に振る舞いさえすれば次第に魔力は増し、家令の理想の実現にも手を貸してくれるはずだ。死霊がそばに眠っていた小さな魔物にも力を分け与えたところ、驚いたことその魔物は、家令すら持たない自然に干渉する能力を貸してくれるという。これは面白い。この東方の国には古物を詰め込んだ施設がやたらと多い。これを回れば、さらに役に立つ魔物たちを集められるかもしない。
この国は、道具を使うのについては信じがたい発展を遂げた一方、心の技、すなわち魔力や呪術への知識、抗するすべは見る影もないほど後退した。実にやり良い。なんなら、この国に腰をおろし、一度は諦めた理想郷を打ち建てるのもいいと家令は思った。誰も逆らわず、異論を吐かない主人と家令のための国。
ぼんやりしていた意識に焦点があって、タケルは目を覚ました。
(生命の潮とは血。新しい身体とは今のわれわれ、見知らぬ世界とは、ここ)
そんな言葉が、頭の中に明滅した。完全に意味を理解したわけではないが、脅威がすぐそばまで迫っているのは、わかった。
(準備もなく、いきなり巻き込まれるなんて、どういうこと?)
先日、うかうかとスズメのお姉さんたちに押し切られて、魔物退治を約束させられたせいとしか、考えられない。夜雀たちは学業には配慮するなどと言っていたのに、このざまは一体どういうつもりだろう。
気を取り直して病室の気配を探る。カーテンでしきられただけの四人部屋は、誰かがイヤホンをつけてテレビを見ているのだろう。かすかに甲高い声が聞こえる。それだけだった。だが、
(この建物に人であって人でない何かが近づいている。もうかなりそばにいる)
との確信に近い気分があった。自分がいやに勘の鋭い、おかしな存在になってしまったことについての戸惑いはあるのだが、それ以上に、自分を目指すように危機が近寄ってくるのが気に入らない。さだめ?いまどきはやらない。
両親から聞いていた生みの母についての話、狼を主神として祀る神官一族の末裔という話がタケルの頭をかすめた。実は生物学上の父の方の実家にも似た話が存在するらしい。大門が、運命がどうたらいっていたのはこの辺りに起因するのだろう。だが、いつものように深く考えないことにした。この話だって矛盾の塊に思えるし、だいたい秋山の父だって生みの母と同じ一族の出身だ。タケルとも佇まいが似ており、親子と名乗って疑われたことなどない。
父だって間違いなく関係者なんだから、いきなり高校生に話をもちこまず、まず親を通してほしい、などと冗談を考えるうち今度は本格的に背筋に悪寒が走って、タケル は仕方なく対策の検討を開始した。
さっきのが正夢ないし予知夢とすれば、迫りつつある悪寒の主は博物館で起こった事件に関わっている。最初は、救急車で搬送された人物かと考えたが、ICUは二十四時間看護師の目が見張っているし、外部からの訪問者かもしれない。妖しい力を持った化け物だったらどうしよう。考えただけでげっそりする。
とりあえず確かめようと、タケルはそっと床に降り、母の置いてくれたサンダルを履いた。父の筆でT・Akiyamaと大書してあるのは、少々恥ずかしかった
ぼく、お手洗いにいくんです、といった風情でタケルが病棟の廊下を歩き始めるとすぐ、雰囲気が昼間とはまったく違っているのに気がついた。入院中の病院は、なんだかんだと人が多く、消灯になるまではそれなりに賑やかなのだ。ところが、時刻はまだぎりぎり見舞いが可能な時間のはずなのに、活気というか人の気配がすっかり無くなり、凍りついてしまったようだった。
長い廊下を歩き、内庭と接した吹き抜けのところまでやってくると、黒いスズメがガラスをつついた。
「ももさん、さくらさん」タケルは呼び掛けた。
「えらいわね、ちゃんと気がついたのね」ガラス越しにさくらの声がした。
「『迫りくる怪しい気配』って、このことですかね。すごくいやな予感がする」
「ええ。あたしたちもようやくさっき気がついた」こっちはももだ。「言い訳じゃないけどあたしたちの特技は後始末なの。危険予知じゃないのよね」
「僕、さっきすごい大作の夢を見ていました」意味があるか確かめようと、タケル は夜雀たちに聞いてみた。「はるか昔の砂漠の王国にはじまる因縁話だったんです。あれ、ほんとかな。最後、はるばる日本にやってきた古代の怨霊がほかのミイラに声がけしようとしてましたよ。正夢だったらいやだな」
「ふむふむ」さくらが真剣な声で返した。「それはあなたの中の白狼の見た予知夢か、あるいはこの近くに生者に味方しようとする存在がいて、それが白狼を見つけて警告したのね。向こうからコンタクトが取れるぐらいだから、よほど年季の入った存在と思うな。もしかしたらその古代の怨霊より前に死んだひと」
「うえっ」タケルは思わずうめいた。「ぼく、正式採用はまだのはずです。どうして連絡先がわかるんだろう」
「仕方ないわ、相手はあなたが見習いだなんて関係ないし」
「まあいい。そっちは後にします」いくらでも言いたいことはあるが、のっぴきならない状況なのは、首筋があり得ないほどぞわぞわして教えてくれる。「それで、怨霊が病院に入り込もうとしているのは間違いありませんよね」
「ええ。すでにこの建物そのものに術がかかっている。博物館から追ってきたと考えるのが自然だから、タケルさんが機械につながれていた部屋の横に、大部屋があったでしょ。あそこが目的地じゃないかな」
「ICUの大部屋ですか」
「博物館から二人送られてきたはずだから、その片方、あるいは両方がねらい」
「守衛や警察の助けを呼ぶという手は…」
「人間がどうこうできる相手じゃないわ。逆に犠牲者が増えるだけ。気配がこれだけするってことは、かなり強力な相手だもん」
「それに、どうせこっちにもお見舞いにくるわ」ももの口調はどこか嬉しそうだった。「病院は弱った人ばかりなのに、あなたは隠しきれない巨大な生命力を発しているでしょ。ほかほか湯気があがっているから、自然と気づかれる。元気ってすごい。生命を吸い取るなら、きっとあなたを選ぶと思うの」
「ちっともうれしくないですよ、そんなの」
「そうそう、化け物のせいで医者も看護師も役に立たないから、いま患者の容体が急変したり、急患が運び込まれたら一大事。早くなんとかしなくちゃ」
さくらの台詞に、タケルは動揺した。そこまでは考えが及ばなかった。
「じゃあ、どうすればいい?おとりになって逃げればいいのかな」
「狩衣になりなさい」間髪入れずももが言った。
「そうね。ここまで強力な敵だと、その手しかないかな」さくらも肯定した。
「なんです、それ」
「変身よ」あっさり言われて、タケルは目をパチクリさせた。「もしかして、おおかみおとこ、にですか」
「あんなブサイクなのじゃない」心外だという風にももが答えた。「映画の狼男みたいに時間だってかからない。顔がのろのろ長くなるなんて馬鹿げてる」
「そうねえ。前にももさんと『狼男アメリカン』って映画を観に行ったわ。変身シーンの特撮が画期的だって大評判だったのよ。どれどれと思って」
「お二人、映画を観に行くんですか」
「当時の映画館って、簡単に中に入れたの。シネコンはやりにくい。それはさておき、あの映画みたいに服がやぶれたりしないから安心して」
「?」
「あなたの今着ている服も利用して、一瞬で変身できるわ。そして、人ではありえない能力が得られる」
「?」
「あと、二足歩行と四足歩行の両方に対応可能よ。どっちにでも好きなスタイルを選べるの」
「?」
「あ、そうそう。その名前入りのサンダルは脱いでしまっておいた方がいいかも。厚底靴とかサンダルは、たぶん使わない」
「?」
タケルはひたすら首をかしげた。
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