第7話 生還

 タケルがゆっくりと附属病院の廊下を歩いていると、突き当たりに制服姿の人影が見えた。紺色のスカートに見覚えがある。相手も彼に気づき、悠々と近づいてきた。

「よう」松浦梓だった。今日はひとりだ。

 高校の帰りに、寄ってくれたのだろう。手に、鞄と本屋の名前の入ったビニール袋を下げていた。「もう歩けるんだ」

「ああ、今日はずっとリハビリをさせられてた。なかなかつらい」

「ふーん。でも元気そうだ」歩み寄った彼に梓はつっけんどんに言った。

「そうかな、そうだね」タケルはうなずいた。「担当の先生にも言われた。感染症の疑いとかあって個室に入れられてたらしいけど、見事になんの痕跡もないって。傷まで薄くなっちゃった」

「ふーん。丈夫はいいけど、みんな拍子抜けしてるんじゃない?」

「そりゃ、ぼくが死んだ方がドラマチックだったのは確かだよな」

「安っぽいドラマ」

 

 梓と、そして夜雀たちが来た日の夜、タケルは目を覚ました。その後は、瞬く間に体が回復してしまい、医者も首を捻るほどだった。

「そうだ」梓は悪事を思いついたような笑顔を浮かべて言った。

「目を覚ました時にタケル、帰ってきたよ、もうあっちへは戻らないとか言ったんだって?」

「そうだっけ」

「感動のコメント付きとは、やるじゃない。奈緒さんから聞いたよ。死んでる間に決め台詞を考えてたとか」

「よく覚えてない」生還してさっそくこれか、と思わないでもなかったが、タケルはすまして答えた。「それよりもっとひどいことを言った気がする。どうして助けてくれないんだ、とか」

「賢人さん、派手に泣いたんでしょ。それも奈緒さんに聞いたよ。相変わらずのブラコンぶりに頭が下がるよ。あたし、由実が同じ目に会っても、あんなにずっと傍にいて無事を祈り続ける自信ない」

 由実というのは三歳離れた梓の妹である。姉の通う女子校と同じキリスト教系の女子中学にいる。タケルは一応兄の事情を説明した。

「あと1日しか休みが取れなかったんだ。だから、このタイミングで目を覚ますなんて、お前はなんて兄孝行な奴だって」

「なんじゃ、それは」

 

 冗談めかして話しながらも、目を覚まし、やっと口をきいたタケルに対しての家族の表情は、大袈裟かもしれないが、一生忘れることはできないと思う。

 半分死んだまま、宙をただよっていた時の記憶は、すでに夢みたいに感じる。しかし、それまでの家族に対する態度を心から後悔したことはまだ忘れてはいない。だからあれ以来、なるべく素直に感謝の気持ちを家族に伝えるよう心がけていた。それに夜雀の姉妹はあれから連日、彼の夢の中、あるいは彼の前に姿をあらわしなんやかやと話しかけてくる。

「そういえば」タケルは梓に微笑みかけた。「僕が意識のないとき、梓もご両親と一緒にきてくれたんだってね。ありがとう」

 唐突に礼を言われ、梓は目をあらぬ方向に泳がせて、話をそらした。

「いちおう、家族以外の見舞いは可能になったんでしょ。ほかに誰かこないの?同級生とか」

 「こない。面会制限継続中と伝えてもらってある。クラス替えから時間も経ってないし、担任だって同級生だって、親しくもない相手の見舞いにこさせられるのって、苦痛だよ」

「こんなときにも社交嫌いを通すとは、筋金入りだよね」

「こんな時だからだよ」

「せっかくの部活も、先輩の不祥事で休部中だし。不幸が続くよな」

 梓は自分で自分の言葉にうんうんとうなずいてみせた。

「ほっとけ」

 小・中学校と父に連れられ山歩きを楽しんできたタケル は、高校に入学した時点で登山部に入った。それなりに覚悟し張り切ってもいたのだが、当時の三年生たちとOBがやらかした彼の高校にしては空前のレベルの非行のため、昨年末に活動停止になったままだ。顧問だった教師もこの春、異動してしまった。

「秋山先輩に憧れる下級生の女子とか、こないの?」

「独り言ばかりの不気味なやつって思われてるはずだから、ない」

「ひとごとながら悲惨だね。にぎやかしに我が家の可愛いJCでもこさせようか」


 とはいえ、(見舞いじゃなくて、ヘンなスカウトはきたぞ)タケルは昨日の珍客を思い出していた。夜ごとに訪れる夜雀たちではない。

 昨日は大門のマネージャーだったと称する久喜という男がきた。

 相手の態度から見て、おそらくナースセンターをすりぬけてきたと思われたし、本来なら追い返してもらうところだが、とりあえずは話を聞いた。

 夜雀のももが、「大門に寄生していた変なおオネエがいて、あなたに会いにくるかも」と、言っていたからだが、まさか本当にくるとは思わなかった。


 面談室の椅子に足をくずし、炭酸飲料をつまらなそうにすする久喜は、女性のような優しい顔をした男だった。小柄なため遠目には高校生に見えたが、間近だと三十歳ぐらいとも思える。本当にオネエなのかはわからなかったが、たしかに声も高く物腰もなよっとしていて、いかにもという話し方をした。

 それも、とびきりなれなれしい。

 「あたしもマジで迷惑してるの。突然、ビジネスパートナーがおっちんじゃったでしょ。もっと後事をきちんとしてほしかった。でもあんた、大門のオヤジから聞いてたのとちょっとイメージが違う」久喜は、面談室を落ち着かなく見回しながら言った。

「そうですか」

「うん。もっとバタ臭い顔だと思ってた。イケメンなのは認めても、けっこう和風じゃん」

「……」

 

「大門のオヤジはさあ」久喜の話はまた相方のことにもどった。「昔はもっとずっと元気だったのよ。それがちょっとした出来事があって、それをきっかけにすっげえ気弱になっちゃって。姿を消す直前にはバビロニアの化け物、なんだっけ、ギーってのが上陸するとかしたとか言ってた。あんた、知らない?」

 タケルは黙って首を振った。

「そのせいで、国内の化け物が活気を帯びる。こうなったら自分の手には負えないとか。ノイローゼ気味だったのね。すべてを自分でどうにかしようとするのは、あいつの悪い癖だった。で、あんたはどうするつもり」

「……?」

「やだなあ。退院後の話よ。どうせ噛まれたんでしょ。跡を継いで魔物ハンタービジネスを続けるのは宿命なのよ。あたしとの契約は自動的に継続となることになってるの、知らないわけじゃないでしょ。取り分は7:3、あんたはあとの方」と早口で言ってから、「あ、バビロニアうんぬんは気にしなくていいから。どうせ思い過ごしだし」と、付け加えた。

 どうやら大門が、目の前の華奢な男をマネージャーがわりに魔物ハンターとして活動を行なっていたのは本当らしい。久喜のねらいは、タケルをその後釜に据えて、「掃除道具」とすることなのだ。


「契約なんて知りませんし、やりません。もっというと、ありえない」タケルは静かに言った。だいたい、例の件は夜雀たちにもまだ保留にしているつもりなのだ。

 すると久喜は、ちらっとタケルの表情を伺い、苦笑してみせた。

「いまは動揺してるからね。でもそういうものなの。信じないと損だよ」

  タケルは首を横に振った。なるほど、彼の言い分はある意味、夜雀たちと同じだった。しかしこの男の言葉の中心には嘘があるし、秋山タケルという人格には関心がないのが透けて見えた。

「誤解されてるみたいです」

 すると、久喜は息を派手に吸って、わざとらしく吐いてみせた。

「若いし、知らないこともいっぱいあるから、教えてやろうと思ったのにさ」

 久喜は立ち上がって首を突き出し、一転して怖い顔をして見せた。

「そんな偉そうに言っていいの?あたしを怒らせたりしたら」正面から見た久喜の目玉は、猫の目のように、ガラスっぽかった。「あんたの家族にだって、なにが起こるかしらないよ。裁判って手もあるけど、直接怖い目をみたほうがいい?」

 

 タケルも立ち上がり、黙って久喜のチマチマ整った顔を見下ろした。

 以前の、ただの高校生のままなら、こんな程度の低い脅迫めいた心理コントロールにだってひっかかったかもしれない。だがいまは、子供とあなどり脅しをかけたというのが手に取るようにわかる。タケルが怖がって真に受ければ儲け物というところだろう。

「あなたとなにかをする義務は僕にはありませんし、その気もありません。帰ってもらえますか」

 

 テーブルの上に両手をつき、表情を変えずに自分を見つめるタケルを、当初は怒気を含んだ顔つきで受けていた久喜の表情が、だんだん不機嫌なものへと変わり、ついに目をそらした。「チッ。大門以上に使えないやつだよ」

 彼は肩をそびやかし、上着のポケットに手を突っ込むと背筋を曲げ、

「なっまいきな高校生だ。みのほど、わかってんのか」などとぶつぶつ言っていたが、急に何かを思いついたかのように一転して上機嫌になった。

「むかしさ、おれの前任者にさ、大門があった時のエピソードがあるんだ。前任者はおれみたいな優しい人間じゃなくってな」そう言いながら、久喜はタケルに一歩近づいた「知ってるかい」

 タケルが彼を見ると、久喜はつと目をそらして明後日の方向を見た。つられてタケルがそっちに目線をやると次の瞬間、

 「これを、胸にさしたんだよお」と、久喜は叫びながらポケットから掴み出した小さなナイフを、テーブルに置いたままのタケルの手に突き刺した。

「俺は優しいだろっ」久喜は吠えた。「大門のオッサンのときは胸に刺されたんだぜ、銀のナイフをよ」

 どうだ、と言わんばかりに彼はタケルの顔を睨めつけながら、「立場を思い知れや、痛えよな銀のナイフは」と言いながらぎりぎりとナイフを押し込んだが、手応えがおかしいのにやっと気がつき、「ん」と手元を見た。

 刃は甲に刺さってなどおらず、タケルの指に挟まれていただけだった。そのままタケルは簡単にナイフを奪い取り、

「銀がどうかしましたか」と、久喜の顔の前に持ち上げ、両手でつまんで刃を曲げて見せた。刃は全部が銀なのではなく、鋼と組み合わせて強度を保っているようだったが、意識を集中して力を入れると、軟鉄よりも簡単に二つ折れになった。

「はい」タケルはナイフを返した。「人に刺すなんていけない」

 曲がったナイフを持たされた久喜は、本格的に怯えた顔になった。

「お、おまえ、なんだよ。ふざけるな。後悔するぞ、ぜったい」甲高い声で喚きながら後ずさっていく。それでも最後は肩をそびやかしながら、「じゃあなっ」と言って、そそくさと行ってしまった。まるでチンピラだ。

 あまりに上手くナイフが折れたので、タケル自身も驚いてしまった。

  

 びっくりさせられたが、久喜が悪党かといえば、微妙な気がする。凄みや反社会的なにおいは感じられず、どこか妙な軽さやおかしみが漂っている。

 しかし、タケルのよく知る大人の男 –––– 主に父と兄だが –––– は、どちらも高校生を脅すなんてありえないし、ましてや圧倒され逃げ出すとは考えられない。久喜みたいに貫禄のない大人は、珍しい生き物のようにすら思えた。 

 彼が、見事にタケルの病院を探し出したのは、それが生業であるからだ。久喜は警察無線や救急通報、あるいは新聞の地方欄に載る何気ない記事など、世の中のあちこちに砂粒のように散らばる情報を集めては方向付けし、人外の出現や正体を推定したのち、大門に伝えていたらしい。救急車によって運ばれたタケルの搬送先を調べるなど造作もなかったろう。

 機嫌をとっておけばのちのちに役に立ったかも、と思ったが後の祭りだ。ただ、その夜に訪れた夜雀たちは、とても面白かった、あいつにはあのぐらいでちょうどいい、などと彼の対応を褒めてくれた。


「なんか、騒がしくない?」タケルが梓に聞いた。「さっきから、救急車のサイレンが続いてる。脱線事故でもあったのかな」

「えっ、知らなかったの。へえ、そりゃ残念」不謹慎にも梓は、どこか嬉しそうに言った。「自然史博物館が大変らしいよ。おおぜいが火傷したり、怪我したんみたい。この病院にも何人かが救急搬送されてきてるんだって」

「へー、火事かなにか?」

「うそかほんとか、落雷と火事のミックスコンボ。それもねえ」

「なんだよ、もったいぶるなよ」

「歴史家の安西庄司っているじゃない、よくBSとかに出てる。あの人もいたらしいよ。下にいた時、偶然会話が聞こえちゃったんだな、これが」

「へええ」タケルは嘘偽りなく、驚いた。顔は知っているし、家には父の購入した彼の著書だってあった。出張の時間潰しのためだったらしいが。

「こんな冴えない地方まで出稼ぎにきてたのか。大変だね」

「うちのおばあちゃん、明日講演を聞きに行くはずだったんだ。中止するんだろなあ」と梓は顔をしかめてみせた。「代わりにここへ見舞いに来ちゃうかもね」


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