第5話 ミイラ 再生

 安西先生に対する佐久間樹の第一印象は、なるほどテレビに愛されるだけあって、目元のすっきりした、なかなか見良い男というものだった。しかし、わずかな時間ながら相手をするうち人柄については、(映像から感じたのとはかなり差があるぞ)と、修正が入った。


 まず、けっこう注文が、うるさい。だいたい、撮影で動き回るのはもっぱら撮影スタッフと付き添いの代理店の人間、そして樹たちだけで、先生は打ち合わせを終えると、ほとんどの時間は待っているだけだ。それなのに、先生は樹をわざわざ指名して呼び出すと、

「あ。きみさ、リップクリーム持ってきてくんない。乾燥してるよね、ここ」

「はい、わかりました。少しだけお待ちください」

「それと、ぼく生水は飲まないから」

「それ、ミネラルウォーターなんです」

「いいから。お茶持ってきて。はやく」と、しょっぱなから使われてしまった。 

 観察していると、先生は出身大学の大先輩である館長、および近い将来に県の文化行政の要職に就くであろう副館長に対しては至って愛想がいいが、それ以外の職員にはどことなく横柄でもあった。

 驚かされたのが、暇があるとスマホをのぞいていることだ。学者のくせに、という単語が樹の脳内で明滅した。古文書とか読んでいるのではないのか。「あれ、エゴサーチしてるんだぜ、きっと」というのはこっそり先生の後ろを通り過ぎた同僚のセリフだ。「ぶつぶつ怒ってたもん」


 今日、撮影を直接担当するスタッフは照明、カメラ、音声入れて5人。メイクは撮影アシスタントが兼務する。報道部よるニュース取材に立ち会った経験ならある樹にとっては、多いと感じるほどだったのだが、タレント教授様は決して満足しておられなかった。

 それも、言外に不満を伝えるのではなく、

「『驚き!歴史塾』のロケだと、二桁はきてたなあ」などと聞こえよがしにつぶやいた。独り言にとどまらず、近くにいた樹にまでご下問があった。

「君、知ってる?歴史塾」

「え、ええ。毎回拝見しております」

「そう。趣味は悪くないね」

 それは、年に四回ほどゴールデンタイムに全国ネットで放映される歴史スペシャル番組であり、先生は毎回出演されておられる。

(スポンサーの量と質が、違うだろっ)と、ストレスのたまった樹は胸の内で吠えた。

 

 彼女の沈黙を従順さと勘違いしたのか、先生はまた聞いた。

「きみさ、ここの出身者?」

「はい。一応この県です」と言ってから、生まれたのは政令指定都市であるのを付け加えると、先生は面白くなさそうに、「へえ。そうなんだ」と言った。

「先生はたしか……」樹が切り返そうとするとそれは無視して、「新幹線を降りてから、駅で酒巻とおるのポスターを見たんだよ」と口走った。

「来週、コンサートがあるんだってね。交通事故から無事復活したんだなあ、あいつ。たしか、ここの出身だよね」

「はい、そうです。よくご存知ですね」

 とたんに樹は緊張し、声がうわずるのをおさえるのに苦心した。安西先生に対してではなく、話題のせいである。

「酒巻とおる」とは、まだ若手とされる演歌歌手だ。美声に加えてイケメンぶりで知られ、芝居もできる。おばさまたちの人気には絶大なものがある。

 実は、貶される可能性が大きく同僚の誰にも明かしてはいないが、樹は彼のデビュー当時からの密かな大ファンなのだ。

 彼女が高校生だったときに、まださほど知名度のなかった酒巻本人と直接言葉を交わす機会があった。それ以来、ひたすらファン道を邁進してきた。

 もちろん、来週のコンサート当日は有給を申請ずみだった。このムカつく取材に我慢できるのも明日、じゃなくて来週があるせいだ。


「同じ番組に出たことがあってさ。けっこう気さくに話すやつだったよ」と、安西先生はさりげなく自慢した。

「えっ、そうなんですか!」不快感の増しつつある相手だろうが、とおるさまと面識があるなら、多少は我慢できる。

「ああ。その時かな、この県の生まれだって聞いたのは。故郷を歌った新曲のキャンペーンにからんで出演したはずだよ。ボクになんかゴマする必要ないのに歴史好きとか言ってさ。ま、まるきり無知ってわけじゃなかった。司馬遼の読者ってのがいかにもだけどね」

「……出身は南条市というところです。ここからは少し距離がありますが、静かで良いところですよ。あっ、即身仏の妻鹿城には近いです」

「らしいね。でもさ、精一杯おしゃれな格好をしてるのに、どっか田舎臭さいんだ、やつ。そんなところの生まれなら仕方ないか」

「……演歌歌手ですからね。田舎が市場ですから」

「そういやそうだ、うまいこというなあキミ。あ、そうだ。とおるってマジできれいな顔をしてたよ。隠れオネエ説もうなずける」

 (フォローになってない!)

 たとえ撮影がスムーズに終わっても、今夜は怒りで眠れそうになかった。


 そんな彼女を気の毒に感じたのか、あるいは暇だったのか、撮影に同行してきた代理店の人間が樹に話しかけてきて、内緒ですよといいつつ、短時間にいろいろ裏話を教えてくれた。彼にとってもストレス解消なのだろう。

 ひとつは、安西先生が待遇を気にし出したのは、ライバルと目する同じ史学系タレント教授の薄田欣也先生が、BS系で放送中の歴史番組のメイン司会者になってからだそうである。そして、それほど待遇や番組ランクを気にする先生がローカル番組への出演を受けた背景には、館長が大先輩である以上に、つい最近しでかした東京でのしくじりがあったそうだった。

 簡単にいうと先生は、とある番組制作会社の女性スタッフと親密が過ぎ、それを夫人に知られてしまった。その前にも某局の女子アナと噂になったりしていたので、再犯にたいそうお怒りになった夫人(代理店氏の大時代な言葉を信じるなら、学会に影響力のある先生の姪御さんとか)は、離婚を思いとどまるかわりに様々な条件をつけ、そのひとつが歴史系番組を多数手がけるその制作会社の関係する全番組の出演取りやめと、美人女子アナと組ませられやすい首都圏でのロケ出演当面禁止なのだそうだった。

「それで、即身仏と一緒に出るのを安藤先生は了承されたんですか。館長ともお昼をご一緒してくださるし、気さくな人と思ってました」

「ええ、ホントのところ、けっこう癖のある人ですよね。今回の出演は、嵐が過ぎ去るまで家に篭ってるのも気づまりだし、小遣い稼ぎになるし、ってところかな。あ、それに」

「なんですか」

「明日、男女平等センターで講演があるんです。ギャラはテレビよりかなりいい。今のうちに慰謝料を準備しとくつもりだったりして」

 代理店氏は、若いくせに「げへへへ」とおっさんくさい笑い方をしてから、

「知ってます?講演のタイトルは『戦国のたくましい女たち』だって。ぐふふ、先生もよくやるよね。女に悩まされまくってるくせに」

「まあ、わたしみたいなのは、女にみられないから気楽です」と、樹が言うと、

「ダメダメ、油断しちゃ。ホラ、あのひと背があんまり高くないでしょ、そのせいか大きい女性が好みなんです。そのうち、素知らぬ顔で連絡先聞いてきますよお」


 しかしそれでも、撮影は順調だった。

 先生の登場しない館内の撮影はサクサク進んだし、オープニングに使うという博物館の入り口でのシーンは空もさわやかに晴れ、二回目のやり直しに先生が嫌そうな顔をした以外は大過なく終わった。

 館長に夕方から外出の予定があったため、彼の出演パートは先に撮影することになっていたが、さすがに10年ほど前、科学番組の準レギュラーだっただけあって、堂々の喋りっぷりを見せてくれた。OKが出ると見学の職員たちから拍手が起こったほどだった。

 中に入る頃になって、なんとなく空が陰り、暗くなった気がした。

 時間も時間だし、必要な屋外撮影はすべて終わったあとだったので、樹をはじめ職員は誰も特に気にはしなかった。

 

 ふと、頭の上の棺が揺れた気がして樹は顔を見上げた。時間はとうに17時を回っていた。展示室の窓から見える空は、すでに暗い。

 即身仏の対面の上空には、太い鋼線によってエジプト由来の棺がぶら下がっている。これも一部だけ当時の木を残した樹脂によるレプリカである。ただし、出来は「松」とされ、素人目にも優美に感じる。館長など、ぼくが死んだらこれに入れてよ、と冗談まで言っていた。


 彼女の目の前、そして棺の下で展開しているのは、今回の撮影で一番肝心なシーンと思われる即身仏を前にした撮影だった。仕事を終えたのもそうでないのも、職員たちの多くが音の出ないよう気を使いながら、じっと撮影の様子を見ている。考えたらこんな好機の目にさらされながら寸劇をやるなんて、樹にはとてもできそうもない。

 進行役のタレント、かどやま甚太が大袈裟な仕草で問いかけると先生は、

「これは、おもしろいですねえ」と、簡単に即身仏の身の上を説明してくれている。

 地元以外では無名の男性ローカルタレントが相手なのに不満だったと伝わる先生も、さすがに本番ではいたって愛想良く、「実は、なかなかすごいことが書いてあるんです」と、即身仏と関係があるとされる書状のコピーをひらひらさせた。

「即身仏は、密教の修行者のことが多いんですが、この豪山という方は違うみたいです」

「じゃあ、お坊さんじゃなかったんですか」

「いえ、僧侶だったのは間違いありません。妻鹿城の城主だった渡辺重信という人の五番目の息子として生まれたんですね。ちなみに家督は長男がつぎましたが、この書状によると実質上はお兄さんが仕切っていたものの、お父さんはまだ完全に引退したわけじゃなあった」

「ほお。じゃあ豪山は、意外と若く即身仏になったんですか」

「そこなんです。彼は十代から奈良に修行に行きましてね……」

 

 こんどは誰かが笑った気がして、樹は首を巡らせた。収録中に笑い声をあげるほど度胸のあるのは関係者にいそうにないのだが、たしかに聞こえた。

(とにかく、落ち着こう。わたしが音を出したら、だめよね)

 しかし樹が振り返った時には、すでに状況は一変していた。

(ええっ、なにこれ)

 先生が怖い顔をして、聞いたことのない呪文を読み上げている。

「まにやら、あじぇす、いいごと」

 かどやまの口元は笑っているが、額は八の字眉になっている。台本では、重臣が書いたとされる手紙を読み上げる予定だったからだ。

 暗かった窓の空が瞬いた。そして時間をおいて落雷の音がした。

 (こりゃ、撮影は一旦止めて、やり直しかな)

 樹がそう思った時、信じられないことが起こった。

 天井につなぎとめられた棺が、船が水面に滑り出るかのように、優雅に宙に浮いた。続いて大きな音がしたと思ったら、端にいた樹のところまで小さな水しぶきのようなものが飛んできた。無意識のうちにそれを拭うと、彼女は眼をみはった。水滴は赤かった。


 

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