第3話 転生でなく再誕
「つまり、僕はどうなったのかな」
ようやくことばを思いつき、タケルは大石に座る二人の美女に聞いてみた。
空は青く、雲あくまで白く、三人の前には心地良く広大な光景が広がっている。なのに清々とした気分になれず、日陰か水中にいるような感覚を覚えるのは、ここがいわゆる、あの世だからだろうか。
「大門って人に、なにかされました。あっ、たぶん噛まれた」思い出したくはなかったが、徐々に記憶が蘇ってきた。
「あの人はどうなりましたか」
「消えた。つまり死んだわ」ももと名乗った女性は小さく肩をすくめた。「まあ、彼なりに働き抜いた一生だったのじゃないかな」
「それでね、まず最初にあなたに謝らなくてはなりません」きりっとした顔をタケルに向けてさくらが言った。「本来ならもう少しあと、あなたの身体が成長しきったところに諄々と意味を説いてのち『起こす』ところを、せっかちな彼が自分の判断で先行してしまったの」
「そうね。あなたを『起こす』のは彼に託されていたから、口を出さずにおいたのよ。ところが、いきなり一足飛びでしょう。よりによってひどく噛んじゃったし。狼男って限度がわからないと思い知らされたわ」と、ももが言った。こちらは口調とは印象が異なり、面長の上品な顔をしている。
「ご家族にもあんなに心配をかけてしまって、まことに申し訳なくて」さくらが言うと、「これを定めだって言い張るほどあたしたちは傲岸なつもりはないわよ。気を悪くしないでね」と、ももが付け加えた。
「お話の内容が、よく読めません」タケルはおずおずと口を挟んだ。
「大門さんは狼男だったんですか。ということは、ぼくは狼男になったってこと?そんな映画を前に見た」
「うーん、そうねえ」どこか面倒くさそうにももが言った。「あなたは今日からプロテクター。明日から妖怪退治をがんばりましょうってことでひとまず解散にしたら、まずいわよねえ。やっぱり」
「あたり前よ。はやく慣れてもらうために、私たちはお仕事用の姿となって説明しましょうか」
一瞬にして粋な女たちは消えた。代わりに黒っぽい小鳥が二羽、白い石にとまっていた。
「……スズメ?」
「見た目の違いはあまり問題じゃない。あたしたちは夜雀と呼ばれる存在」
声は変わらず、ももだった。「仕事は神の狼のお世話。そしてあなたは、人の形をとった神の狼、人狼」
「人狼。やっぱりぼく、狼男になっちゃったんですか」
「訂正すべきは、そこよ。狼男じゃないの。見た目はどっか似ていても、あっちはただの化け物。お月様に振り回され、なんの芸もなく暴れるだけの哀れな存在。その中でも大門の坊やは、まだ頑張っていたうちかな」
「そうね」とさくらの声が言った。「弱い者の役に立とうとする気持ちはあったし、ただの愚かな狼男ではなかった。残念ながら魔獣とか獣人には馬鹿が多いの。体力と知性・人格がトレードオフになるのかな」
「そのあたり、よく理解できません」
「おいおい分かるわ。それでさっきのお話を続けるけど、ポイントは狼男に噛まれたことではないの。たぶんあなたは、狼男に噛まれたから狼男になると考えているでしょうが」
「違うんですか」
「違う違う。いい迷惑だったでしょうけど、あなたが『起きる』には、いったんは生死の境を彷徨う必要があったわけ。ひとたび黄泉の坂を下り、生まれ変わるために」
「……」
「でもあなたは、そのままでもすごく丈夫だった。守られてもいるから、殺そうとしたって簡単には死なない。狼男の中でも頭抜けて強い者がすべての力を振り絞って、はじめて達成できたほどよ。怒るのもやまやまだけど、大門の心意気を少しは褒めてやってね」
「そう。仮の死を経てあなたの中に白狼が蘇った。あなたの中の白狼が目覚めたともいえるかな。決して狼男が伝染したわけじゃない。似てるのはパッと見ぐらいだから」
「白狼?」新しく出てきた単語だ。
「ええ。あなたを正しく言い表すとすれば、それかな」
「あなたは人として生まれ、白の人狼として再誕したの。転生したら狼男だった、じゃないわよ」
「でも、僕を狼にするために大門さんが死んだのに変わりないですよね。僕のせいで人が死んだ」
「いいえ、結果的にそうなっただけ。それに、あいつは何か残して死にたかったのね、死に場所を探していたのだと思うわよ。それだけ。以上」
まだあまり動きの良くない頭でタケルが意味を考えていると、
「まあ、これからも狼男と間違えられはするでしょうねえ。それは仕方ない」
ももが笑みを含んだ声で言った。
「でもね、あなたは獣人と根本から違う。相手が力のある魔物だったら、すぐ別物と分かるはず。判定テストね。相手のレベルが高いほど、あなたの正体を感じ、恐れる。だって強力な魔力をぶつけても、すっこ抜けるか自身に跳ね返ってしまうのよ」
「そうそう。悪魔があなたの前でパチンと指を鳴らしたりしたら、さぞかし滑稽なことになるでしょうね。どうせ、はなから近づいてこないにしても」
「これは、まさしく白の狼だけの力。だからこそ、決して傲慢になってはだめ。真におそれるべきは、自己よ」小さなスズメの首がうんうんとうなずいた。
「さっきから、白狼とか白の人狼という単語を頻発されてますが、僕のアイデンティーカラーは白なんですか」
「なにか文句ある?」
「いや、ポリコレ的に問題はないのかなって……」
「そんなの、うんと昔の人にいいなさい!」
「あなたたち、さっそく息が合ってる」ももとタケルの掛け合いに、さくらが可笑しそうに笑った。
「たまたまね。ほんとうに白いのよ。そして、あなたがそうである白の狼は、遥か昔から存在したのに、いろいろあって久しくこの地にいなかった。条件をクリアするのは難しいのです。だから、わたしたちも長く帰りを待ちわびていました」
「そうよ。なりたいって希望者はいるの。でも、なれないんだから仕方ない」
「ところで」タケルはやっと本題を聞くことができた。
「僕はなにをさせられるんですか。死なずに済むのはありがたいですが、ただの高校生なんです」
一瞬間があいて、うふふ、やっぱり気になる?という感じで二羽は笑った。
「さっきも言ったでしょ。プロテクター、平たくいえばゴーストハント。英語に言い換えるのは、日本語だと率直過ぎて物悲しいせいだけど。クールビズみたいなものね」
「えー」タケルは恐る恐る聞いた。「学校の幽霊とか口裂け女とか、訳あり物件に夜、出てくるのをお祓いするわけですか」
「うーん、もうちょっとワイルドなのを想像しといてもらえるといいかな」
「兄が単行本を揃えている妖怪ハンターってマンガのシリーズがあるんですが、違うのかな。あっ、一冊借りっぱなしだ。返しておかないと怒られる」
「おそらく、稗田先生のような知的なアプローチとは違うと思うの。D様みたいな華麗な剣技とも。あなたには基本、魔力も妖術も通用しないし、あなた自身も火を吐いたり目から光線を発射したりはできない。と、いうことは」
「ということは?」
「どつきあいで解決するしかないわね」ももが嬉しそうに言った。「北斗の拳の世界よ。あっ高校生だからクローズか」
「やだなあ、それ。死なないで済むのは嬉しくとも喧嘩は苦手なんです。ボランティア精神にも乏しい。だいたい、人付き合いが苦手です」
「大丈夫。若いんだから、すぐに慣れるわ。インターンシップより経験値はずっと上よ」
「夜に時間をとられたら困ります。いちおう進学希望だし」
「あなたの通う高校が、このあたりで一番古くて真面目くんだらけということぐらい、あたしたちだって知ってるわよ。勉学の邪魔はしないから」
「うーん」タケルは頭を抱えた。
しかし、その態度を応諾とみたのか、「抗う手段のないひとびとを助け、魔物を退けるのが白の狼。あなたの新しい命はひとつの役目を背負っています」
さくらはそう言って、タケルを真っ直ぐに見た。小鳥の姿のために表情は読めないが、いずまいを正したのはわかった。「いろいろ思うところはあるでしょうが、まずは素直に受け入れ、取り組んでください。魔を払い家族や友人を守るのは、あなたにしかできないのですから」
「えっ」タケルは焦った。「もう決まりってことですか」
「ごめんね、でも仕方ないの。実際に魔物は跳梁してるし。正直言って、いまどきの奴らを大人しくさせるには、ただの狼男じゃ役不足だったの。霊能力者なんて連中に至っては、ねえ。そうそう、白の狼は魔物にも銀の弾丸にも殺されたりしないから安心して。あたしたちもついてるし。力まず、自然体で為すべきことをしましょう」
「ええ。ようこそ、そしてよろしくね」
「え、え、ちょっと待って」
次の瞬間、タケルは人工呼吸器の作動音を感じていた。ベッドの上に寝ているようだ。
口や鼻の上に、なにかがいろいろ固定してあるのも感じるし、手指にはコードがつながっている。
そして、彼の長く閉じられたままだったまぶたが、次第に開いていった。
中央展示室の入り口に立ち、首をゆっくり左右に振ってのち、佐久間樹は小さく鼻をならした。
–––– やっぱりだ。やっぱりクサイ。
最近、職場である県立自然史博物館の展示エリアに足を踏み入れると、数回に一度、なんともいえない違和感を覚えることがあった。いまさっきもそうだ。
嫌なのは、たまに感じる独特の臭気だった。鼻の奥にしばらく残ってご飯がまずく感じたりする。今日も、昼食はこれからだった。
(やだなあ)とは思うが、服ににおいが付くなどの実害はないし、同僚のうちに同調してくれる人間は誰もいない。実はにおいより気になるのは、意味のわからない、ささやき声のようなものが聞こえたりすることだが、これを口にすれば一発でノイローゼ扱いされそうだから、懸命に黙っている。
樹は、展示エリアへと繋がる廊下を通ってオフィスへと戻る最中だった。基本的に展示物も、それをしげしげ見つめる客の姿も好きなので、遠回りにはなるものの、中の様子がわかるこのルートを使うことがあった。
いまは平日の昼であり、館内に行列や渋滞はない。昨日は、開催中の「ミイラ、木乃伊、mummy」を目当てに二つの小学校から見学がやってきていて笑ってしまうほど賑やかだったが、今日はその手の予約はなく、館内はふだんの静謐さを保っている。
幼児の泣き声がした。そっと確かめてみたら、母親らしい女性が子供はそっちのけで、ガラスケースの向こうに並ぶミイラの副葬品の前にはりついていた。
自分の母親との間にも似たような記憶があり、樹は微笑を抑えることができなかった。
変な気配さえなければ、もっとすっきりと笑えるのに。
その時、彼女が上着のポケットに入れた仕事用の携帯電話が震えた。
「あー、先生ご一行が御到着だよ。裏の通用口から入って来ちゃった」
「はい、すぐ行きます」
彼女の足音が離れていく展示会場に、かすかな笑い声が響いた。
はっきりした声ではなく、物を擦り合わせるような音だったが、たまたま来場していた六十代と見える客は、自分のスマホに着信があったのかと誤解し、あわてて廊下へと走り出た。
誰もいなくなった部屋に、今度は別の笑い声が響いた。こっちはいかにも楽しそうだった。
副葬品類を収めたガラスケースにも変化があった。いくつかの立派な装飾品と一緒に置いてあった、掌に乗るほどの小さな箱が突然に開いた。
中にあったのは、黒く固そうな、鰹節のような物体だった。
鰹節はそれ以上動いたりはしなかったが、展示室の雰囲気はがらりと変わった。
急に妖しく、生き生きした気配が漂いはじめていた。
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