第42話 おべんと

 想定したいたことではあったが、やはり駅には人が多かった。

 ただ、駅全体として見れば多いというだけで、ホームなどを見れば自分たちと同じ場所に行く人間はそう多くない。

「シーズンの少し前だから、それほど混んでないな」

「そうだね。人混みはちょっと苦手だから良かったよ」

 座席券はあらかじめ純が用意していたので問題ない。万が一混雑していたらと思って時間に余裕を持たせたが、それほど人もいないので少し間ができた。

「純さん、おべんと買いに行こう」

「そうだな。今のうちに飲み物も買うか」

 電車内での販売もあるだろうが、軽食くらいの用意をするのはいいだろう。

 二人は売店へと足を運ぶ。シーズンを外れた平日の朝ということもあって、売店にはほとんど人がいなかった。

 店に入るなり心は飲食物の見本やメニュー表を見て回る。

「このおべんと美味しそう、でも、こっちのサンドイッチもいいな~」

 純も心を横目に見つつ、自分の分を決める。心と違い、純はあっさりと決まった。

「心、決まったか? 一緒に注文するが」

「……このサンドイッチとこっちのおべんとのハーフサイズ」

「わかった。注文しよう」

 純がレジへ向かおうとすると、心が引き留める。

「先にお金渡すよ」

「旅行で掛かるお金は私に出させてくれ」

 純は自身の家の単純な資金という理由ではなく、年上の彼氏という立場として金銭を支払いたいと思う。心もそれがわかっているので、素直に承諾した。

「ありがとう。純さん」

「礼には及ばない」

 純は本心からそう思う。恋人は自分の小さなプライドを汲んでくれたのだから。

 レジで財布を取り出しつつ純は注文を始める。

「この弁当とこっちの弁当のハーフサイズ、サンドイッチ一つ、お茶二本。それと、こっちの冷凍ミカン二つお願いします」

 カードで支払いを済ませ、飲食物を受け取る。

「さて、そろそろホームに行くか」

「うん。あ、袋はぼくが持つよ」

「頼む」

 純は心に袋を預けると、懐から座席券を取り出して確認。ホームの停車位置を確認して電車を待つ。時間の確認をしていたこともあって、電車は数分のうちに到着した。

 乗車して座席まで辿り着くと、純は心を窓側に座らせる。

「僕がこっちでいいの?」

「ああ、遠慮せずに外の景色を見ると良い」

 まあ、まだホームだから景色らしい景色は見えないのだが。

 そんなやり取りをしつつ二人は着席。発車に合わせて弁当を食べることにした。

 二人にとっては少し遅めの朝食だ。

「いただきま~す」

「いただきます」

 食べ始めたタイミングこそほとんど同じだったが、心はよほど空腹だったのか早いペースで食べ進める。

「あんまり急いで食べると良くないぞ。ほら、お茶もあるから」

 純はペットボトルを差し出す。心はそれを受け取ると、手早くキャップを開けて飲み始めた。

「ぷはっ」

「大丈夫か?」

 息を荒げる心を見れば、流石に純も心配になる。呼吸を整えてから心は純に笑いかけた。

「大丈夫。ありがとね」

 心は自分の弁当のおかずを箸で摘む。

「お礼にこのイカリングをあげる。あ~ん」

 思わぬ流れに純は一瞬躊躇ってしまった。飲食が珍しくないとはいえ、ここは電車内。過去に行った飲食店とは違うのだ。

 なんだか周囲に見られているような気もする。

「食べないの?」

 あんまりにも躊躇していたので心は悲しそうな表情になってしまう。そんな顔をされては純も食べるしかない。静かに顔を寄せ、無言のままイカリングを口にした。

 唯一出た感想はと言えば。

「おいしいな。これ」

「でしょ?」

 心の笑顔を見れば、さっきまで抱いていた恥ずかしいという感情も二の次だ。そもそも、心を好きになったときだって、羞恥なんて感情のないまま声をかけたじゃないか。

 思い起こせば、何を今更といった感情だ。

「どうしたの?」

「いや、一緒に旅行に行けて良かったと思ってな」

「僕もっ」

 心はとびきりの笑顔で応えてくれた。純はなんだか照れくさくなってしまい、窓に目をやる。

「お、いい景色だ」

「ほんとだ。晴れてよかったよ」

 景色を見ながら弁当とサンドイッチを平らげる心。

 純は冷凍ミカンを取り出して、皮をむき始める。実を一切れ摘んでから心に声をかけた。

「心」

「うん?」

 振り向いた心の口に冷凍ミカンを差し出す。心は冷凍ミカンを正確に認識する前に反射的に口を開けてしまい、冷え切った果肉を口内へと招き入れた。

「ひゃっ」

「冷凍ミカンだ。心の分もある」

 悪戯が成功したときのような顔になる純。心を虐めようなんて考えたこともないが、愛らしい反応を見ると、何かが上手くいったような気になるのだ。

 そうして、二人で景色を見ながら冷凍ミカンを食べて、少しの時間他愛もない話をした。

 しばらくすると、いきなりはしゃいでしまったせいか心はウトウトし始め、そのまま眠ってしまう。

 楽しんでくれたのなら、電車での移動を選択して良かったと純は思う。ただ、帰りは車の迎えを寄こして貰った方がいいだろう。その方が、心も帰路の疲れを気にせず楽しめるだろうから。

 このあとに続く心とのひとときに想いを馳せ、純は恋人の寝顔を優し気に見つめた。

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