第5章 二人のバカンス

第41話 出発日の朝

「純さんとバカンス? 行きたいっ!」

 純からの誘いを受けた心は躊躇なくそう返した。

 純と心から二人で旅行するという計画を聞いた理貴と椛も「素敵な思い出を作ってね」と乗り気だった。

 こうして二人は旅行に行くことが決まった。

 そして迎えた出発日。

 純は心を迎えに行った。

「あ、純さん。おはよう」

 晴天の下、玄関の前で待っていた心は笑顔で出迎えた。

 心は白地のシャツを着て上から日焼け防止の上着を羽織っている。

 つばの広い帽子の下では天気にも負けない晴れやかな瞳が純を見つめていた。

「おはよう心。今日はサブリナパンツか。珍しいな」

 純の言う通り、今日の心は丈が八分程度のパンツを履いていた。普段は見ない服装に純も目を惹かれる。

「そうでしょ? 似合う?」

「ああ、当然だとも。心は何を着ても綺麗だ」

 純の言葉は世辞ではない。心は元々細いので大抵の服が似合う。

 今回の装いではワンピースを着ていたときと違い、ゆったりではなくスッキリとした印象を受けた。

「えへへ。ありがとう。ほんとはサンダルにしたかったんだけど、移動は靴にしたの」

 心の足元に目をやればデッキシューズがあった。

 確かにこれから移動するのだからサンダルのように素足を露出させるものよりかは靴の方が良いだろう。

 心たちは姉二人に声をかけると車に乗り込んだ。

「車で行くの?」

「いや、車は会社に停める。歩いて駅まで行ったらそこからは電車だ」

 心がシートベルトを締めるのを確認すると、純は緩やかに車を発進させる。

 心の家から純の会社までそれほど時間はかからない。

 心は純の運転の邪魔をしないように静かに座る。

 住宅街を抜ける頃、純の方から心に話しかけて来た。

「なあ、心」

「うん?」

「済まなかった。家の問題に巻き込んで」

「気にしてないよ」

 一拍の間ができる。

「そう言ってくれると助かる。あれで、うちの親父も昔はあんなに捻くれてはいなかった」

 純は一度そこで口を閉ざすと左右を確認して交差点を曲がる。

 心は黙ってその様子を見つめていた。

「兄の母。雪彦のことなんだが……母が死んでから父はああなってしまった。まあ、息子の私から見ても元から優秀な人では無かったんだが、もう少し素直だったと思う。それでも心への態度が許されるわけではないがな」

 父の態度、言動には皆が振り回されて来た。だが、その状況に関係者が甘んじていたのも事実。もちろん、純もその一人である。それは彼自身も理解していたし、純も父一人を悪役にすれば万事が解決すると思っているわけではない。

 だが心には理貴も、今守も、昔乃も、父も関係ない。ただ純を好きになって、その結果父の当てつけにあってしまった。

「ごめんな、心」

 純は間を空けてから謝る。

 心は「気にしてない」と言った。だから、純が何について詫びたのか心には正確にはわからなかった。ただ、今の純の一言には多くの意味があるのだろうということだけは心にも理解できた。

 今走っている長い直線を抜ければ純の会社に辿り着く。

 信号で停車したとき、心は正面を見たまま純に話しかけた。

「純さん」

「ん?」

 心は顔も目線も動かさずに軽く拳を握るとそのまま純の肩のあたりを軽く叩いた。

 ぽすっ、とコミカルな音が鳴る。

「この一発で許してあげる。……うそ、許さない。やっぱりもう一個くらいぼくのことを褒めて」

 信号が青になった。純は車を発進させる。

「……車を停めてからでいいか?」

「うん」

 しばらく車を走らせ、純の会社の地下駐車場に駐車する。

 車のエンジンを止めた純は、助手席の心に顔を向けた。

「アイメイク、可愛いな。いつもと違う心も素敵だ」

 改めて口にすると語彙が貧困になってしまう。心はいつもメイクをしないからどう褒めるのが良いかわからない。

「薄くメイクしたの、気づいてくれたんだ。じゃあ許してあげる」

 太陽の届かない地下駐車場。さらにその駐車場の明かりも遮られる車内で心の悪戯っぽい、そして素直に嬉しそうな笑顔が純にははっきりと見えた。

 純が何かを言う前に心は荷物を持って車を降りる。

 純もそれに続いた。

 心は笑顔だったが、嬉しいのは純も同じだった。

 普段化粧をしない心が、自分と過ごす時間を意識してくれたことに特別なものを感じる。

 純は鞄を肩から下げると、心と共に出口へと歩き出す。

 今日からしばらく真夏日の予報。

 出口を出るとき、二人の目に果てしない青空が映った。

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