第38話 兄弟が揃った日
理貴の過去を心に明かした後、春田は純からの電話を受けていた。
「うん。わかった。兄貴も安全運転で来てくれよな」
通話を切ると権蔵が春田へ近づく。
「純は急ぎか?」
「ああ、親父がこっちに来てるらしい。どっちかに気がついたんだろうな」
「漏れるとすれば理貴の方じゃろうて」
「それもそうか」
二人で会話を閉じると春田は心と理貴の方を向く。
春田の真剣な表情から心たちも状況が良くないのだと悟った。
身構える二人に春田が状況を説明する。
「実は今兄貴、まあ純なんだけど、連絡があってさ。どうも親父がこっちに向かって来てるらしい」
春田の話を聞いて心は表情を険しくする。彼は春田の父である蔵人に良い印象を抱いていなかった。
だが、理貴は弟とは違って身体に力を込めて春田の目を見る。
「私が対応すればいいの?」
春田は内心、自分と理貴の二人で父と相対するのも面白いと思ったが、今回ばかりは話が違う。
「いや、基本的には俺たちがやる。というより、今日は何があっても俺が前に出る」
春田は苦虫を噛み潰したような顔で言った。けれどもその声には高揚感のようなものが含まれていると心は感じる。彼の声に含まれる感情の正体は何なのか心にはわからないが、春田の口ぶりからして純と何かを企てているのは間違いなさそうだった。
「ねえハルハル。前に出るって言うことは、何か起こるの?」
失敗だったとはいえ、前回はこっそり帰そうとしてくれたのだから今回も同じでいいのではないかと心は考えてしまうが、それをしないのは春田に考えがあるからだろう。
「そうだな。理由は幾つかあるんだけど、一つはここで決着をつけないと親父がココロちんの家まで怒鳴り込みかねないからだな」
昨日の今日で理貴の行動が知られているのなら、下手に帰せば家の方に行くかもしれない。そうさせないために春田はここで二人を待たせることにした。
「それと……」
春田が他の理由を言いかけたそのとき、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「春田っ! お前はまたあの女たちを呼びつけたなっ!」
想像通り、そこに来たのは蔵人だ。顔を赤くした彼は権蔵の存在に一瞬躊躇うものの、興奮した勢い任せに息子を怒鳴りつける。
しかし春田はそれに怯むことなく応じた。
「理貴が来たことで親父に不都合があるのかよ?」
春田の言葉は瞬く間に父の記憶を呼び起こさせた。
「なんだとぉ!」
蔵人が憤慨するのは不都合ではなく、私怨である。かつて自身が幾度も理貴に出し抜かれたことを今も根に持っているのだ。
そもそも権蔵たちの話でもはっきりしたように今の理貴は立場上佐倉の人間であって昔乃の人間ではないし、例え昔乃理貴を名乗ったとしても昔乃グループは今守と協力関係にあるのだから敵対することはない。
「いい加減にせんかっ!」
権蔵は蔵人の態度に口を出す。これは父や一個人というものだけでなく、先代当主としての言葉でもある。立場上、戸籍上は佐倉家の理貴だが、血縁上は昔乃の人間である。かつての体制ならいざ知らず、昔乃のトップが真希になった今、理貴は戻ろうと思えば昔乃に戻ることだってできるだろう。
いわば彼女は昔乃グループの一端でもあるのだ。そんな人物に今守の現当主が敵意を剥き出しにして罵詈雑言を吐くなどあってはならない。
これまで築いた昔乃との協力関係にひびを入れるだけでなく、今後の今守財閥の信用にも関わってくる。
「ですがね。この女が、いったいどれほど我々に不利益をもたらしたか……」
威勢はなりを潜めたが、それでもまだケチをつけてくる。権蔵は自身が父としても当主としても中途半端であったことを息子の態度から思い知らされた。
何度も同じようなやり取りを繰り返しているにも関わらず、まったく改善されない行為と関係。それは権蔵と蔵人の半生そのものでもある。
春田は祖父を横目に父へ侮蔑の眼差しを向けた。
「俺は物心ついてから今日までずっと不思議だった。なんでお袋は親父を好きになったのか、俺には一度も理解できないままだ」
「なんだとっ」
春田と蔵人との間に流れる空気は権蔵とのそれよりも冷たい。春田の人生において蔵人の存在しない時間は無かった。記憶の父は今目の前にいる人間と何一つ変わらない。彼は自身を守るために他者を攻撃しては孤立し、孤立状態の自分を守るためにさらに他人を攻撃する。何も成長せず、学ばない男。それが春田から見る父の全てだった。
「お前という奴はっ、親に向かって!」
顔を赤くした蔵人は春田の胸倉を掴んだ。流石に止めようとして心が一歩踏み出したとき、部屋の出入り口から声がした。
「いい加減にしろっ!」
良く響く声だった。室内にいた誰もが声の主へと目を向ける。
そこにいたのは背の高い青年だった。ショートカットの黒髪に同じ色の上質なジャケット。優し気な顔立ちは老若男女を問わず惹きつけるだろうが、今だけは負の感情を露わにしている。
「来てくれたか、
春田が呟くと青年は一度だけ頷いてから蔵人へ近づき、彼の頬をはたいた。
「雪彦、お前は……っ!」
「俺がいなくなる前から何も変わってないじゃないかっ! なんだこの有様はっ!」
このとき、心は彼が今守雪彦なのだと初めて知った。同時に、春田の口調からこの登場が計画されていたことだとも理解できた。
「やっぱり兄さん、と思ったら心たちも来ていたか」
今度の声は聞き覚えがあった。心が振り向けば愛しい青年の姿が目に映る。
雪彦は次男を一瞥すると再び蔵人に向き直って本題に入った。
「純も来たなら話が早い。この俺、今守雪彦は今守財閥の新当主に就任する」
これには当然蔵人も反発する。
「そんなことが現当主である俺を差し置いてできると思ってるのかっ!」
しかし、雪彦は態度を変えずに冷たく吐き捨てた。
「これは今守純と今守春田の二名からの提案であり、すでに先代当主を含む幹部陣の承認を得たものだ。子細は追って通達のうえ、幹部会での最終決定をもって完了とする」
雪彦の言葉には一切の感情が無い。機械だってもう少し手心があるだろう。
蔵人は彼の言葉を受けて、当主でも父でもなく、ただの個人として怒りを露わにする。
「今まで蒸発していたお前がそんな物言いをできる立場かっ!」
蔵人の言葉はもっともだったが、彼が当主としても父としても未熟な自身をいつまでも省みないせいで招いた事態である。なにより、雪彦を持ち上げたのは蔵人の傍にいた純と春田だ。彼らからすれば、蔵人の言葉は「お前が言うな」の一言に尽きる。
蔵人もそれが内心ではわかっているので純や春田の方を見ないまま拳を握り、大ぶりな一撃を雪彦に食らわせた。
躱すこともなく、父の拳を受ける雪彦は声をあげなかった。さすがに体勢を崩して床に倒れたが、すぐに立ち上がる。この一撃は甘んじて受けたが、蔵人が怒りを剥き出しにするなら息子である雪彦にも吐き出すものがある。
「いつまでもガキみたいなことやってるからだろうが……父親を無能だと認めて、俺みたいなクズに当主を任せなきゃならない息子たちの気持ちがお前にわかるのか!?」
雪彦のストレートは蔵人の顔を正確に捉える。低い声を出して倒れた父に長男は馬乗りになった。
「純がどんな声で俺に頼んだのかっ、春田がどんな顔で俺に会いに来たのか、お前には想像もできないだろうがっ」
雪彦は父を殴る。
「目を背けるのをやめろっ! もう母さんは死んだんだ。俺とお前を無条件に愛して、許してくれる女はもういないんだよっ!」
息を荒げる雪彦に対して、蔵人は呻き声をあげることしかできない。
「誰かに甘えるばかりじゃなくて、人間として成長しろよ」
何度も蔵人を殴る雪彦。傍から見ればただの傷害でしかないが、当事者の二人にすればこれまでの半生で最も親子らしい接触だった。それこそ、母が死ぬ前にこれができていれば、全てが上手くいったのではないかと後悔するほどに。
最後に雪彦は蔵人の胸倉を掴んで持ち上げる。
「俺たちはツケを払うときが来たんだ。当主として、父としての自覚が少しでもあるならそれを受け入れろ」
雪彦は手を離すと立ち上がって蔵人から離れる。
蔵人は何も答えないまま立ち上がると使用人に支えられながらよろよろと部屋を出ていった。
雪彦はその姿を最後まで見届けると兄弟たちに身体を向ける。
純と春田は兄の元へと駆け寄った。
「雪兄」
「兄さん」
純と春田はほとんど同時に拳を握ると駆ける勢いそのままに雪彦の胸を殴りつける。
「「この一発で許してやるっ!」」
父の殴打には声をあげない雪彦も、弟たちの一撃には「うっ」と低い声を漏らした。
倒れた兄に手を差し伸べる弟たち、手を伸ばす雪彦。三人の顔にはわだかまりも見えない。全てを投げ出して家を出ていたのは兄の責だが、ヘルプとして呼び戻したのは弟たちなのでこれ以上はなにもない。
「二人には、特に純には苦労かけたな。あの一撃は親父の一発よりも効いたぞ」
「二人分だからな」
笑う春田。
「いや、母さんの分もあるから三人分のつもりで殴った」
めずらしく口元に笑みを浮かべる純。
もちろん永眠した母、由貴夫人は息子を殴ってほしいなどとは思っていないだろうことは純にだってわかっている。こんな物言いをするのは、雪彦の気持ちに決着をつけさせるためでもあった。最愛の母は息子を許していると、純なりに伝えたかったのである。
事態を終始見つめていた心は、雪彦と目が合った。
「キミが心くん、そちらは理貴さんだね。純たちから話は聞いているよ。身内の恥を晒したことをお詫びする」
「い、いえ……」
「本当ならゆっくり話したいのだが、俺も来たばかりでやることがある。詳しい話は後日させてほしい」
そう言うと雪彦は権蔵と共に部屋を出て行った。
「心」
「純さん」
声をかけておきながら、純はなんと言うべきか悩んでしまった。
本当なら「お茶でも」と誘いたいが、仕事を抜けだして来たのだから流石にそれはまずい。それに雪彦や父のこともあるのでそこまで余裕もないだろう。
純の態度に気がついた心は理貴と春田に目を向けた。
「あー、そういえば雪兄に連絡することあったな。親父が何してるかも確認しないと」
「あら、それじゃあ帰りはどうしようか」
わざとらしいやりとりをする二人。
お膳立てをして貰った心は純に手を差し出す。
「純さんがよければ、ぼくたちを送ってほしいな」
純もこれが心の気遣いだとわかったので彼の手をとった。
今の純にも、会社に戻る前に心たちを送るくらいの余裕はある。
「そうだな。是非送らせてほしい。少し話もしたいしな」
「うん」
心は笑顔で答えた。
今守の御家事情を目の当たりにしても愛らしい笑顔を見せてくれる心。
父に祖父、さらには雪彦。純が落ち着くまではもう少しやることがあるだろうが、この笑顔を見れたなら容易に乗り越えられる。純は胸の奥からそう思えた。
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