第33話 明確な壁
初めて今守邸で過ごす時間、佐倉心という少年は春田、権蔵の二名にも受け入れられていた。
この要因として元々理貴が春田と権蔵と知り合っていたのもあるが、心の人柄も大きい。
ゲームも食事も、ささやかな会話でさえ心は幸せに感じる。
この日、心は完全に今守家の人々に受け入れて貰えたのだと思っていたのだ。
雲行きが怪しくなったのは午後のこと。
皆で談笑している最中、純は自分のポケットをまさぐる。
「ん? 端末に連絡が……すまんな」
どうやら仕事の連絡が来ていたようで純は席を立ってその場を離れる。
「もしもし、今守純だが、これは本当か……?」
部屋の隅でなにやら話し込む純。
何か問題が起きたらしいのは心にもわかるのだが、状況が飲み込めない。
だが、春田と権蔵は純の言動から何かを察知したらしく、春田の表情は曇りはじめ、権蔵は怪訝な顔を見せる。
理貴と権蔵がアイコンタクトをとる裏で、春田は心に耳打ちした。
「ココロちん。ごめん、今回はこの辺でお開きだ」
「うん。今日はありがとね」
純の態度から察するに、春田たちは純の仕事のトラブルを処理するのだと受け取った。
心は理貴と共に支度を済ませ、純たちと共に屋敷を出ようとする。
心にはよくわからないが、何やら今守家の男たちはピリピリしていて、理貴の表情もいささか固い。
そして大広間を抜けようとしたとき、心はこの雰囲気の元凶を知ることになった。
「純はいるかっ!」
付き人に扉を開けさせて開口一番。怒鳴りながら現れたのは今守の現当主。純たちの父であり、権蔵の息子である
醜悪とはいかないまでもその人間性や半生が垣間見えるような空気を纏い、肥えかけた肉体を上質なスーツで覆い隠した男はとても純や春田を育てた人物とは思えない。
心たち一行の前に出た純は蔵人とにらみ合う。
「俺がいないうちにおかしな人間を呼んだらしいな」
「なんのことかわからんが、少なくともおかしな人間はいないな」
純の口調には静かな怒りが秘められている。彼の感情にあるのは心や理貴を蔵人から守ろうとする怒りだった。
「なんだとっ!?」
純の返答に苛立ちを隠そうともしない蔵人。
おおよそ親子とは思えない態度で接する二人に、春田が割って入る。
「そもそも客呼んだのだって俺だぜ」
「お前があの阿婆擦れを呼んだのかっ!」
蔵人は理貴を指差しつつ春田に怒鳴りつけた。
「なんだとっ」
友人を阿婆擦れ呼ばわりされて春田が拳を握る。
心も身体に力を入れた。姉のこと大切に思う心は春田以上に激しい衝動を感じる。
理貴を悪く言われた心が前に出ようとするすんでのところで権蔵が口を開いた。
「二人は儂の客人でもある。いかに現当主であっても不法侵入したわけでもない客を悪く言うことは許さん」
静かな声だったが蔵人はたじろく。
先代当主兼父親である権蔵には蔵人も流石に気圧されるようだ。
権蔵のおかげで少しは冷静になれた心だが、何も言わない理貴の顔を見て今度は悲しい気持ちになった。
「しかしですねぇ……そこの女が……」
蔵人は何かを言おうとするも尻込みしてしまう。
理貴は何やら今守家の人間たちと接点があるようだが、心の知らないことだった。
「そ、そういえば……お前っ、純に色目を使って利用しようとしているそうじゃないか。姉弟揃って卑しい連中だ」
真正面から権蔵と言い争うつもりはないようだが、自分の非を認めようとはしない。それどころか心にターゲットを変更して姉弟共々中傷していく。
心からすれば純との交際をそんな風に言われるのは遺憾だ。
自分たちの交際は不純なものではない。そう主張しようとしたとき先に友人が声を上げた。
「いい加減にしねえかっ!」
この態度に春田も激怒する。
今守家の当主として、親として、大人として、なによりも一人の人間として蔵人にこれ以上の醜態を晒させるわけにはいかない。
その行為で友人が傷つけられるのなら猶更だ。
「おっ、お前は親に向かって……っ!」
「親以前に今の自分が人としてどうなのか省みろよっ!!」
親子の口論が始まると、権蔵が心たちを扉まで誘導してくれた。この隙に帰らせてくれるらしい。
外では端末を持った純と送迎用の車が停まっていた。
「今日はすまないことをした……」
家庭の問題に関わらせて心底申し訳なさそうな純。無論心に彼を責めるつもりなどない。
「ううん、気にしてないよ。それより純さん……また、会ってくれるよね?」
純が言いにくい、言えないことに気がついた心は自分から彼を誘う。
「あっ……ああ、会うとも。また、心に会いたい」
純が言うのを躊躇った言葉は、彼にこそ必要なものだ。
心たちが乗車してドアを閉めると、運転手が「ご自宅まででよろしいですね」と言って車を走らせた。
窓越しに遠ざかる純を見つめ、心は今日の出来事を振り返る。
純との交際を続けるのなら、蔵人の問題と向き合わねばならない。
それは恋人というプライベートな関係の先にある。今守という一族の問題でもあった。
純が今守家、ひいては財閥そのものを背負って生きるのであれば、決してのがれることのできない問題。
「純さん…………ぼくは、必ず」
蔵人と春田の応酬を見ている限り彼との関係どうにかするのは簡単なことではないが、心は諦めない。
春田と権蔵が自分を受け入れてくれたのは心の支えだ。
胸に微かな炎を灯した心はふと、隣に座る姉へと目を向ける。
黙って窓の外を見つめる理貴は、意図して心から顔を背けているように見えた。
窓ガラスに映る理貴の顔に街灯の光が差し込んで涙のように輝いている。
心には窓ガラスの向こうにいる姉が泣いているように感じられた。
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