第31話 今守邸
「間もなく到着いたします」
運転手の言葉を聞いて、心は窓から外を覗く。
ハルハルこと春田によって連れてこられたのは今守邸だった。
車内でのおしゃべりが盛り上がっていたため心は正確な時間を計っていないが、それほど遠くに来たわけではないだろう。
大きく頑丈そうな門を抜けると、広い庭園の先に屋敷が見える。
大きさに対して飾り気のないシンプルなデザインの屋敷だが、それゆえに普段の手入れやきめ細かな清掃が行き届いているのだと一目でわかる。
運転手にドアを開けてもらい、敷地を初めて踏んだ心はお礼を言ってから辺りを見回す。
屋敷の庭園には大きな噴水があり、飾り気のない屋敷とは違ってこちらは美しい装飾が施されている。
「どうだい?」
「綺麗な庭だね。お屋敷も」
「お褒めに預かり光栄」
背後から声をかけてきた春田に率直な感想を伝えると、彼はにこやかに返した。
「この庭を見ていたら、思い出したことがあったよ」
「何を思い出したんだい?」
「ぼくの好きな人の、お母さんと花壇の想い出だよ」
心の言葉で春田は息を呑む。
見知らぬ他人の不幸を自分に置き換えるような、冷たく、ささくれた空気が春田の胸の奥から吹き抜けた。
彼はほとんど意識しないまま心に声をかけた。まるでそれが必然であるかのように、何の迷いもなく。
「帰る前にでもいいから、あそこにある花壇も見てやってほしい」
その声は先ほどまで車内で笑っていたのとはまったくの別人だと感じさせるほど、静かで、落ち着きと微かな寂しさを含んでいた、
「今じゃなくていいの?」
春田の表情を見た心は咄嗟に聞いてしまう。
彼がどうしてもその花壇を心に見てほしいのだという気持ちを受け取っての発言だったが、余計なことだったかもしれない。
春田は口元に手を当てて考え出す。その顔はもう、初めて会ったときのような好青年の雰囲気に戻っていた。
「う~ん、今は手入れをしてるかもしれないしなぁ」
「そっか、それなら邪魔しちゃ悪いね」
専門の業者などが手入れをしているのなら仕事の邪魔をするわけにはいかない。
春田に促されるまま心と理貴は屋敷へと入る。
「いらっしゃいませ」
使用人たちが客人である佐倉姉弟を出迎える。
心はその光景もだが、「いらっしゃいませ」という言葉を店以外で言われたのが初めてでそちらに意識がいってしまった。
「それでこっちが俺の部屋ね」
春田に促されるまま広い個室に入ると、そこには今日遊ぶ予定のゲーム機が揃えられていた。
「そうそう、ついでにもう一人の参加者も呼んでくるよ。悪いけど部屋で待ってて」
「うん」
そう言って退室する春田。
入れ替わりでやって来た使用人から飲み物を受け取ると、心は整理されている部屋の真ん中に座って姉へと話しかける。
「ハルハルのお屋敷ってすごいね」
「そりゃあ、ココロちんの彼氏の弟だし」
心は飲み物に口をつけようとしたまま動きが止まる。
「えっ?」
「えっ?」
顔を見合わせる姉弟は同じ表情になる。
「ハルハルって今守の人なの?」
「……そうだよ。もしかして、知らなかった?」
「今知ったよ」
理貴は過去の記憶を遡っていく。
そういえば、春田を心に紹介したときも「ハルハル」というあだ名で説明したし、お互いに家庭などの話はしなかった。
そもそも、春田と理貴、心の三人で交流し始めたのは心と純が交際するよりまえのことだ。
そのときは今守の人間かどうかを知ったところで何かが変わるわけではなかった。
理貴は諸事情あって春田のことを知ったが、心は何も知らないまま友人として過ごしていたのだろう。
今更ハルハルについて教えるにしても、どこから説明するべきか悩む理貴。
声に出して「うーむ」と唸る理貴と、姉につられて勝手に混乱し始めた心。
二人の元に、件の人物が舞い戻る。
「お待たせ二人とも。今回は四人用のゲームもするから、うちのじいちゃんもまぜてくれよな」
ドアを開けた春田の背後に、見知らぬ人物がいた。
「久しぶりじゃな、リッキー」
「久しぶり、ゴンスケ」
理貴の視線の先にいたのはスキンヘッドの老人だ。
彼こそが春田や純の祖父であり、今守家の先代当主である
柔和な笑顔と明るい口調、仕草に至るまでその全てが孫を可愛がる祖父といった様相で、心は少し緊張するものの春田のときと同様にどこかで親しみを覚えた。
「そっちが心くんじゃな。儂は春田の祖父で今守権蔵、気軽にゴンスケと呼んでくれ」
「はじめまして、よろしくお願いいたします」
頭を下げて挨拶する心。
「春田から話は聞いておったが、見た目は本当に女の子じゃのう。リッキーが自慢したがるのもわかるわい」
この言葉は心にとって嬉しいものだった。
心は姉たちに憧れ、お揃いになりたいという意志から女装しているのである。彼にとって「女子のようだ」という言葉は褒め言葉であり、自分の容姿を褒められることは姉共々褒められたような気分になるので嬉しさも増すのだ。
権蔵は心について理貴から多少は聞いていたので、女装について触れることが彼にとって悪いことではないと知った上での発言だった。サービスの意味も込めた言葉だったが、ほとんどは権蔵の本心でもある。
「でしょう?」
理貴は心に代わって得意げな態度を見せる。
「俺も初めてココロちんを見たときは姐さんの自慢が嘘じゃなかったってのを思い知らされたよ」
そんな感想を言い合いながら、春田が準備を進めてゲームを始める心たち。
窓から日差しが入り込んで、笑い合う彼らを照らしていた。
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