第19話 幼馴染みとしての純と真希

 真希にとって「今守純」という男性は兄弟のような存在だった。

 彼と初めて出会ったのは、真希と純がまだ子どもだった頃のことである。

 真希にとっての純は幼馴染みであり、兄弟であり、一時は想いを寄せる相手だった。なら純にとっての真希はどういう存在だったのだろうか。

 心に説明しつつ、真希は自分の思い出を振り返る。


 純には兄がいて、幼い頃の純は、いつも兄の後ろに隠れてるような少年だった。

 私は何かの用事で両親に連れられて今守家の屋敷に行ったことがきっかけで、純たちに出会った。

 今守財閥と昔乃グループは共同で事業を手がけたりしたことなどもあったため、長い付き合いだ。おそらくその関係で屋敷に行ったのだろう。子どもながらに他所の屋敷へ行くのは緊張した記憶がある。

「真希、今守家には真希と同じくらいの歳の男の子がいるんだよ」

 屋敷に入るとき、私の手をとる父がそう話してくれた。

 当時の私には兄弟もおらず、男の子の友人もいなかったので仲良くなれるか不安だったものだ。

 屋敷に着くと、今守家の人々に挨拶を済ませた私は早々に暇になった。

 親たちの取り計らいで、親同士で話し合っている間、使用人の案内で敷地内を散策することになった私は、廊下を歩く。

 広い屋敷を繋ぐこの廊下には無数の窓から太陽の光が降り注ぎ、足音を立てることのない、高価で踏み心地のいい絨毯を照らしていた。

 しかし、人の気配がしないその廊下はほとんど無音で、使用人も必要以上に言葉を発さないため、明るさに反してなんだか寂しい空間だった。

 散策というと探検のようでワクワクしたが、実際には使用人も今守家の人間であるため、馴染みの人物もおらず、幼い私はなんだか独りぼっちのような気さえしてくる。

 寂しいような感覚に纏わりつかれながら歩いていると途中、黒髪の兄弟に出会った。

 案内の使用人たちが兄弟に挨拶し、私と兄弟を交互に紹介する。

 私も兄弟に挨拶した。

「初めまして、昔乃真希です。どうぞよろしくお願いします」

 緊張したがなんとか言葉にできた。

 すると兄弟のうち、兄であろう背の高い少年が挨拶してくれた。

「ご丁寧にありがとうございます。俺は今守雪彦です。こちらこそよろしくお願いします」

 柔らかな声と口調、温かな笑顔。彼は「雪彦」という名前とは裏腹に、今も降り注ぐ陽の光のような温もりを感じさせた。

 挨拶を終えた雪彦さんは自分の背後に隠れた少年に振り向くと声をかける。

「ほら、純も挨拶しなよ」

 雪彦さんに呼ばれた少年は兄の背後からゆっくりと姿を見せ、聞こえるかどうかギリギリの声で挨拶をした。

「は、初めまして、今守純です」

 それを聞いた雪彦さんは少し笑う。

「失礼、純は引っ込み思案なところがあってね。声が小さいのとか、俺の後ろから出てこないのとかも悪気はないから大目に見てあげてほしい」

 そう言った。

 その後は、雪彦さんが使用人を戻らせて、三人で庭に出た。

 庭の花壇には赤い花が咲いている。気を引かれるが、私は花のことがよくわからない。

「綺麗ね。なんて花なのかしら?」

 よくわからないなりに私が観察しようとすると、純が近づいてきた。

「真希ちゃん、あの、その……」

「なあに? 純くん」

 もじもじする純に雪彦さんが助け舟を出す。

「純はその花の名前を教えたいんだ。聞いてあげてほしい」

「教えて、純くん」

 雪彦さんの言葉と花への純粋な興味から純に訊いてみる。

 すると純は笑顔を見せてハキハキと話出した。

「その花は、サルビアって名前で、英語だとセージって呼ばれるんだって」

「そうなんだ。セージは聞いたことがあるけど、この花だったんだね」

 私は感心した。それから少しの間、純が花壇の花について説明してくれた。この一件のおかげで、純とも少し仲良くなれた気がした。

 その後は三人で庭にある小屋やガレージをこっそり探検した。

 私は男の子の友人と兄弟をいっぺんに得たような気持ちになった。

 しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎて帰宅することになる。

 帰り際、雪彦さんの母である由貴夫人から「また来てね。雪彦や純と仲良くしてくれると嬉しいわ」と言ってもらえた。

 車に乗って窓を覗いたとき、手を振る雪彦さんと純が見えた。私が手を振り返すと父は「二人とは仲良くなれたのか?」と訊かれた。

 私は「少しだけ」と答えた。

 この日から私たちの交流は始まった。


 交流が始まったと言っても、頻繁に会えるわけではない。お互いに都合もあるし、親も忙しいのだ。私たちの交流はもっぱら文通だった。

 私たちは文通をしながら、再開する計画を立てた。

 実を言えば、この頃の私は純よりも雪彦さんのことが好きだった。正確には憧れていた。

 この頃の純を評価するなら、根は優しいが相手への配慮がすぎる(相手のことを思いすぎる)人だった。悪いことではないが、引っ込み思案な性格も相まって、うまく自己を表現できなかったり、前に出てこれないことがあったのだ。年齢を重ねるとこの性格は他の部分とうまくバランスが取れるようになって、彼の魅力になったと思う。

 しかし、当時は純よりも雪彦さんに会いたっかのだ。雪彦さんに会いたかった私は直接そう言うのが恥ずかしかったので、「純くんに会いたい」と父に伝えた。

 すると意外にもあっさりと再開の都合がついたのだ。今にして思えば、親たちはこのときから私と純の結婚を視野に入れていたのかもしれない。もっともこの時はまだ、親の尻拭いではなく、両家の関係強化くらいの意味合いだったのだろう。

 純を出しにした私の計画は半分成功し、半分失敗した。

 純と再開したことで、雪彦にも再開できたのだ。これが成功である。

 同時に私と純以外の人間は「真希は純に好意がある」と受け止めたらしい。純を口実に使ったためにややこしいことになってしまった。何より、雪彦さんまで気を遣って私と純を二人きりにしようとしたのは誤算だった。

 だが結果的にこれはよかったのかもしれない。それからしばらくして雪彦さんと純との関係に変化が訪れるようになった。

 周囲の計らいで必然的に純と二人で過ごすことが増えた私はそれまでよりも純に好感を持つようになった。

 そして、決定的になったのは雪彦さんの母である由貴夫人が亡くなられてからだった。

 由貴夫人はあまり身体の強い人ではなく、いずれこうなる可能性はあったのだと後になって知った。

 由貴夫人が亡くなられてから純は悲しみ続けていた。

 それを知った私は塞ぎこんでいる純を元気づけようと、今守邸に行き、純を訪ねた。

 純は私を見るなり大泣きした。大粒の涙を流し続ける純にどうしてあげることもできずに私は彼を抱きしめた。

 純が泣き止んでから花壇に行こうと誘った。純は由貴夫人との思い出の品であろう、植物の手入れに関する本を持ち出した。

 夕暮れの薄暗い庭を抜けて花壇に向かう。使用人たちが手入れをしているはずの花壇は初めて純たちに出会った日よりも元気がないように見えた。あの日使用人と歩いた廊下のような寂しさを感じるのは、夕暮れだからというだけではないはずだ。

 花壇のサルビアを見た純はぐずりかけるものの、持ち出した本を抱きしめて堪えた。

「やあ、よく来てくれたね。真希さん」

 振り向くと雪彦がいた。私は驚いて声をあげそうになる。外見こそ雪彦さんだが、その雰囲気は別人のようだった。

「純も辛いなら、無理することはないよ」

 泣き腫らした純を見てそう声をかける雪彦さんは本心でそう言っているのだろう。しかし、なぜだか私は雪彦さんが怖かった。あんなに憧れていたはずなのにどうして。

 そう思ったとき、一瞬だけ何かの明かりが雪彦さんを照らした。

「ひゃっ」

 私は今度こそ声をあげてしまった。雪彦さんの表情は見慣れた笑顔だったが目は虚ろだった。

「じゃあ、俺は戻るから。二人とも暗いから気をつけるんだよ」

 私の悲鳴が聞こえたのか否か、雪彦さんはいつもと変わらぬ口調で屋敷の中へと戻って行った。

 それ以降、雪彦さんと私は疎遠になっていくのだった。

 それからすぐに今守当主は新しい夫人と再婚する。その夫人と当主の間にはすでにある程度の年齢の子どもがおり、純たちの弟になる。名前は「春田はるた」だ。

 私が純に恋心を抱くのはこれからしばらく経ってのことだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る