第9話 マニキュアとペディキュア

 心と慎の関係は概ね良好だった。雑談や食事などは恋仲になる前から行っていたが、交際が始まって以来、二人の距離はグッと近くなった。

 関係の変化としては、これまではほとんど慎がリードする形であったが、屋上での告白からは心が慎をリードすることも増えてきた。

 もともと慎も心もお互いに好意を抱いていたが、心は「共感」や「親近感」といった思考や感情が混ざっていた。そのため慎はともかく、心の側はぎこちない部分も多々あった。

 屋上の告白で心自身、慎から感じ取っていた「共感」と自身の奥に確かに存在する好意は別だと気がついたことが二人の関係に変化を与えることとなった。

 二人で過ごす時間も増え、それまでは学校で会うだけだった二人は、放課後や休日にも予定を合わせて会うようになった。

 放課後はお互い正門前で待ち合わせて一緒に歩くのが日課だった。

 この日は慎が入手したチラシを元に買物の計画を立てる目的があった。

「ねえ、慎さん。次のお休みは新しいコスメを見にいこうよ」

「いいよ。心くんが気になるって言ってたあのマニキュアも買ってみる?」

「うん、お揃いにするならあの色がいいから買いたいね」

 学校では未だ、「高崎先輩」と「佐倉くん」の二人だが、他人の目(主に学校関係)がないときは口調や呼び方、距離感も大きく変わる。

 これは慎が男子たちに人気なため、学校では目立たない方が余計なことが起きないだろうと考えた結果、二人でオンとオフを切り替えようと決めたことが発端である。

 それでも、付き合っているのだから何かしたいと思うのは自然なことだろう。心と慎もお揃いでなにか身につけようか相談した。最初は小さいアクセサリーにしようかという案が出たがなかなか決まらず、結果として偶然話題に上がったマニキュアとペディキュアに決まった。

 そして、週末の休日。駅の前には女装した心がいた。紺色のブレザーやスカートを着用したその姿から男性だと気がつく人はほとんどいないだろう。

「駅に着きました。改札を出て広場にいます、送信っと」

 メッセージを送ったばかりの心の端末に慎からの返信が届く。

 『心くん発見!』

 心があたりを見回すと駆け寄ってくる慎が視界に入った。

「こんにちは慎さん。慎さんの私服姿、相変わらず素敵だね」

「こんにちは。心くんも可愛らしいよ」

 紺色や黒が多い心の服装に対して、慎は白などを基調としたコーディネートだった。制服姿とは違った雰囲気の慎に、一歳とはいえ年上の女性だということを心は実感した。自分は今の慎ほど服を着こなせているだろうか。

 女の子らしい、という共通点は共感という形で心と慎を引き合わせたが、心と慎ではその質が違う。明るく清潔感のある落ち着いた印象のコーディネートは慎の魅力を引き立てる。心は何度か見ているはずの慎の私服姿に目を奪われる。

「あ、ここが目的のお店だね。チラシによると個人経営らしいけど、結構お洒落だね」

 どうやら心が慎に見惚れてる間に店に着いたようだ。店内に入ると女性の店員が「いらっしゃいませ」と明るく言った。

 目的のマニキュアは直ぐに見つかったが他の商品にも惹かれ、複数の商品を購入した。

 店内を何周もして買物が終わったときには昼過ぎだった。何か食べようと近くの店に入った。雑談と食事を楽しむ。

「買ったマニキュア。早く使ってみたいですね。」

 心の何気ない一言に慎は食いついた。

「ねえ、心くん。私のうちに来ない? こっから近いんだけど」

 心は予想しなかった慎の反応に焦った。

「あの、えっと、ぼくは男ですよ」

 心の反応が面白かったのか慎は笑いながら返す。

「知ってるけど、その格好で出歩いているときに言うの」

「あう、その、い、い、行きます」

 結局、心の動揺は慎の部屋に入るまで続くこととなる。

 慎の家に行く。言葉にすると単純だが、心にとってはハードルの高いことだった。それでも心が行こうと決めたのは慎ともう少し一緒に過ごしたいと思ったからだ。

 道中、慎からは心のことを家族に話したことがあるから大丈夫だと聞かされた。それを聞いて心は少し緊張がほぐれた。

「部屋を綺麗にしててよかったよ」

 慎が部屋のドアを開けながら言った。部屋は整理されており、慎の服装のように落ち着いた印象を与える。部屋にある上着などは大人のセンスを感じさせるが、ベッドに置いてあるぬいぐるみは愛らしい。

 慎に座るように促された心は、失礼だとわかっていても部屋のあちこちに目がいってしまう自分を抑えられなかった。同時に、大切なことに気がついた。

「ぼくは、慎さんのこと、なにもわかってなかった」

 心と自分の上着をハンガーに掛けながら慎が振り向く。

「急にどうしたの?」

「ぼくは、慎さんのことを女の子らしいとか、男の子の慎さんを愛するとか、知ったようなことを言ってきました」

 心から溢れ出る言葉たちは一度吐き出してしまえば、止まることがない。

 そして、慎はなにも言わない。

「でも本当は、慎さんのことをなにもわかってなくて、〈らしい〉なんて言葉にとらわれて、目の前にいる慎さんについて深く知ろうって考えてなかった」

 心のそれは、慎に向けた言葉というより懺悔に近かった。

 心は慎に向き直る。

「ごめんなさい。慎さん。それとお願いがあります。ぼくは慎さんのことを知りたい。ぼくのイメージじゃなくて、目の前にいる慎さんのことを教えてくれませんか」

 慎は微笑み。心に近寄る。

「ありがとう。心くん」

 その「ありがとう」にどれほどの意味が含まれていたか、心には推し量れなかった。

「まさか部屋に入るだけでこんなことを言われるとは思わなかったよ」

 言いながら慎はマニキュアをつけるための準備をする。

「塗ってあげるよ」

 心の手をとる慎。使うマニキュアは薄いピンク色に決めてある。

 心たちの通う学校はアクセサリーやメイクにそこまで厳しくない。メイクしている女子は数多くいるし、アクセサリーを身につける男子もいる。

 マニキュアをつけることは学校生活を送る上で問題にはならない。

 しかし、慎と心の二人でお揃いにするなら、あまり目立たない方がいいだろうという理由で薄いピンク色が選ばれた。

「心くんの指は綺麗だね」

 言いながら慣れた手つきで作業する慎。特に他意はないであろう慎の言葉でも、心は自分の指が誇らしく思えた。

 心のマニキュアを塗ったあとに慎は自分のマニキュアを塗った。

「次はペディキュアだね。私が心くんのペディキュアを塗るから、心くんには私のペディキュア塗ってほしいな。」

 少し甘えたような口調と表情。

 心は驚きを隠せなかった。

「いいんですか? ぼくが…慎さんの足に……」 

「構わないよ。というかお願いだよ」

 二人はお互いの足を相手に向けて体育座りのような体制をとった。まずは心のペディキュアから塗ることになった。

「心くんの足も綺麗だね。お肌もすべすべだ」

 感心したような慎の言葉に心は内心ほっとしていた。

(お手入れ欠かさずしていてよかったぁ)

 心が安堵している間に慎の作業が終わる。

「じゃあ、私の方もお願いね」

 そう言って慎は足を少し伸ばして、心に寄せた。

 心は恐る恐る慎の足に触れて、ペディキュアを塗った。慎の足は、美しく、しっとりとして肌が印象的だった。

 心は一生懸命塗ったつもりだったが、慎と比べると上手くできていない気がした。それでも慎は喜んでくれた。

 二人のペディキュアは水色だった。普段見せる部位でもないからマニキュアとは違う色にしようと考えた色だった。

 この日のことを心は忘れないだろう。心にとって幸せな日だった。慎も自分と同じように幸せだと感じてくれたら嬉しいと心は思った。

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