第6話 心の初恋

 その女性の名前は高崎慎。長い髪を結んで肩にかけるように垂らしているのがトレードマークの女性だ。

 慎に出会ったのは心が中学生のときだった。高校の説明会に参加した心は、説明会を手伝っていた慎とであった。出会ったと言ってもパンフレットなどの資料を渡されて、会場や校舎を案内してもらう、ごく普通の対応をしてもらっただけだった。

 味気ないといえばそれだけの出会い。誰もがわすれてしまうようなイベント。それは慎も例外ではないだろう。それでも心は覚えていた。心はこの日、慎が印象に残り忘れられなかった。まだ恋に落ちてすらいない心の初恋は始まる。

 それもなぜ彼女が気になるのか心本人にもわからないまま。

 心が高校に入学したとき、慎は二年生だった。整った顔立ちと優しい性格から多くの男子に人気である彼女は同時に高嶺の花でもあった。彼女に気のある男子は勇敢とも無謀ともつかない告白の末丁寧に断られて撃沈するか、遠目に見つめるかのどちらかであった。   

 それは心も例外ではない。先輩である慎となんの接点も持たない心は慎が気になりつつも話しかけることさえ出来ずにいた。

 入学してから少し経ち、心に転機が訪れる。新入生と上級生の交流イベントであった。幾つかのグループに分かれて行われるこのイベントで心は慎のグループに割り振られた。心はこのチャンスを逃すまいと勇気を出す。

「よろしくお願いします。高崎先輩には説明会でもお世話になったので、またお会いできて嬉しいです」

 ここまで喋って心は内心やってしまったのではないかと心配になった。いきなり説明会のことなんか言っても彼女は覚えていないだろう。むしろ変なやつだと思われたかもしれない。

 しかし、慎は微笑んで

「そうか、君は説明会に来てくれた子だね。でも私はあんまり覚えてないんだ。ごめんよ」

 と優しく答えた。これが慎と心の二人がお互いに意識し始めた最初の接点だった。

 このときから次第に接点が増え出す。

 例えば、挨拶するようになったり、雑談したりといったように、少しずつ関係が変化しはじめた。心から声をかけることも多かったが、慎も心を気にかけているようだ。

 慎と時間を共有するうちに、心はなぜ慎のことが気になるのか多少なりともわかった。心は慎に対して親近感を抱いていた。共感と言ってもいいかもしれない。

 まだこのとき、慎に共感する理由が心にはわからなかった。

 理由がわかったのは、慎と心が二人で昼食をとるようになってからだ。 

 心と慎は人目を避けるようにして昼食をとる。慎は男子から注目されているため、心と二人でいるところが目立つと、なにかと面倒になりかねないからだ。

 二人は昼休みと放課後だけ解放されている屋上へと足を運んだ。暖かくなってきたとはいえ、風の強い屋上は寒く人も少ない。慎と心は寒さに体をふるわせながらフェンスの前を通り、風が来ない壁の後ろに座り込んだ。

 寒い思いをしても、心にとってみれば慎と過ごす時間はかけがえのないものだった。逆に考えれば、慎も心とすごしたいと思ってくれているということだろうか。心が考えていると慎が声を上げた。

「あっ!私の冷たいお茶だ。あったかいのにすればよかったね。手が冷えちゃったよ」

 慎は「ほら」と言いながら心の手を包むように両手で握った。心は驚きつつも、慎の手の感触に心を奪われていた。慎の手は柔らかく、すべすべしており、いつまでも触っていたくなるような感触だ。心はひんやりとした心地いい肌触りの慎の手に心奪われそうになっていた。

「柔らかくて、すべすべしていて、ちょっとひんやりしてる」

 慎の言葉は全くの不意打ちだった。心は自分の思考を読まれているのかと体をビクつかせた。

「先輩、急にどうしたんですか」

「いやね、君の手は女子みたいだと思ってね。感想が漏れたみたい」

 今度は別の角度からの不意打ちだった。心は「女子みたい」という言葉に絡めとられた。 

「女子みたい」

 この言葉は慎に惹かれるカギだと心は確信した。

 もう少し先輩と話したら、もっと多くのことがわかるかもしれない。

「あの……先輩。放課後にまた会ってくれますか? ぼくはもっと先輩と喋りたい……です」

 途中で気がついたが、後半はわざわざ言わなくてもよかった。

「じゃあ、ここで待ってるね」

 夕暮れにはまだ遠い昼休み。声が上擦る少女の頬はお日様よりも赤い。

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