#48 “私を忘れないで”

わたしの名前は《フェ―ベ》。

わたしが今いるのは真っ暗な狭い部屋だった。


どこかの街の地下牢獄ろうごくに囚われていた。

地下、と言っているが、恐らくそうなのだというわたしの推測すいそくだ。


……わたしは目が覚めたときに既にこの牢獄に囚われていた。

不思議なことに、わたしがここに捕まる以前の記憶が一切無いのだ。


だから、ここがどこの牢獄なのかは分からない。

わかっているのは、ということだけだった。


でも、何も怖くなんてない。

すてきな勇者さまがここにおとずれて助けに来てくれるのだと。


――わたしはずっと信じてる。


◇◆◇◆


「勇者さま……」


「あ? なにか言ったか?」

「い、いえ。なんでもございません……」

「そうか。開けるぞ」


看守の男のひとが牢屋の鍵を開け中に入ってくる。

彼は、緑髪で中年の騎士のようだった。


「脱げよ」

「えっ……?」


痛い目に合わされるかもしれない。

わたしは上着を脱ぐ。


男はわたしの表情をみてケタケタと笑っていた。


――いつからだろうか。

このひとがこんなに下衆げすな表情を見せるようになったのは。


そうだ。四ヶ月くらい前から徐々じょじょに変わってきたように思う。

それまではこの人はこんなに悪い顔をするひとではなかったのに。


それにしても――よくここで十年間も耐えられたものだ。

こんな薄暗い何もない部屋なのに。


でも、最近になって……なぜだろう。

急に感情がたかぶり、ここから出たいと強く思うようになっていた。


「いつ見ても綺麗な青色の髪だな。お前には勿体無いくらいだ」


男はわたしの髪を撫でる。

私の体は硬直する。


そう、わたしは青色の長髪なのだ。

十年間ここにいる為、髪は足元まで伸び切っている。

そして――勇者さまに貰った花の髪飾りをしている。


いや、本当は勇者さまに貰ったのかは知らない。

ただ、きっとそうなのだろう。

わたしがここで目覚めたときからずっと着けているのだから。


花の名前は……【勿忘草わすれなぐさ】。花言葉は【私を忘れないで】だ。

勿忘草は綺麗な青色の花だ。


この花には逸話いつわがある。


ルドルフという騎士がベルタという恋人のために花をつかむも、

誤って足を滑らせ、川に流されてしまう。


ルドルフは流されつつもなんとか花を陸に投げ、

「僕を忘れないで!」……と叫び、そのまま死んでしまう……。

ベルタはルドルフの事を一生忘れずにと、その花を髪飾りにするのであった。


……こうした逸話だ。


―――わたしは、勇者さまに忘れられたのだろうか?


◇◆◇◆


どうして十年間なにも思わなかったのに。

今になってそんな事を考えてしまうのだろう?


そういえば、こんな気持が現れたのも四ヶ月前くらいからだったか。

……それより前のわたしは感情が無かったのだろうか。


「なあ、今日はストレスが溜まっててさぁ」

「ストレス……」


何か、嫌な予感がした。


――だけど、その心配はないようだった。


突如……牢屋のドアが開く。そこには剣を持った金髪の男のひとがいた。


「誰だ貴様は!?」

「……そんなこと、どうでもいいよ」


男のひとは看守のひとの胸を剣で突き刺した。


「ぐぁ……ッ!」


わたしには何が起こったかわからない。


「“王”の命令でね、君はもう用無しなんだよ」


看守のひとはわたしの目の前で倒れる。


「勇者さまっ……!」


わたしは遂に勇者さまが助けに来てくれたのだと思った。


「服を着ろ」

「わたしっ! ずっと勇者さまを待ってい――」


金色の髪の男はわたしに笑顔を向ける。


――ザシュ。


途端、意識が朦朧もうろうとする。


「――えっ……?」


わたしの胸から血が流れ出る。

男の剣で胸を貫かれたのだ。


「――――――!」


わたしは、あまりの痛さに耐えられなかった。


「服を着ろと言ったのが聞こえなかったのか」


どうして? ドウシテコンナ事を?


「イタイ! イタイ痛い痛いイタイイタイィ……!」

「ああ、ごめんごめん。痛かったね。今治してあげるよ」

「《ヒ―ル》」


金色の髪をした男は回復魔法を使う。


すると、痛みは治まり、胸の傷は治る。


「ホラ、早く服を着ろ。じゃないと、また刺すよ」

「ヒィッ!」


わたしは服を着る。


「勇者さま? どうして……?」


そう訊くと、勇者さまは私を眺めるように見つめる。


「僕はねぇ……君のその綺麗な服が好きなんだよ……」


――ドン。


「がっ……!」


突然、わたしはお腹を殴られる。


「どこで、その服を手に入れたんだい? そんな綺麗な服どこで手に入れたんだい?」

「勇者さま……?」


「――さっきから勇者、勇者って五月蝿うるさいよ、君」


――ドスッ。


「あがっ……」


更に殴られる。


「勇者さまじゃ……ないの……?」

「勇者? そんなのは知らないよ」

「そん、な……」

「……ところで君、髪が長いね。切ってあげるよ」


男は私の髪の毛を強引に掴む。


「がぁ……」


そして剣で髪を切断した。


「痛っ!」


髪はバッサリと地面に落ちる。


「ん?」

「え?」

「その髪飾りはなんだ」

「えっ? これは勇者さまに貰った――」

「――君には似合わない」


男のひとはわたしの髪飾りを抜き取る。


「か、返して!」

「これは君には必要ない」


そして、花弁を一つ一つ丁寧にバラしていく。


「ヤメてぇえええ――!」

「必要ない」


勿忘草は、完全にバラバラになり、散っていく。


「あっ……」


わたしの“心”が壊れた気がした。


「それじゃあ、また来るよ」


男は倒れている看守を回収して、牢屋から出ていく。

わたしの髪の色が薄紫に変化していく。


そのとき、わたしは思ったのだ。


勇者さまは――、


………勇者など、来ないのだと。

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