猫とカワセミ

「……すみません、取り乱したりして」

「構いませんよ」


 私たちは結局、花火見物を中止して帰宅した。

 暗い玄関に帰り着き、廊下の電気をつける。


 そうして、壁にかかった鏡に映る、化粧の落ちた顔を見て私はうつむいた。なんだか、本当にみっともないところを見せていたようで恥ずかしい。


「き、着替えてきます」

「ええ。浴衣はうちで洗えるので、着替えたら持ってきてください。……ああ、お嫌でしたらクリーニングに出しても」

「いえっ、その時は手伝います。というか自分でやるので、洗い方を教えてください」


 自宅で洗えるなんて。てっきりクリーニングに出すものかと思っていた。


「貴女もまあ真面目な人ですね」


 笑う時雨さんと別れて、私はひとまず部屋に戻るなり、浴衣から部屋着に着替えるために押入れを開けた。


 そして、収納棚を開いて、そのなかに仕舞われた見慣れない色のハンカチを見つける。手に取ってみれば、それは幸村さんにもらった『いとし藤』の手ぬぐいだった。


 だけれども、おかしい。


 白地の手ぬぐいが、いつの間にか翡翠色に染まっている。さらには風に揺れる藤に戯れるように、黒猫が片手を挙げてじゃれついているのだ。


「…………っ!」


 そのまま私は手ぬぐいを片手に部屋を飛び出す。


 勢い余って壁に激突、階段からはなかば滑り落ちるようなありさまだ。

 こうして私は、いつも時雨さんが憑き物と対峙するたびに猛烈な音を立てる理由を理解してしまった。


 だって、これは本当にものすごく心臓に悪い。


「し、しし、時雨さん」

「……寿葉さん?」


 時雨さんはちょうど、ダイニングで一服しているようだった。


 オレンジジュースとアイスクリームを片手に振り返った彼の目は、お月様のように真ん丸だ。


「あの、今気づいたんですけど、これ」


 私の手渡した手ぬぐいを見て、時雨さんは片方の眉をくっと上げる。それからそっと手ぬぐいを手に取って、布地を撫でた。


「……これは、カワセミと黒猫ですね。完全に居憑いてしまっているようです」

「ど、ど、どうしましょう」


 もともと翡翠色の着物に関しては、染めなおしをする予定だ。


 黒猫も、その模様を消されてしまうところだった。


 だから、時雨さんの商売的にはこの二匹(?)がここに居憑いてしまうことには問題ない、と素人考えでは思うのだけど……。


「……寿葉さんさえよければ、このまま持っていてやってください」

「いいんですか?」

「そうですね……。まさか、一緒になって貴女の荷物に逃げ込むとは思いませんでしたが。……気持ちはわからないでもない。ここなら安心だとでも、思ったのでしょうね。貴女のそばなら居心地もいいでしょうから」


 節目がちに笑った時雨さんが、私の手に手ぬぐいを握らせる。


「彼らは選んだ。次に選ぶのは貴女です」

「…………私が持っていていいなら、大事にします」

「ええ。きっと、もう抜け出ることもないでしょうから」


 薄い笑みを浮かべた時雨さんに、私はおずおずと笑い返した。


 彼の前で情けないほどに泣いてしまったばかりなので、こうして顔を合わせるのは少し気まずい。


 それでも、新しい居場所を見つけた黒猫と翡翠を見て、なんだか私も頑張れるような気がしてきたから。

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