さくらのお茶

 二の鳥居からほど近いスーパー『もとまちユニオン』の手前で、幸村さんは俥を停めた。

 ここは駅にもほど近く、地元民と観光客がひっきりなしに出入りしている。


「じゃあまたあとで、寿葉ちゃん! 会えるのを楽しみにもう一仕事してくるよ!」

「お気をつけて」


 名残を惜しみに惜しんだ幸村さんと別れ、いざ、食材との対面である。


(ネギが三本で百八十円、レタスが二百円、ニンジンが三本で百四十円……)


 ここに来るまではどこを見てもお土産屋さんや観光客向けのレストランばかりだったので、正直少し身構えていた。けれど、スーパーで売られている野菜はおおよそ都内と遜色ない。私は値札を確認してほっと一息ついた。


「全部観光地価格だったらどうしようって思っちゃいました」

「案外そうでもありませんよ。大船まで出ると、もう少し大きいスーパーや駅ビルもあるんですが。日常使いには少し遠いから不便でしょうし、普段はここで済ませるのがいいでしょうね」

「そうですね……。でも、週末の買いだめには大船もいいかもしれません。今度、足を延ばしてみます。ところで時雨さん、今日はなにが食べたいですか?」


 リクエストを尋ねると、時雨さんはさんざん悩み込んだ結果、「麺類?」と答えた(なぜか疑問形だった)。


「じゃあ、うどんなんてどうでしょう。和風だしの牛肉うどん。明日の朝は余ったおつゆで作るおじやです」

「悪くありませんね」


 これでメニューは決まったので、あとは材料集めだ。


 サッとスーパーのかごを持ってくれた時雨さんと一緒に店内をぐるりと回って、牛肉や卵、冷凍うどんを買い込んでいく。ついでに明日、明後日の分を見越して野菜を多めに購入することにした。


(明日の夜は肉じゃがにして、明後日は残り物でカレーを作ろう)


 どれも調味料を混ぜ、具材を切って煮るだけの料理だ。併せて常備菜用の野菜をいくつか買い物かごに入れながら、店内をぐるりと回る。


「……あ、茶葉も買い足しておいていいですか? お客さま用にお茶請けのお煎餅も」

「茶葉のコーナーはたしかその棚の奥ですよ。うちは年配の客も多いから、煎茶か玉露がいいですね」

「玉露、おいしいですよね。私も大好きです」


 とはいえ、お値段も張るので普段から飲むのではなく特別な時の一杯になりがちだ。


「両方買ってください。客層に合わせて選べるように」

「はい」


 もう少し暑くなってきたら、玉露の氷出しをしてもいい。甘味が増してすごくおいしくなるのだ。時間がかかる分、また格別というか。


 茶葉を選ぶためにしゃがみ込んだ私は、すぐわきに桜茶のコーナーができていることに気づいた。


 たしかにちょうど桜も咲いているので、お花見をしながら桜のお茶を飲むのも風流かもしれない。


 ……なんてなにげなく手に取ったところで、頭をよぎったのは例の憑き物のおじいさんだった。


 あの人も、さくらのお茶が飲みたいって言っていた。さくら。さくら。桜。


「それも買いますか?」


 思わずびくっとしてしまったのは、予想外にすぐそばから声が聞こえたからだ。


 はっと隣を見れば、いつの間にかしゃがみ込んでいた時雨さんの整った顔が想像以上にすぐ近くにあった。


 驚きのあまり、思わず私は彼に桜茶を突き出してしまった。


「こ、これ。これを見て、さくらのお茶ってもしかして桜茶のことだったりするんじゃないかと思って。あの憑き物のおじいさん、そろそろ時期だとも言ってましたよね? たしかに今は新茶の時期にも重なってはいるんですけど……、飲みたい「さくらのお茶」が「そろそろ時期」ってことは、春に飲んでいたんじゃないかなって。でもあの言葉がもしも緑茶のことだったなら、さくらさんがこの時期にしかお茶を淹れなかったみたいな意味になって、ちょっとおかしいなって」

「…………」

「緑茶って結構普段から飲むものですし……、食後とか……だから……」


 謎の緊張感を誤魔化すように早口で言いつのった私は、そろそろ言葉に詰まった。


 時雨さんはそんな私をじっと見つめた後に、天井に視線を移し、それから小首をかしげる。


「……貴女、よくもまあ、自ら進んであんなものに関わろうとしますね」

「すみません」

「責めているわけじゃありません。ただ不可解なんです。普通は気味悪がって、逃げ出すものですよ」


 至極当然のように、時雨さんは言う。

 店内の喧騒のなかで、私はしゃがみこんだまま彼を見上げた。


「……もしかして、それで前の家政婦さんは辞めたんですか?」


 昨日、時雨さんは私が長く勤めることはないと思っている節のある発言をした。たしか、必需品を買いそろえる必要はないとか、なんとか。


 以前にも同じようなことがあって、逃げ出されたのだろう。そして、この人はきっと、私も昨夜の一件をきっかけに退職すると思っていたに違いない。


「……当然のことです。好き好んで、ああいった類のものとかかわろうとするもの好きはいませんから」

「時雨さんは仕事にしているんでしょう?」

「僕は視えすぎる。関わりたくなくとも……、どうしようもないんです。ですが、貴女は違う」


 ため息とともに吐き出された声は、羨望にも似ていた。


「あとで妙な噂を立てられたり、慰謝料を請求されてはたまりませんからね。無理して関わらずとも結構だと僕は言っているんです」

「……大丈夫ですよ。前の職場でもよくありましたから。最後まで残って店内の戸締りをしているときに、子供の泣き声が聞こえるとか、亡くなった同僚の姿を見かけるとか……」

「よせっ」


 即答されて、さらなる気づきを得る。


 おもむろに私が立ち上がると、時雨さんは一歩後ずさった。一歩、踏み出す。じりじりと後退と進撃を繰り返し、私はついにコーンフレークの棚の前に追い詰めた時雨さんを見つめた。

 彼の目は子供だましの怪談話の後から、すっかり怯え切って、戦々恐々としている。


「……時雨さんって」

「……………………なんですか」

「怖いのが苦手なんですね」

「……はっ!?」


 昨夜も憑き物のおじいさん相手に震えていたのを思い出して、納得する。この人はきっと怪談が本当に苦手なのだ。

 だからなおさら、大丈夫だという私の言葉が信じられない。


「違いますっ。なにを言い出すかと思えば……! 僕はあれらに迷惑をこうむる被害者ですよ。怖がっているわけではなく、単純に存在を忌避しているんです!」


 ついには、虫を毛嫌いする女子高生のような言い訳をし始めた。


「はい、わかってます。人には誰だって秘密や苦手なものがありますから。弱みを握ったなんて思ってません。だから、そういうことにしておきましょう」

「わかってない! 貴女は絶対になにもわかってません!」


 憤慨したのか、時雨さんの頬に赤みがさす。それが少しおかしくて、肩の力がわずかに抜けた。


「……とにかく辞めませんから、これくらいじゃ」


 危害を被ったわけでもない。次の仕事も見つかっていなければ、まだ始まったばかりでもあったから。

 呟けば、時雨さんはしばらく渋面のまま立ち尽くしていた。五分ほど浪費して、ようやく気を取り直したように私の手のなかの桜茶を見おろす。


「……桜茶は、ソメイヨシノが材料ですか?」

「え? ああ、いえ、桜茶用のお花には八重桜を使うんです。ソメイヨシノより開花時期が長いので、そろそろ準備を始めて作り始めるにはぴったりの時期かな、とは思います……。八重桜で作れば、お茶をとったのと同じ木でのお花見も楽しめますし。もしかしたら、あのおじいさんも納得してくれるんじゃないかと思いまして」

「…………」


 それきり黙り込んでしまった時雨さんに、私は視線を泳がせまくった。余計なことを言ってしまったような気がして、今さら後悔してしまう。


 だけど、ややあって時雨さんは無言で桜茶をかごにいれた。


「貴女はどうも、あの老爺を消したくないらしい」


 それは否定できない。一度でも目にして声を聞いてしまった人だったから。想い半ばで消されてしまうとなれば、寝覚めも悪い。


「……試してもいいですよ」

「えっ?」

「この後待ち合わせしている幸村には断りの電話が必要ですね。貴女に会えなくて残念がるやつの奇声が聞けるなら、キャンセル料も安いものです。それに、……穏便に済ませたいという貴女の意図も理解できる。そのほうが顧客の満足度も高まりますからね」


 門外漢の発言だったのに、時雨さんは受け入れてくれた。それが少しだけ意外で、それからほんの少し胸がきゅっと苦しくなった。


 たぶん、嬉しかったのだ。厨房にいた時は、私の発言なんてあってないものだったから。彼には彼の意図や打算があったとしても。


「……それなら」


 私は余計なお世話かもしれないと思いつつ、さらに提案してみた。


 きっと、さくらさんもそうしていただろうと思って。

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