2.4

「それでは今朝の天気予報です。昨日昼頃、関東地方で降り始めた雨は止むことがなく、午前七時半の現在も降り続けています。気象庁は関東地方の梅雨入りを発表しました。例年より早い梅雨入りとなりました」

「なるほど。やはり、これも地球温暖化の影響なのでしょうか? 近年の局所的なゲリラ豪雨や、年々上昇する気温と何か関係が?」

「今のところ、温暖化によるものとの見解は出ておりません。――ただ、一部専門家の話によりますと、二週間ほど前に中国地方が梅雨入りした時と同じく、今回の関東地方の梅雨入りも例年と状況が異なるとの見方もあります」

「それは、どういう?」

「はい。通常であれば、二つの高気圧がぶつかりあうことによって日本列島の上に停滞前線が形成され、それが梅雨を引き起こすのですが……中国地方と今回の関東地方の雨雲の動きには、両者とも奇妙な共通点があると」

「奇妙な共通点?」

「こちらをご覧下さい。――これが、二週間前に中国地方が梅雨入りしたと発表のあった日とその前日の雨雲の様子です。そして、こちらが関東地方の今朝の雨雲と、昨日の朝のものです。――おわかり頂けますでしょうか」

「これは……雲が集まっている?」

「そうなんです。雲が、まるで台風のように渦を巻いて発生しているんです。もちろんこれは台風ではありませんので、強い風が吹いたりとそういったことはないのですが」

「これは一体どういうことなんでしょうか?」

「詳しい話はまだわかっていないのですが、専門家の――」

「――ごちそうさま」


 月曜の朝。儀式の翌日の朝。

 朝食を食べ終わると食器を片付け、朝の報道番組を流し続けるテレビの前から離れる。テレビが言っていたように、関東地方では昨日の昼から雨が降り続けていた。家の中にいても、ジメジメとした雨の空気が肌にまとわりつく。部屋干しされた洗濯物の生乾きの匂いが不快感を増幅させる。

 それから学校の支度を済ませると草閒は家を出た。玄関を出て屋根の下から出る前に傘を開く。一歩踏み出せば、傘を叩く雨音がうるさいほどに聞こえ始める。


 ――雨は嫌いだ。特に外に出なければ行けない日の雨は。じめじめとして陰鬱な気分になってくる。この雨は本当に水の神様とやらが降らしているものなのだろうか。

 中村は、あれは雨乞いの儀式ではないと言った。封印の儀式だと言った。そんなバカバカしい話、と笑ってやりたかった。寝て起きて、雨が止んでくれていればとも思った。

 けれど、そんなことはなく雨は降り続けていた。眠りから目を覚ましカーテンを開けると、天から降り続ける銀線が窓の外の景色を見せまいとしていた。


 ――稲田先輩は今日学校に来るのだろうか。

 会って、彼女の無事を確認したい。それから儀式のこと、注連縄のこと、雨のこと……彼女に聞きたいことはたくさんある。そして、一言謝りたい。何も知らないのに、無責任に背中を押すようなことを言ってしまってと。学校に近づくにつれ、その思いは強くなっていっく。

 横断歩道で信号が変わるのを待っていると隣に水色の傘が並んだ。チラリと横目で見る。傘に隠れて顔は見えない。信号が青に変わり進み出すと、その水色の傘も動き出した。同じ花島高校の生徒だろうか。そう思っていると、雨音に紛れて声が聞こえた。水色の傘からだった。


「おはようございます」


 水色傘の持ち主はそう言った。

 ……誰だろう。

 思っていると、傘がさっと動き、傘の下の人が姿を見せた。


「おはようございます。草閒先輩」

「――ああ、穂坂か」


 その人物が穂坂優菜だと分かると、草閒はホッとしたように息を吐いた。もし稲田だったらどうしようと強ばっていた顔が緩む。会いたいと思ってはいても、まだ心の準備は出来ていなかった。

 ――それもこれも昨日の中村のせいだ。あいつがあんなことを言ったから……


「……どうしたんです、先輩?」


 穂坂が顔を近づける。


「そんな浮かない顔をして?」

「え、ああ、そうか?」

「そうですよ。なんだか辛気くさい表情ですよ。それに何だか目も充血してるし。……昨日寝るのが遅かったんですか?」

「……そんな感じだ」


 すると穂坂は少し嬉しそうな顔を見せる。


「もしかして、私のことで悩んでくれてたんですか?」

「あ……」

「ほんとにそうなんですか? あまり気にしないでくださいとは言いましたけど、眠れなくなってしまうほどに考えてくれただなんて……」


 穂坂から言われて草閒は土曜日のことを思い出した。

 彼女は草閒に告白したのだ。その理由は「もっとよく知りたいから」と少し変わったものではあったが、告白は告白に違いない。草閒は交際を申し込まれたのだ。

 だが、草閒はそのことを今の今まで忘れていた。正確に言うならば、その後に起こった出来事に埋もれてしまって穂坂のことを考える余裕がなかった。


「い、いやっ、そういうわけじゃ――」


 穂坂の勘違いを否定しようと、草閒は焦って口を開く。しかし、すぐにその口を閉じた。

 何て言えばいいのだろう。正直に、別の女子のことを考えていただなんて、言えない。

 目の前の、自分に少なからず好意を寄せてくれる女の子を前にしてそんなことを言える気概を、草閒は持ち合わせていなかった。


「……なんて冗談ですよ。――ほら先輩、行きましょう」


 途中で言葉を止めた草閒を見て、照れ隠しなのか穂坂は再び傘で姿を隠すと、そう言って先を歩いて行く。歩きながら彼女はコマのように傘を回した。草閒は顔を伏せながら、クルクルと廻る穂坂の水色の傘の後ろを歩いて学校に向かった。


 学校に着いてから穂坂と別れ、草閒は二年E組の教室に向かう。中に入り顔を巡らせると、中村の姿が目に入った。中村は一瞬だけ教室に入ってきた草閒に顔を向けたが、すぐに顔を逸らした。それを見て、草閒は中村から目を離すと自分の席に向かった。それから互いに話しかけることはなかった。

 授業中、草閒はずっと窓の外で降り続ける雨を見ていた。

 稲田は学校に来ているだろうか。雨を見てそう思う。そして、ふとしたタイミングで穂坂の姿が脳裏に浮かぶ。いま草閒の頭の中には稲田と、そして穂坂のこと、その二人が交互に現れては消えてを繰り返していた。

 昼休みになると、草閒は三年の教室へ向かった。稲田が登校しているのかそれを確かめるためだった。

 三年E組の教室の前まで来ると、草閒は開いたドアから教室の中を窺う。だが、稲田の姿は見えない。けれど、教室にいないからといって学校に来ていないとは限らない。用があって教室を出ているのかもしれない。そう思い、しばらく稲田の教室の前をうろうろとしていると、声が掛かった。


「君、僕の教室に何か用があるのかな?」


 どこかで聞いたことのある声だった。振り返ると三年の男子だった。そして思い出す。スポーツ祭の二日目で、草閒達のチームで一緒になって皆を先導していたあの三年男子だと。

 名前は……思い出せない。そもそも名乗っていなかった気がする。いや、この際相手の名前などなんでもいい。

 草閒はその男に聞いた。


「あの、稲田先輩は、今日学校に来ていますか?」

「稲田さん? 彼女なら今日は珍しく来ていないね」

「そう、ですか。……学校を休んだ理由は、何か聞いていますか?」

「いいや。クラスの誰も聞いてはいないと思うよ。ただ、まあ恐らくだけど風邪だろうね。先週の金曜に彼女を見た時に何だか顔色が良くなかったから。数日もしたら元気になるだろうさ。……それで彼女に何か用でも? 何度会ったら僕が伝言を預かっておいても――」

「いえ、大丈夫です。その、ありがとうございました」


 そう言って草閒は三年の教室の前から立ち去った。

 稲田は学校に来ていなかった。男は風邪だろうと言ったが、昨日の事が原因だと草閒は間違いなくそう思った。昨日倒れたことと関係していないはずがない。

 それから木曜までの間、毎日昼休みになると三年の教室を訪ねたが稲田の姿を見ることはなかった。

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