2章

2.1

 カーテンの隙間から差す太陽の光で草閒は目を覚ました。

 ベッドから起き上がりカーテンを開くと、薄暗かった部屋が明るくなる。窓の外には、雨の気配など感じさせない澄み渡る蒼が空を染め上げていた。


「くっ……ふうぁ~」


 一度大きく伸びをし、部屋の壁に掛けられた時計を見る。時刻は午前8時18分。

 儀式の始まる時間は十時。草閒の家から儀式の行われる小山の上の神社までは、歩いて半時ほど。時間にはいくらか余裕がある。支度を済ませ、家を出たのは9時を少し回った頃だった。

 家を出てからしばらくは住宅街の中を進む。住宅街はいつもより静かだった。立ち並ぶ家からは時折テレビの音や小さな子どもの声が聞こえてくる。それから住宅街を抜け国道に出る。日曜の朝だからか、車通りは少ない。国道沿いをしばらく進み、途中で国道を外れる。そのまま少し歩けば、昨日見た田んぼが姿を現し始める。

 昼間の田園地帯は、夕暮れ時とは違っていた。視界を遮るものはなく、遠くの景色が見える。とはいえ、見えるのは常緑樹に覆われた山のみ。すぐに興味も薄れ、水田の表面で輝く光に目を細めながら草閒はその中を歩いた。

 やがて田園地帯を抜け、覆い茂る木々の間に作られた長年人の手が入っていなさそうな不整備の道に入る。それは森の中へと続く道で、太陽の光は周りの木々に阻まれて届かずに草閒の周囲は薄暗くなる。梢の間から刺し込む光が、今が昼間であることを教えてくれる。

 しばらく道なりに進むと、目的の小山が現れた。視界を覆う一面の緑のなかに忽然と現れた石畳の階段。それが小山の入り口だった。

 階段に向かって歩きながら、草閒は過去の記憶を思い返す。

 小学生の頃、草閒は一度ここを訪れた事があった。

 クラスメイトの誰かが「山の中に不思議な階段がある」と言い出した。好奇心旺盛な小学生だった草閒は、探検と称して数人の友人達とともにこの小山の入り口に辿り着いた。あのときはこの場所を見つけはしたが、階段を昇って上に何があるか確かめようとはしなかった。今思い返せば、どうしてそうしなかったのか不思議でならない。我先にと階段を誰が一番早く昇るか競争してもおかしくはないのに、なぜかあのときの草閒達は誰もそうはしなかった。その時は、すでに日が暮れかけていたのかもしれない。


 そんなことを思いながら苔むした階段に足を掛けると、背後から声が掛かった。振り返る。そこにいたのは中村だった。

 

「やっぱ草閒だ」


 中村は自転車を押しながら近づいてくると、階段の横に自転車を駐めた。


「どうしてここに? この前誘ったときは来ないっていってたのに」

「ああ、ちょっと気が変わって」


 階段に乗せていた足を下ろす。そして中村が来た方をちらりと見て言った。


「中村もひとりなのか?」

「そうだけど?」

「いや、お前の父親と一緒に来るのかと思ってたから」

「あー……」


 中村は天を仰ぐ。といっても、二人の上空は緑の天蓋に覆われて空は見えない。


「……最初はそのつもりだったんだけど、父さん、つい三日前に突然どこかに出かけちゃってさ。あの人一度出かけたらなかなか帰ってこないから」

「確か、歴史とかそういうのを研究してるんだっけか?」

「まあ一応……」


 中村はちらりと腕時計を見る。


「そんなことより、ほら! もう少しで時間だ。上に行こうぜ」


 そう言って中村は階段を昇り始めた。

 なんだか強引に話を変えられたような気がしたが、中村の言うとおり儀式の開始時間が近づいていた。、草閒は中村に続いて階段を昇り始めた。

 階段を昇りながら、草閒はこの山の上で行われる儀式について訊ねた。地味な儀式だということはすでに聞いていたが、具体的に何をするのかはまだ聞いていなかった。

 すると、中村は言った。


「地味っていったのは規模もそうだけど、儀式の内容自体もなんだよ。やることといったら、人の大きさくらいある岩に巻かれている注連縄を付け替えて、古い方を焚き上げて、それでおしまい。10分もかからないんじゃないかな」

「……それだけ? お経みたいな、何かを唱えたり、踊ったりとか、そういのはないのか?」

「ないない、本当にたったそれだけなんだって」


 中村の話を聞いて、草閒は疑問に思う。

 ――なら、稲田先輩は昨日なんであんな風に言っていたんだろう?

 稲田は昨日、「自分が間違いを犯してしまうのではないか」と「それが怖い」と草閒に語った。けれど、いま中村から話を聞いた限りでは何か間違いが起こりそうなものではないように思えた。縄を付け替えて、それを燃やすだけなら誰にでも出来そうなものだ。

 それとも、あくまでそれは表のもので、それ以外に何か一般の人には公開されない裏の儀式のようなものがあったりするのだろうか?

 すると隣から声が上がった。


「蛇だ」


 中村はそう言って何段か先の階段の上を指さした。

 見れば、言うとおり蛇がいた。階段脇に覆い茂る草木の間から顔を覗かせている。が、それがどうしたというのだろうか。住宅街の中で蛇を見れば驚くのも無理はないが、ここは森の中だ。蛇がいてもなんら不思議なことはない。

 二人は蛇が顔を出すのとは反対側を歩いて、階段を昇った。


「で、さっきの蛇がどうかしたのか?」


 階段を半分昇り終えたところで草閒は聞いた。

 ああ言ったからには何か理由があるのだろうと思ってのことだ。

 すると中村は。


「蛇っていうのは諸外国では邪悪な存在として見られることが多いんだけど、知ってるか?」


 と話し始めた。


「聖書だろ? 蛇がイブを唆して、食べることを禁止されていた木の実を食べさせたっていうやつ」

「ああ。けど、それ以外でも蛇ってのは神に敵対する存在として描かれることが多い。とりわけ怪物としてが多いな」

「分からなくもないな。蛇って不気味っていうか、なんか怖いんだよな。あいつらって相手を丸呑みにして捕食するからさ」

「昔の人もそう思ったんだろうな。……だけど面白いことに、日本や東南アジアの国々ではその蛇を神として見ることがある。蛇神を祀る神社もあったりするんだけど……蛇が何の神様として祀られているか分かるか?」

「うーん……金の神様とかか? 蛇の抜け殻を財布に入れておくと金運が上がるって聞いたことあるし」


 中村がそれを聞いて笑った。


「金の神様か! それは考えたことはなかったな。面白いけど違う。実はな、すこし以外かもしれないが、蛇は水の神として考えられてきたらしい」

「蛇が水の神?」

「ああ。なんでも湿地や川の近くとかの、水辺に生息することが多いかららしくて。で、そこから転じて農耕の神だったりもするんだが」


 それから中村は試すような目で草閒を見る。


「それで、これから行われる儀式……何が言いたいか分かるか?」


 田園地帯を抜けた先で行われる雨乞いの儀式、そしていま中村が語った蛇が水の神であり、農耕の神でもあるという話。そこまで言われて勘づかない草閒ではなかった。


「つまりお前が言いたいのは、この階段の上で行われる雨乞いは、蛇の神を祈る対象としてるってことか」

「そういうことだ」


 中村は満足げに頷く。


「けど、これはあくまでただの推論だ。そうかもしれないし、全くの検討違いかもしれない。今日はそれを裏付ける証拠がなにか見つからないかと、それを見つけにきたんだ」

「じゃあ、さっきの蛇も?」

「あれはただの蛇。蛇がいるかどうかが証拠になるわけないだろ」

「それもそうだ」


 中村が話し終えた頃には、階段も残すところ数段。間もなく二人は階段を昇りきり、小山の上に到達した。

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