1.2
校庭には草間たちE組のサッカーに出場するメンバーと、相手側のメンバーが集まりつつあった。やがて最後の一人が揃うと、スポーツ祭運営委員の女性徒が言った。
「両クラスとも、出場する選手は揃っていますか?」
両クラスの代表が運営委員の言葉に頷いた。
「全員揃ったようですので――それでは、これよりB組対E組によるサッカーの試合を始めようと思います」
「うぉぉおおおおお!!!!」
両チームの、主に運動部たちから雄叫びのような声が上がった。突然の奇声に運営委員の女子は「ひっ」と小さく声を上げると一歩後ずさった。
「円陣組もうぜ、円陣!」
クラスの一人が言い出した。いいねいいね、とクラスの運動部たちが肩を組み円を作り始めた。草間と中村、それと他にいた二人の文化系の人間が勢いについていけず当惑していると、肩を組んだ男達が何か言いたげな顔で草閒たちを見た。学校という共同社会のなかで、人は多数決の原理には抗い難い。
草間たちはしぶしぶと円陣に加わった。運動部のゴツゴツとした手ががっしりと肩を掴む。
「E組いくぞー!」
「おおーー!」
「お、おおー……」
じゃんけんで勝ったB組のキックオフで試合が始まった。
転がり始めたボールは次々と人の足を渡っていく。草間はただひたすらに転がっていくボールを追った。
ゲームの主導権は、始まる前から分かっていた事だがサッカー部を中心とした運動部が掌握した。彼ら同士でパスを回して、それをゴールに蹴り込む。草間たちは単なる数合わせにしかすぎなかった。それでも草間は必至にボールの後を追った。走って汗をかくことで、出来ることはやったと自分と味方に言い聞かせるのだ。だからただ走り続けた。ボールに触れたのは、コートの外に転がっていったボールを拾いに行った時の一度きりだった。
試合が終わると、草間と中村は元いた校舎の陰へと戻った。終始走り続けて熱を帯びた四肢をコンクリートの地面に投げ出し、残りわずかの水筒を一気にあおる。中村は水道で入れた水を飲んでいた。
並んで座る二人の間に言葉はなかった。無駄口を叩いて余計なエネルギーを消費するのすら億劫だった。水筒の中で氷が内壁とぶつかる音と次に始まったサッカーの応援の声とだけが聞こえる。まだセミが鳴く季節ではない。
それからも二人の間に会話は無く、休息に努めていると、ふいに足音が聞こえた。足音は次第に大きくなり、やがて同じクラスの男たちが校舎の角から姿を見せた。彼らは座って休む草閒達の前を通る際に、
「女子バレーの試合が始まるぞー」
とだけ言ってそのまま体育館の方へと走り去っていった。
「どうする?」
草間は中村を見た。
訊いてみたものの、草閒にその気は無かった。相変わらず脚には疲労と熱がまとわりついていて、次の出番までこのまま日陰で涼んでいたかった。隣に座る中村も同じことを考えているだろうと思ってのことだったのだが、中村はその予想に反して「行くか」と腰を浮かせた。
「え、行くのか? どうして?」
「どうしてって……クラスメイトを応援するのは当然のことだろ」
思わず口から出た草閒の本音に、中村が答えた。
「急ぐぞ。場所が埋まっちゃう」
中村が急かす。彼の言い分には何か裏があるような気もしたが、クラスメイトの応援と言われると返す言葉がない。それにまあ、応援しながらでも休憩は出来なくはない。草閒たちは体育館へと向かった。
体育館に近づくと、ボールの跳ねる音や応援の声が聞こえてくる。靴を履き替え中に入ると、その音はますます大きくなった。汗の匂いと人の熱気とでこもった空気が草閒を迎える。
館内の入り口から見て手前半分では三年男子のバスケが行われ、その奥で女子のバレーが行われていた。応援の生徒達は壁に沿って並び立ち、コートを囲むようにして応援に精を出していた。草間と中村は、応援の人の間を縫って進んでいく。体育館を大きく半分に仕切るネットの隙間を通る。
女子バレーは大きく半分に仕切られた体育館を更に半分に分け、二試合同時に行われていた。壁際の応援に混ざろうするが、すでに人で一杯で草間たちが入り込む余地はない。
「上行くか」
普段は生徒の立入りが禁止されている体育館の二階。このスポーツ祭の期間中は特別に解放されていた。
二人はステージ横の階段を使って二階に上る。二階にもいくらか人の姿があったが一階ほどではない。二人が並び立つのに十分なスペースを見つけると、手すりに腕をついて下を見る。
下では、クラスメイトの女子が出場する女子バレーが絶賛行われているのだが、その試合内容は一見して初心者同士だと分かるレベルだった。両チームともサーブすらもままならない。たまに二度三度と、ふらついた放物線を描いてボールがコートを行き来するがそれまで。
それでも、回りの観客たちからは応援の声が絶えない。応援の声は主に男子から発せられていた。
頬杖をつきあくびを噛み殺す。目を瞑って浮かんだ涙をなじませる。
コート上のクラスメイトには悪いが、見ていても退屈で眠気が誘われる。どうして中村や他のクラスメイトたちがそこまで必至に応援するのか分からなかった。
なにか他に面白いものはないのかと、草間は館内に視線を巡らせる。
入口側で行われていた三年男子のバスケは少し前に終わったらしく、コート上を数人がモップで掃いて次の試合の準備をしていた。入り口は人の入れ替えで混雑していた。そんなものを見ていても面白みはない。草間はまた首を巡らせる。
そうなると残るは二年生のバレーの向こう、三年女子によるバレーしか見るものはなかった。
三年生によるバレーは、二年生と比べて遙かにましな試合が行われていた。ボールが確かな軌道を持って飛び交っているだけでも感動を覚える。
そして、草間の目はそのなかの一人に留まった。
長い黒髪を後ろで束ねた女性徒が自陣のエンドラインの後ろに立ち、左手に持ったボールを上へ放る。右腕を引き、左足を一歩踏み出し、そして左足に体重を乗せるのと同時に右手を振り抜く。ボールの中心を手のひらが捉えた。身体の動きに合わせて後ろで結われた髪が尾を引く。ボールは緩やかな放物線を描いて相手のコートへ飛んでいく。バレー部のサーブと比べれば見劣りはするが、それでも見事なものだった。草閒は彼女から目を離せなかった。
相手側も黙って見ているでなく、一人がボールの落下地点へと潜り込み身体の前で組んだ両手の上腕部でそれを受け止めんとする。が、力が入ってしまったのか、腕にあたったボールの勢いを殺すことが出来ず、ボールはコート外へと跳ね返りそのまま床に落ちた。
ドッとサーブ側のチームとその応援が沸いた。今のがマッチポイントだったようだ。チームメイトたちはサーブを打った女性徒へと駆け寄って勝利の喜びを分かち合う。応援していた回りのクラスメイトも飛び上がって喜んでいた。大勢のクラスメイトに囲まれ、女性徒は少し恥ずかしそうしながら囲む仲間達の顔を見る。
ふいに彼女がクラスメイトたちから視線を外してその向こうを見たとき、二階の手すりにもたれかかるようにした草閒と視線が交わった。一瞬のことだったが、確かに二人は目を合わせた。
瞬間、草間の時間が止まった。騒然とした体育館の音が消え失せる。草間の視界には。綺麗な黒髪を背に流した名を知らぬ彼女の姿しか映らなかった。すべてがコマ送りのようだった。彼女が髪をほどく。首を左右に振るとそれにつれて髪が波を打った。
彼女はもう草閒の方を見てはいなかった。彼女とその同級生たちは話をしながら体育館の出入り口に向かって歩いて行く。そして彼女は外に出て行ってしまった。二人の目が再び合うことはなかった。
彼女が出て行った後も、草閒はしばらくのあいだ出入り口付近を見続けていた。
ふいに、草間の世界に音が戻った。見れば、二年のバレーも決着がついたようで対戦相手のクラスは手を取り勝利の喜びを分かち合っていた。草閒のクラスは試合に負けたようだった。
「最後、惜しかったなー」
中村が言った。言うほど悔しそうには聞こえなかった。
下でも応援に来ていたクラスの男たちが「ドンマイ、ドンマイ」と、そんな言葉を掛けてが次々と体育館を後にする。試合に負けた当の本人達は「ごめんねー」と笑い合っている。誰も負けたことをたいして気にしている様子はない。
「そろそろ俺たちの試合の時間だ」
「もうそんな時間か」
中村に先だって階段を下りる。次の試合を控えたクラスが下に集まり始めていた。外に出ると再び太陽が草閒を出迎える。外にはもう、さっき見た彼女の姿はなかった。
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