雨のまにまに

雨野 優拓

1章

1.1

「なあ草間、どうして梅雨が起こるか知ってるか?」


 五月上旬。ゴールデンウィークが明けた週の木曜。関東地方のとある県に位置する花島高校でスポーツ祭が始まった。

 花島高校の生徒達は朝、教室で出席を取ると各々出場する競技の行われる場所へと移動した。草間稔と、その友人の中村陸は自分たちの出番がまだなのをいいことに、校舎が落と影の中で直射日光を避けていた。

 二人の視線の先では他クラスによるサッカーの試合が行われている。コートの上を転がり続けるボールを目で追いながら、草閒は中村からの問いに答えた。


「どうしてって、二つの気団がぶつかって停滞前線を形成するからだろ。それがどうしたんだよ。まだ梅雨の季節には早いぜ」

「オホーツク海気団と小笠原気団な。それはそうなんだけどさ」


 言いながら中村は手に持った水筒を横に振る。水筒の中の氷がカラカラと音を鳴らした。


「もう空だ」

「馬鹿みたいに飲んでるからだろ。まだ何もやってないのに」


 そう言う草閒の水筒も、中身はすでに半分ほどしか残っていなかった。

 まだ五月だというのに無駄に張り切った太陽のせいで気温は三十度近く、何もしていなくても喉が渇いて仕方がなかった。


「で、梅雨の話なんかしてそんなに雨が降ってほしいのか」

「まあそりゃあ。運動部の連中には悪いけど、俺はスポーツなんかに興味はないんでね。炎天下の中汗水垂らして走り回るくらいなら、冷房の利いた教室でつまらない授業を聞いていたほうがまだマシだよ」


 両手を後ろ手に突いて上半身を支えて、空を見上げながら中村は言った。それを聞いて草閒が言う。


「それは俺も同じだけどさ。でも、それでも俺は梅雨が早く来てくれとは思わないな。だって、毎日のように雨に降られてそれだけでなんだか気分が落ち込んでくるだろ? 梅雨なんてない方がいいに決まってる」

「日本にいる以上どうしようもないだろ。雨が嫌ならそれこそ乾燥帯にでも移住するしかない」


 草閒は大きな溜息をついた。雨も嫌いだが、それ以上に喉が渇くような暑さが嫌いだ。つまり今の天気が気に入らない。やけ酒を飲むように、草閒は水筒の中に入ったスポーツドリンクを喉に流し込む。


「はぁ、一体誰が梅雨なんてのを作ったんだか……」


 誰に言うでもなくそう呟くと、隣の中村が反応を示す。


「そりゃあ、神様だろ」

「は」


 草閒の口から乾いた笑いが洩れる。こいつはいったい何を言い出すのだ、と。


「昔からよく言うだろ? 『雨は天からの恵み』だって」

「確かに言うけどさ。高校生にもなってそんな真面目くさった顔で言うことじゃないだろ。そんなのを信じてたのはせいぜい小学生くらいまでの話だ」

「それでも、昔はみんな本気で信じてたろ? てるてる坊主を作って祈ったりさ。それこそ、学校で雲が出来るメカニズムを習ったからそう笑えるだけで、そうじゃなかったらずっと神様のしわざだと思ってたかもしれない。あまり神様を馬鹿にするもんじゃないぞ」

「いや、別に馬鹿にしてはないけど」

「ああ、そう」


 そう言って中村は水筒の蓋を開けると氷を一つ取り出し、それを口に入れるとバリボリと音を立てて噛み砕いた。


「まあ雨が神様のおかげかどうかは別にしても、雨ってのは昔から日本人にとっては欠かせないものだったんだ。特に梅雨はな」

「どうして」


 言ってから草閒は気がついた。


「あ、米か」

「そうだ。稲作には大量の水が必要だからな。それを供給してくれる梅雨のことを昔から日本人はありがたがってきたんだよ。それこそ、まさに天の恵みだって」

「へぇ」


 草閒は感嘆の声を上げた。


「お前ってそういう雑学的なことには無駄に詳しいよな。テストの点数はそうでもないのに」

「学校の勉強なんかよりそういうことを自分で調べるのが楽しいんだよ。学校では評価されない知識っていうか、そういうのってなんかロマンがあるだろ」


 中村はそう言って胸を張った。

 なんだか知らないが負けたようで少し腹が立つ。腹いせに、草閒は見せつけるようにして水筒を飲んでやった。


「でな、実はこの辺りの地域にはには稲作や雨に関連した面白い話が伝わってるんだけど――」


 中村がなおも話を続けようとしたところで、二人の会話を遮るものがあった。二人と同じクラスの男子生徒の声だった。


「おーい、そろそろ始まるぞ」


 時計を見ると、二人の出場するサッカーの試合開始時間が近づいていた。


「しょうがない。行くか」


 そう言って草間は立ち上げる。中村は「ここからが面白いのに……」と話の腰を折られたことに不満を垂れていた。校舎の影から出ると。鋭い陽射しが肌を刺した。

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