第4話

 尾上の件に終止符が打たれたのは、事故発生からわずか二日後のことだった。塚岡に依頼した遺体の詳細についてだが、特に異常は見られないとのことだった。犯人のものと思われるDNAは検出されず、衣服にも特殊な成分は吸着していなかったらしい。

「今度ばかりは当てが外れたかもしれませんね」と塚岡は弱音を吐いていた。

 無理もない話だ、と長谷川は思った。そもそも事件性を疑う物証が何ひとつ得られないなか、よく自分に協力してくれたものだと思う。

 だが長谷川は諦めなかった。時間を見つけては例の埠頭に足を運び、子どもの姿がないか確認していた。福山をはじめ、長谷川の行動を揶揄する者はいるが、実際には見て見ぬふりをしている。これまでの実績を鑑みると、いい加減あきらめろ、とも言いにくいのだろう。

 秘密基地に必ず小学生たちは集まる。その信念が実ったのは、事故発生から一週間経った土曜日のことだった。倉庫の手前で立ち止まった長谷川は、中から届いてくる複数の笑い声に耳を澄ましていた。いずれも声変わりしていない、少年のものだった。

 足音を殺し、迷わず段ボール置き場に突き進む。

 やあ、といきなり顔を出すと、「うわぁ!」という甲高い声が上がった。そこにいたのは三人の少年たちだった。それぞれの手には小型ゲーム機が収まっている。

「君たち、そんなところで何してるんだ。ここは遊び場じゃないぞ」

 長谷川がそう注意すると、彼らは慌てて顔を見合わせ、やがて代表格と思われる子がおそるおそる口を開いた。

「そっちこそ、誰なんだよ……」自らを奮い立たせるように、少年はいった。人相の悪い顔を相手に怖気づいているのだろう。

「おじさんは警察官だ。ほら、ここにちゃんとそう書いてあるだろ」素早く手帳を披露すると、彼らは「マジかよ、本物じゃん」と黙り込んだ。

「じつは君たちに──」

「ごめんなさい!」三人はいきなり声を合わせ、頭を下げた。「ここで別に悪いことをしてたわけじゃないんです。俺たちはただ、三人でゲームをしたかっただけなんです。親に没収されそうになったから、ここで隠れてやろうってことになって。ここで遊んでたこと、親にはいわないでもらえませんか」

「いけないことをした自覚はあるんだね」

「もうしません。ちゃんとした場所でやりますから」さらに深く頭を下げる。

 白髪がないのが羨ましいな、と長谷川は一瞬だけ思った。

「わかったよ、君たちを信用する。その代わり、おじさんがいう簡単な質問に答えてくれないかな」

「質問?」

「そう、質問だ。じつはおじさん、ある事故の捜査をしているんだ。すぐそこで男の人が溺れたって話を学校とかで聞かなかったかい?」

「それならタカハシ先生が朝礼のときにいってた。なあ、コウヘイ?」

 コウヘイと思われる子は小さく頷くと、怯えを隠し切れない目で長谷川を見つめてきた。スポーツ刈りの頭部が印象的だった。そして彼はこういった。

「学校で聞いたときは、人が死んだって聞いてびっくりして……あの、それから僕たち、事故があった日ここにいました……」後半部分が尻すぼみになった。いうべきかどうか迷ったのだろう。

 その一言で、長谷川は総毛立った。心拍が一気に上昇し、血液の温度も高くなる。

「そのとき、この周辺には君たちと溺れた人しかいなかったかい? どうかな?」

「いえ、他にもいました」

 長谷川はかっと目を見開いた。集中力が研ぎ澄まされる。

「どんな人だったか、詳しく教えてほしい。何人いた? 特徴は?」

「えっと……、どうだったかな……、たしか三人ぐらい……」

「馬鹿! ちゃんと答えないとダメだろ」見兼ねた代表格の少年が叱責し、あとの説明を引き継いだ。「外で人の声がしたから、倉庫を出てようすを探ったんです。そしたら、青い車のそばに三人立っていて、なんていうか、慌てた感じでした」

 あのう、と今まで黙っていた小柄な少年が、唐突に割って入る。細身で眼鏡をかけている。

「どうした?」と長谷川は訊いた。

「そのときの動画なら、タブレットに」彼は灰色のリュックからシルバーの端末を取り出した。物々しい雰囲気だったので、咄嗟にカメラを回したらしい。

「本当かよ? それ、見せてもらっていいかな」

 眼鏡の子はいわれる前から端末を素早く操作し、目的の動画を画面に表示させた。ご丁寧なことに、あとは再生ボタンを押すだけだった。

 そして流れた映像に、長谷川は絶句した。カメラアングルはこの倉庫を起点に、事故発生現場へと向けられている。角度的に岸付近の海面は見えない。尾上哲司の姿はどこにもなかった。すでに落水したのか。

 数秒前まで尾上哲司が釣りをしていたと思われる場所には、青い車が器用に停まっていた。本来なら下り坂で海へ転落というところだが、埠頭のボラードがうまく滑り止めになっている。

 車のボンネットには見覚えのあるステッカーが貼られていた。エンジンは動いておらず、運転席にも助手席にも人は乗っていない。

 久松啓斗、愛梨、喜美代の三人──。

 彼らはマニュアル車のすぐ横で、どたばたと予測不能な行動を繰り返していた。喜美代だけは口元に手を当てたままだ。迷い、焦り、戸惑い、そして各々の目線は近くの海に投げかけられていた。まるで溺れている人がそこにいるかのように。

 これは一体どういうことなのか? 

 久松啓斗はこう証言している。自分たちは埠頭の中央に車を停め、海風を楽しんでいただけだ、と。そして帰る頃になっても尾上哲司は相変わらず釣りをしていた、と。

「全然ちがうじゃないか……」呆れに似た感情と、真実に迫る高揚感とがうまい具合に織り交ざったような感覚になった。

 当然、長谷川の頭にはある仮説が浮かんでいた。

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