第36話 むかつく同情

 ホワイト・デュークはそのまま耳元で囁きました。

 ユミは微かに頷いて、恭順の意思を示しました。全身に鳥肌が立ちました。

 再度ハグを解き、ホワイト・デュークは両手でユミの肩を掴みました。

 「もう何年になる」

 「かれこれ十年以上になります。先生」

 『先生』を少し強めに言いました。無駄な抵抗かと思いましたが、警察にホワイト・デュークと自分の関係をアピールしたつもりです。

 「君、こんなところでなにしてる」

 「私、フリーターでして、この店で働いていたんです。それがクビになっちゃって。なんだか見たくなっちゃって来ました」

 変ですよね、と言いながらユミは大声で笑いました。目尻に涙が滲んでいたのに、ホワイト・デュークが気づいていたかはわかりません。

 「そうか」と呟いて、ホワイト・デュークは下を向いてしまいました。

 このご時世、バイトをクビになり、おそらく詐欺師の片棒を担いで自分の前に現れた元教え子。その現状がどんなものか、察するに余りある。全てがバレたのだ、とさすがのユミにも理解できました。ホワイト・デュークは辛そうな顔をしていました。

「大人たちが悪いんだよね。君たちが就職したのはリーマンショック直後だもんな。大変だったよね。大人たちには妙な成功体験からくる認識の甘さがあったのかもしれない。日本って、信じられないかもしれないけど、不景気が来てもすぐに立ち直れる強い国だったんだ。だから、今辛くても、すぐに持ち直す。持ち直せば、若者はなんとかなる。みんなそう思ってたんだ。辛いときの若者と、立ち直った後の若者は別の人間なんだけどね。未来ある君たちなら大丈夫だってね。まさか、こんなに大変な事態になるなんて。それにね、『短大出の就職なんて、どうせ結婚までの腰掛けだろう』、君たちが就職した頃にはそんなムードが微かに残っていてね。『それでも若者は立ち上がる』なんて、大人のご都合主義の、勝手な屁理屈をみんな持ってんだ。そんな勝手な理屈のために、どれだけの若者を犠牲にしてきたんだろうって。最近思うんだ」

 スカートを右手でつまんで、ユミに見せつけるようにした。

 「退職して、おおっぴらにこの格好をするようになって気づいた。完全に教育機関と離れられたんだね。これも君からすれば勝手な話かもしれないが、教育機関に存在する妙な理屈の渦中にいすぎたんだろう。『若者は勝手に成長する』そんな論理がついて回ってる。成長できないのは若者自身が悪い。みんなそんなことばかり話してる。教育機関なんだけどね。そんな理屈から自由になったら、なんだか人間らしくなったよ」

 「妻には逃げられたけどね」と言いながら、老人がくるくる回っている。スカートの裾が広がるのを見て、ホワイト・デュークは楽しそうにしています。

 ユミは鼻白んでいます。

 「こんなところにいて、変な病気になったら損だからね。早く帰りなさい。あとはなんとかしておくから。

 いいかい、一回電話してきなさい。絶対だよ。あと、鎮守の森の方へ逃げなさい。走らないでね。いいね」

 ホワイト・デュークと別れのハグをしたとき、そう耳元で囁かれました。

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