第33話 指定の場所へ

 その日は朝から食欲がありませんでした。あまりに行動しないと、人間の食は徐々に細っていきます。それに応じて、生きる活力が失われていきます。ユミはそんな自分に気づいていません。何も食べていないのに胃はもたれています。ときどき嘔吐いてしまいます。

 気だるさに包まれたまま、薄暗い部屋でベッドにもたれていました。決断はすぐにしなければいけないのに、踏ん切りがつきません。十五分もあれば、受け取り場所のショッピングセンターまでは行けます。外出用にスーツを着用しました。

 決断も踏ん切りもできないまま、やおらユミは立ち上がり、外に向かって部屋を歩き出します。もう考えるのが鬱陶しくなってしまったのです。「ええい、ままよ」と何かの小説で出てきた台詞を頭のなかで唱えました。ドアはできるだけ音がしないように開閉しました。安普請のアパートで無駄な努力だと思いましたが、隣人に気づかれたくなかったのです。廊下をパンプスで歩く音もなるべく立てないようにしました。

 ショッピングセンターへの道すがら、誰かに遭うことを 懸念していました。が、杞憂でした。緊急事態宣言が出されているため、人通りは絶えていました。

 住宅街を抜けるときには周囲の家から監視されているように感じました。妙に肩は強張り、ますます胃腸の動きが悪くなったような気がしました。

 住宅街から幹線道路に出ました。

 車通りもやはりまばらでした。時間帯は一日のうちで一番混雑しているはずです。たまに自転車で深夜にコンビニに行きますが、そのときの様子に似ているとユミは感じました。

 四車線の幹線道路の信号を渡ると、ショッピングセンターの入り口に着きました。

 腕時計を見ると、指定時間の三分前でした。

 奥にショッピングセンター本館のエスカレーターが見えます。手前には噴水を中央に置いた広場が見えます。広場へは緩い階段を上がります。階段の脇に白く塗られた鉄柱が左右に二本ずつ立っています。段の上の方の二本にはアーチ状の看板が掛かっていました。看板には赤い文字で「MERCATO FORESTALE~メルカート・フォレスターレ」と書かれていました。ショッピングセンターの名前で「森の市場」という意味のイタリア語です。広場の右手にはスターバックスがあり、左手にはイタリアンレストランがあります。店は白い漆喰で塗り固められていました。レストランのまわりを蘇鉄の木が囲み、敷地にはオリーブの木があります。このレストランには若者が入っているのを見たことがありません。少し高い価格設定になっているからです。周囲の人間には少し羨望の的になっています。ユミは入ったことはありません。

 五十万円が手には入ったら行ってみよう。

 そんなことを考えたら、少し気分が楽になりました。人間、現金なものです。

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