第26話 就職戦線異状ばかり
ノートパソコンのアップデートを待っている間に、疲れ切ってしまい、その日は夕飯も食べずに寝てしまいました。
翌日から、就職活動開始です。
昨日の妄想がどうして起こったのかは、ユミは分かっています。
「就職活動をしなければならない」という事実に引っ張られたのだと思っています。ユミは三十代に入ろうとしていましたが、年齢を重ねるほど、こういう嫌な妄想に取り憑かれる度合いが高まってきています。
他の人はこんなことないのかな、と想像します。同級生のなかには、結婚して子どもを作って、幸せそうにしている人もたくさんいます。そういう人は妄想する余裕もないのかな、と考えるのです。ユミの場合、余裕もクソも、暗雲が空を覆ってしまうように、こちらの都合などお構いなしに、暗い想像が忍び寄ってきます。
暗い想像に比例して、精神の自由度は失われてきています。嫌な思い出に浸り続ける時間がどんどん増えていっているからです。常に、切迫した気分です。「どうにかせねばならない」という気持ちがないわけではないのに、身体が怠くて動きたくないというのが本音です。最低限のことだけやりたいのです。
気がつくと、フラッシュバックが始まります。自然とテレビ番組や漫画などはシリアスなものを避けます。映画は映像が美しければシリアスな展開でも見ることができます。テレビのお笑いはもってのほかです。他人を嘲笑しているのに耐えられないのです。ユミ自身は全く面白くないのに、他人を蔑む映像や露骨な差別をしていても、画面からは笑い声が聞こえ、出演者は手を叩いて笑い、スタッフが笑い、おばさんの声が笑います。どうしてこの人たちは笑っているのだろうと思っていると次の展開です。
テレビを極力見ないので、しばらくの間、そういうストレスに晒されないで済むのはいいことです。
今日のような最悪の気分のときはフラッシュバックが立て続けに起きます。しかし、そんなことにかまけている暇は本当はないのです。
気分を変えようとスマホを見ると、LINEで、昨日の夜の提案をどうするか、集計をしていました。
店の周囲に住む主婦を中心に、辞退をする人がいました。店にも残らないし、収入保障を求めることもしないというのです。つまりは、コミュニティの人間関係を優先するということです。
ユミは自分に言い聞かせました。
「いい人になる必要はない。いい人になる必要はない」
正義ぶれるのも、格好つけられるのも、余裕があるからです。
「私は店には残らないでお金をもらいます」
とLINEで返信しました。
コミュニティに属さないユミは人間関係にこだわる必要はないので、辞退は論外です。店に残ったとしても、いつ店が再開するかはわかりません。明日の食事代がないというところまで追い詰められてはいませんが、現金は早めに欲しいというのが本音です。
例の劇団員も「お金をもらう」と表明しました。
ユミは思い切って、トークで劇団員に話しかけてみました。その劇団員の男と一緒のシフトだったことがあったかどうか、はっきりとは覚えていません。ユミも人のことが言えませんが、あまり目立たない人です。役者さんでその存在感なのは良いことなのか悪いことなのか。ユミはよくわかりません。
「役者さんはまだ続けるんですか」
「はい。辞めた方がいいですかね」
「無責任なこと言えないから、背中を押せないよ。夢を追いかけるべきだ、とも言えないし、引き留めることもできないです。でも、続けるって聞いてちょっとほっとした」
自分に学芸員になりたいという気持ちがあるからです。
「安心? どうして」
「私は夢を追いかけるのを辞めなきゃいけないかもしれないから」
「そうか。本当だね。他人に『夢を追いかけろ』なんて言えないね」
「でしょ。そんなこと言うなんて、死ぬほど無責任か、よっぽど恵まれてて、夢を追いかける資格があるか、どっちかだよね」
「そうだね。なんにせよ、ユミさんの選択が、良い方向に向かうといいね」
「ありがとう。あなたも良い役者さんになってね。いつか見に行くよ」
LINE上のやりとりなのに、ユミはなにか満たされた気分になりました。
役者にむいているかどうかは分かりませんが、かなり良い奴ではある、とユミは思いました。結局役者は舞台や画面上で映えればいいわけで、普段は純朴でもいいのです。それに、最終的に生き残るのは、純粋に役者をやるのが好きな人で、そこに栄華だけを求めている人は消えていくものだとユミは思っています。彼はきっかけさえあれば伸びるはずだ。そうユミは根拠なく思いました。
そう伝えようかと、再びスマホを持ちましたが、止めておきました。
もう、何が正解なのか分からない世界です。好きなことがあって、その世界に没頭できるのであれば、それが一番良いのかもしれません。
グループで最後、書類など必要なものがあれば連絡があることを確認して、LINEを終えました。
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