第19話 みんなの事情
昨日、パートさんたちと分かれて帰宅したあたりから、LINEのグループの通知が鳴りっぱなしになりました。
外出してからの着替えもそこそこに、座り込んでそれに見入ってしまいました。
部屋は古いアパートで、部屋のほとんどがベッドに占領されているような状態でした。そのベッドの脇に、小さなプラスチック製の白いテーブルが置いてあります。そこで、食事も読書も勉強も済ませます。冬も夏も模様替えをしないままです。お金がないので、短大時代に部屋を作ったまま、何も買い換えていません。
さて、そのLINEで何が話されているかというと、今回の解雇に対する処置でした。
皆はとりあえず、急な解雇に納得はしていないのです。それはユミも一緒です。皆で一丸となって、対抗措置をとろうということになりました。ユミたちが取るべき手は二種類です。一つは解雇の撤回、もう一つは一ヵ月の給与と同額の手当てを支給させるか。この二種類を「
ただし、今回のCOVID-19の流行が、「天災」と労働基準監督署に認定されると、少々厄介な状況になるようです。
これから「Bosque」で働く意思があるのか、それとも給与分のお金を受け取り他に行くのか、それぞれのフリーターとパートの意思をとりまとめる作業が行われました。
解雇も突然なら、こんな訴えを起こすのも、皆当然はじめてです。
ひっきりなしに、十数人のコメントがLINEのタイムラインに飛び交いました。
先に上がった二種類の対抗策のどちらを選択した方が良いのか、という話もされましたが、合間にこれからの不安も聞かれました。なかでも、身内もなく一人暮らしをせざるを得ない状況の女性は悲惨な状況であるということがわかりました。
「岡村じゃ無いけど、風俗しかないかもね」
という悲嘆に暮れたコメントにはみな一瞬絶句してしまいました。だれも返事を打ち込めません。「おい、スルーかよ」というコメントが入ったときに、特になぜか男性からは「大丈夫ですよ、気休めかもしれませんが」といった、薄い返事がありました。あまり、女性からは反応がありませんでした。
ユミと一緒で地方から出てきて、東京で一人暮らしをしているものもいます。学生ももちろんいますが、バイトをしながら、夢を追いかけているものもいます。劇団員の男性は、「もう潮時なのかもしれません」と弱音を書き込みました。
この劇団員の弱音が一番ユミに突き刺さりました。
ユミも「学芸員」という夢を追いかけていたからです。
「どこかで、夢を追いかけるということで、現実から逃げていたのかもしれません。緊急事態宣言が解除されたら、実家に戻ろうかな」
読んでいて、心臓がパクパクなっているのが分かりました。思わず、口を手で押さえてしまいました。分かりすぎるほど、この劇団員の気持ちが分かるのです。自分はどうしたらよいのか、ということを考えていました。
この間、ライブハウスなどの小規模な劇場でクラスターが発生し、宮藤官九郎もCOVID-19に感染しました。それが演劇関係者にどれだけショックを与えたのか、想像に難くありません。
「失言ってことになってるけど、平田オリザの気持ちも分からなくなくて。オレたち演劇関係者を勇気づけようとしているのは痛いくらい分かるよ。オレたちって必要とされてないんだって、イヤでも自覚しちゃって」
誰も適当なことを言えませんでした。「もう少し頑張れ」は無責任すぎ、「諦めろ」は冷酷すぎます。
少し年上のパートさんが書きました。
「どういう結論するのも、あなた次第だよ。でもね、今の自分が冷静な判断ができていると思うのもどこか間違ってると思う。日本全国、いや世界中の人々が危機的な心理状態のなかで暮らしてるでしょ。こういう状態で冷静に、客観的に、様々なことが判断できる方が珍しいと思う。今はね、最低限生きていけるのなら、判断を保留するというのが一番の策だよ」
ユミはそのコメントを見て、涙ぐみました。なんだか救われた気がしました。昨日一緒に帰ったパートさんとは違う人です。彼女は一流の企業で働いていましたが、結婚を機に退社しました。そして、「Bosque」で働くようになったとユミは聞いています。
どうして、こんな言葉を発することができる人が、企業で働けないようになってるんだろう、と本気でユミは思いました。絶対に良い仕事をするのにな、と。
同じ職場にいて、同じような制服を着て働いていると、みな同じだという気分になっていましたが、みんな様々なシチュエーションに生きているということが、こういう事態になるとよく分かります。
そんな人生の一幕を、帰ってからスマホの小さな画面で見せられているような気分でした。自分はどう生きていくべきか、それを考えさせられました。人生相談にならない、人生相談が一、二時間、ずっと続きました。
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