第18話 宵の明星

 三々五々、店員たちは家路につきました。

 帰りの道すがら、ユミたちは歩きながら話していました。「Bosqueボスケ」から帰るときも駅に向かって歩きます。同じシフトになることが多く、帰り道が同じ二人と一緒でした。ユミは二人の後ろからついていく格好になりました。二人の話を後ろから聞いています。

 鎮守の森の木立の間から空を見えました。空は青の濃い水色をしていました。まもなく日が沈みます。しかし、かろうじて陽光の裳裾が白く尾を引いています。その裳裾と濃い水色の際のところに、銀色に光る星がありました。

「宵の明星だ」

 ユミの心は少し躍りました。

 白銀の光を放つ明星を見ると、なんだか明日は良いことがあるような気がするのです。現実は真逆の明日が待っているのですが。

 前を歩く二人は明星の存在などつゆ知らず、深刻なトーンで話し、深刻な足取りで、白石を踏んでいきます。

「あんなに丁寧にしゃべってる、バブルオヤジ、見たこと無いっすよ」

 男の方が嘲笑するような感じで言いました。男は二十代でフリーターです。

 店長は、なぜか色黒でした。別にゴルフをやっているとも、サーフィンが趣味とも聞いたことがないのですが、アウトドアの活動が似合う色黒さでした。その色黒さと、年齢から「バブルオヤジ」と陰で呼ばれていました。

「トラブルになりたくなかったんだろうね」

 それを受けるのが、女性で四十代のパートさんです。子どもが二人います。

「要するに時給を低く抑えられる学生を残して、パートとかフリーターの人たちを切ったわけでしょう」

「本当は逆ですよね。生活かかってるんだから、我々は」

 どんな職種でも、うまくいっている職場では自ずと仲が良くなります。「Bosque」もそうで、一緒に呑みに行くなんてことも多々ありました。この一ヵ月でその様相が一気に変化します。

 白石の砂利はやしろのほんの周辺にしか撒かれていませんでした。外れると朽葉の覆う小道になります。三人がその朽葉くちばを踏みしめる音がなんとも気持ちが良い、とユミは思っていました。不意に鼻腔びくうにラベンダーの香りが入ってきました。見回しても、ラベンダーなんてありません。

「ユミちゃん、次のあてあるの」

 パートさんが聞きました。

「あるわけないじゃないですかぁ。急すぎますよぉ」

「その割にずいぶん、のんきね」

 ユミは、ユミなりに深刻になって言っているつもりでした。

「ユミさんらしいっすね」

 男の店員はそう言いながら、「ウフフ」と笑いました。ユミは「女の子っぽい笑い方だ」と思いましたが、言うと問題になる昨今なので言いませんでした。心のなかでは「君だって、充分最近の男の子っぽいよ」と思っていました。

「ユミちゃん独り暮らし?」

「そうです」

「じゃあ、大変ね」

 ユミは高校のとき、美術系の大学を志望していました。創作の方ではありません。学芸員になりたかったのです。しかし、短大にしか行けませんでした。理由は経済的なものでした

 ユミにとっての世界はユミの感覚よりもずいぶんハイ・スピードで回っていました。それはユミの両親にとってもそうであったらしいです。

 高校一年の担任の先生は保護者会などでこうレクチャーしました。

「今は五割越える高校生が大学に進学します。就職にも響くので、進学に関しては充分にご家庭で考えて欲しいです。もしも大学に進学するのであれば、それなりに入学金や授業料がかかるので計画的に用意をするようにしてください」

 なのに、両親は計画的な資金準備に失敗してしまいました。

 経済的な理由で進学できない、と高三の三者面談のときに担任の先生に告げたときの、先生の顔は忘れられません。「驚嘆」という表現がまさしく当てはまる、目と口をぼっかりと開けていました。「そんなことあるのか」という言葉が口から漏れました。一瞬、放心していたようでした。

 きっと今考えると父は恥ずかしかったのだとユミは思っています。

 父がその先生の反応に逆ギレして、「娘は就職させる」と言い出しました。先生は必死に止めました。

 ユミからすると、大人たちは自分のことを話しているのに、なんだか自分のずっと頭の上の方で空中戦をしているのを地上から眺めている感じがしていました。

 結局、妥協案として短大にいくことに決まりました。

「ユミちゃん」

 前を行く二人から声をかけられて、驚きました。夢うつつの状態で歩いていたのでしょう。

「とにかく、みんなで情報をシェアしあいましょう。こういうときだからこそ、アイミタガイね」

 一瞬、「アイミタガイ」という言葉の意味が分かりませんでした。

 きっと、「相身互い」と書くのだろうと頭のなかで漢字に変換しました。なんとなく意味は分かります。文脈から言っても、「こういうときは似たような境遇の者同士、助け合おう」という意味だとユミは考えました。

 しかし、どこが「似たような境遇」なのだろうと思いました。

 パートの店員さんは旦那さんがいて、最低限、食事には困りません。

 男の店員は実家住まいです。

 地方から出てきて一人暮らしのユミは、下手すれば孤独死の危険性。

 どう考えても、似たような境遇とは言えません。

 けれども、本当の本当に困ってしまったときには助けてもらうかもしれないので、「そうですね」と返事をしておきました。

 ショッピングセンターの入り口のゆるやかなスロープを二人に続いておりました。スロープの下は駐輪スペースになっていて、平日、休日問わず、たくさんの自転車が止まっていましたが、今はほとんど止まっていませんでした。

 ショッピングセンターに面した通りは高速道路の出入り口に通じる道で、様々な場所に通じる交差点がもう少し先にあり、いつもの夕方はとても交通量が多いです。排気ガスで少し息苦しいときもあります。今は如実に交通量が減少しています。要請で強制でない、政府の呼びかけが、これほど効果があるということにユミは驚いています。

 仕事をするときにしかしない腕時計を見ると、六時になろうとしていました。日は残り火も消えようとしています。人々が家にいるからか、いつもより綺麗な空に、星が瞬き始めました。

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