第5話 人とストレス――タカシくん編

 朝、その一報が伝えられました。噂を聞きつけたお父さんの部下が、走り込んできて、大きな声で皆に伝えました。

 深夜の東名で事故った、と。

 急にバイトに欠員ができて、そのドライバーさんが屈託もなく、代わりを引き受けたのです。過重労働のために、居眠りをしてしまったのです。

 一報を聞いたとき、誰もが凍り付いてしまいました。

 人々の静寂を埋めるように、空調の音だけが聞こえます。

 皆が絶句をして、そののちに彼の冥福を祈ったはずです。

 張り詰めた緊張感のなか、一人の女性社員が笑い出しました。それも高い、大きな声で、大笑しました。緊張した空気を切り裂くような声でした。

「不謹慎だ」

 別の社員が怒って、叫びました。怒りの叫び声を上げた人間も、笑った人間も、根っこにある感情は同じです。怒りの声や動揺が、さざ波のように経理部にいる人間に広がっていきました。

「落ち着け」

 お父さんは課長として言いました。

「みんなショックが大きいのは分かる。人間、緊張すると、『きゃー』って叫ぶだけじゃなくて、笑い出してしまうことがあるんだよ。大きなショックを受け止めきれないんだ。感情がおかしくなることで、受け流してるんだよ。みんな気持ちは一緒だ」

「何見てるの」目の前のお母さんが少し不満そうに言いました。

 お母さんがそのときの社員たちと重なりました。本当はお父さんはお母さんを抱きしめてあげればいいのです。いつのまにか二人は家族の一員になってしまって、長いこと、抱きしめるなんてことはしていなかったので、お父さんは臆してしまいました。

 二人の間に、なんともいえない、緊張感が漂い始めました。夫婦喧嘩をした後のようなけだるさがあります。

「君もストレスが溜まってたりして」

「当たり前よ。こんなときにストレス溜まっていない人って、あなたくらいよ」

 と言いながら、こめかみの辺りを右手で掻き始めました。少し、右側に顔を傾けて。そのまま、顔を覗き込みました。

「あなただって悪いのよ」

 とお母さんは言いました。

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