後日談2「勇者は娘さんをもらいに行く」

 アリサ・ブランドーが出迎えたのは、頬っぺたを真っ赤に腫らした恋人だった。


「またダメだったのね」


 苦笑と呆れを取り合わせた表情で、硝子の瓶を差し出す。


「ポーション、いる?」


 アリサの問いに、菅野学はいつものように首を振る。

 例年よりも早いモンスーンが鎧戸をガタガタと鳴らし、学校休みの弟や妹は楽しそうに母親のもとに報告に行く。


「おかあさん! 浮気男さんがまた殴られてる!」


 学はそれを渋い顔で見守り、ポーチから冷やしたタオルを取り出した。


「3人とお付き合いしてますなんてこれ以上ない不誠実なんだ。他の事では不実な行動をしたくない」

「別に、殴られたあとを治療するのが不実だとは思わないけど?」

「じゃあ、男の意地」


 妙な理屈をこね回して意地を張るのは困ったものだが、自分の為にここまでしてくれると思うと、笑みがこぼれてしまう。我ながらちょろいとも思うが。


「父の同意を取り付けなくたって、私は学と付き合うって決めたんだから問題ないでしょ? 倫のことも、ツバキの事も気に入ってるし」

「俺の為に家族関係にひびを入れるとかありえないだろ。お前らと付き合う以上はちゃんと筋は通す。倫の両親にもそうしてる」

「そして汚物を見る目で追い返されたと」


 図星を突かれた学は「ぐうっ」とうなって肩を落とした。

 正直、学の言っていることは高望みしすぎだし、ひとりで抱え込み過ぎだと思う。

 だが、そこを可愛いと思ってしまうのも事実で……。


「じゃあ、次に親父さんが休みの時。また来るから」


 転移の宝珠を取り出す学を止めたのは、アリサの母親だった。


「プレイボーイさん、たまにはチョリソソーセージエンチラダス鶏とトルティーヤのトマト煮込みの昼食でも如何?」


 「だってさ?」と水を向けると、学は神妙な顔で頷いた。


「ご相伴に預かります」


 どうやら第2ラウンドが始まるようだ。戦場に向かう時の方がまだリラックスしている。

 これは、長丁場になりそうねと思いつつ、普段見られない学を見られるならそれもいいかと都合のいいことを考えた。




◆◆◆◆◆




「2人とも飲酒ができる年齢だそうだけど、法律上の年齢に従ってもらうから、今日は我慢して頂戴」


 ジンジャーエールを注ぐアリサのお母堂に、学は緊張の生唾を飲み込んだ。

 アリサの話では、退官してはいるが元女性軍人G.I. Janeらしい。アリサの母親だけあって恐ろしく美人だが、料理の皿を置いてゆく所作には妙な迫力がある。

 おそらく、魔王軍の一般兵ならあしらえてしまうのではなかろうか。


「おい浮気男! まだねーちゃんのことあきらめねーのかよ」


 チョリソを突き刺したフォークを学に突きつけてくる弟を、アリサが「お行儀が悪い!」と睨みつけて黙らせる。

 多分、姉へのあこがれと気遣う気持ちがそうさせたのだろう。子供相手でも、それをあしらうのは違う気がした。


「悪いけど、こいつは俺のものだから。必ず幸せにするから、勘弁してくれ」


 一瞬宇宙人でも見るかのような視線で見つめてくるアリサの顔が、信号機のように真っ赤に切り替わる。


「ちょっ、何言ってるのよ!? まさかパパにまでそんなこと言ってないでしょうね!?」


 すみません言ってます。

 不誠実より羞恥の方がマシ。それが学の下した結論だった。


(俺だってこんな歯の浮く寝言言いたくなかったよ!)


 そんな心中を知ってか知らずか、弟殿は頬を空気でいっぱいにし、お母上は「ふーん」と細めた目で学を見つめてくる。


「最初に言っておくけどね? 私もあなたたちの関係は面白く思っていないわよ。大切な娘を唯一無二と思わない相手にあげようとは思わない」


 当然の厳しい言葉に、学は深々と頭を下げた。


「おっしゃる通りです」


 勝手を通そうとしているのは自分だ。アリサを諦めるという選択肢はないが、きっと黙っていた方がうまくいったと思う。だがそれでは彼女に嘘をつかせることになる。そんな状態でのうのうとお付き合いをするという気にはなられなかった。


「ママ! それは私が……」

「あなたは少し黙っていて」


 口を挟もうとしたアリサを、柔らかいが有無を言わせぬ口調で遮った。


「でもねぇ、あなたはそれ以外のところは理想的な彼氏なのよねぇ」


 意外な評価に、「へっ?」と間抜けな声を出してしまう。

 アリサは「でしょう!?」と胸を張った。


「正直あなたがここまで粘るとは思わなかったわ。主人の拳骨を5回も受けて懲りずにまたやってくる人は初めて見ました。そこまでして筋を通そうとする人もね」


 そりゃあ、殴られ慣れてるだけですとは言えず、神妙に次の言葉を待つ。


「それは多分、主人も同じだと思うわ」

「えっ?」

「考えてみなさい。あの人は本職の軍人GIよ? 普通の浮気男を叩き出すのに本気で殴りに行くかしら?」


 確かにとアリサに視線を合わせる。

 彼女の方も今気づいたらしい。


「あの人はあの人なりに、あなたを試しているのよ。私としてはあなたが身辺を整理してくれるのが理想だけど」

「申し訳ありません。出来かねます」

「……はっきり言うわね」


 母上は駄々っ子に匙を投げる体で苦笑する。


「今度はディアちゃんを連れてきて頂戴。そうしたら今度はブリトーとタコスを御馳走するわ」

「申し伝えておきます」


 相変わらずディアはブランドー家で大人気らしい。弟妹たちも、ディアはいつ遊びに来るのかと口々に訪ねてくる。

 千彰と美都がやきもきしないか心配になってきた。


「おい!」


 背後から大声をぶつけられて、反射的に「はいっ!」と起立する。どうやらこの5回の面会で、アリサの父上には随分と苦手意識を叩き込まれたらしい。


「なんだ、まだいたのか。……いや、それどころではない」


 奥方に向き直ったお父上は、学を張り倒した彼とは別の顔。戦いに臨む軍人の顔だった。


「軍服を。招集はかからないと思うが、基地で待機する。この嵐で崖崩れが起きたらしい。ログハウスが何軒か巻き込まれて救助が難航してるそうだ」


 学は一瞬だけ思案し、すぐにアリサに視線を送る。

 彼女もまた頷き返した。


「アリサを少しだけお借りします」


 食事に両手を合わせると、ポーチから転移の宝珠を取り出す。


「現場の場所と要救助者の人数、あとは知りうる限りの情報を」


 呼びかけた時にはすでに頭の中で救助計画が策定中だった。

 この手の事故は対応が早ければ早いほど死者を抑え込める。おそらくゼロにはならないだろうが。

 アリサの父は学を値踏みするように眺め、問いかけた。


「5つの誓い、だったかな? "君たち"にはそんなルールがあっただろう? 誰でも彼でも助けたら、見捨てるより良くないことが起こると」


 学は「その通りです」と一度は肯定し、それから首を振って否定した。


「確かにあらゆる人間を助けようとすれば、人々は勇者に頼り切って自分の力で助かろうとしなくなる。なによりそんな使命を自分に課したら、きっと心が壊れてしまう」


 それは、女神との戦いで学んだこと。

 自分がすべてを行わなくても、人間はまだやれるんだと信じること。

 だけれど、こうも思うのだ。


「いま目の前で助けを求めている人がいるんです。小難しい理屈で見捨てたら、それは勇者の名折れじゃないですか」


 学が御父上とにらみ合った時間はきっと数秒だったが、長い長い時間だった。


「アリサを連れて行くなら条件がある。私も同行させたまえ」

「パパ!」


 筋金入りのGIはアリサの抗議を却下した。


「私は軍人だぞ! 人を救うのが仕事だ!」


 啖呵を切る彼の気持ちは痛いほど分かる。人のために磨いてきた力を、人のために使えないのは何より苦痛だろうから。


「……わかりました御父上。宝珠に手を」

「貴様に父上と呼ばれるのはまだ・・癪に障る。私はブランドー曹長だ」

「はい。よろしくお願いします曹長殿!」


 サーシェス式の胸の前で手を当てる敬礼を行い、アリサに向き直る。


「ダメって言っても行くんでしょう? パパのそういうところ、学みたい」


 アリサは一方的に告げると、ベーっと舌を出す。

 思わず曹長と顔を見合わせてしまい、見送る家族たちがぷっと噴出した。




 雨中の救出は困難を極めた。

 幸いにして現場は曹長が訪れた経験がある。転移の宝珠で直接乗り込むことができた。

 二酸化炭素を探知するマジックアイテムを放ったことで被災者を見つけるまでは順調だったが、次々流れてくる土砂と衝撃で脆くなった建材が救助を妨げた。

 力任せに掘り出そうとする2人を曹長が窘め、的確な指示で障害物を排除してゆく。

 マジックアイテムが全員救助の信号を送ってくるまで、1時間とかからなかった。

 被災直後に即死した者を除き、全員を救助したことになる。

 怪我人全員にポーションを大盤振る舞いすると、人払いの魔法を解除する。

 駆けつけてきた救助隊は、安全な場所で安らかな寝息をたてる救助者たちを見つけることになる。




◆◆◆◆◆




「私は、今までいろんな軍人を見てきたが……」


 帰りがけの学を部屋に呼び出し、曹長が語り掛けてくる。

 いったい何を伝えたいのか訝しんだが、「良いから聞け」と命じられ、無言で続きを促す。


「貴様……、いや、お前は指揮官ををこなせるだけの押しの強さと求心力を持ち、参謀をこなせるだけの繊細さと柔軟さ、下士官のように現場を回す能力もある。実戦経験も豊富で、完璧な軍人だ。一見な」

「一見?」


 自分が完璧とは思わなかったが、そういう軍人がいたりしたら怖いものなしだとは思う。


「完璧そうな奴は慢心して破滅するか、なんでも自分でやろうとして自爆するか、そういう危険をはらんでいる。お前は後者だろう」


 思い当たる節がありすぎて、頷くしかない。

 サーシェスでは散々アリサに心配をかけた。今思い出してもありがたさと申し訳なさが募る。


「アリサの奴は、良い指揮官になれると思っている。だが、参謀も下士官も無理だ。あいつには鷹揚さはあるが、策を弄したり、些事にあれこれ気を回すのは苦手だ。つまり……」


 そこまで言うと曹長は言いよどみ、意を決して口火を切った。


「ちゃんとできないところを補い合え。あいつを支えろ。それが出来たら……」

「出来たら……」


 熱帯魚のようにぱくぱくと口を開いたり閉じたりしていたが、その言葉は出てこなかった。

 代わりに、ふんと鼻を鳴らすと、苛立たしげに告げた。


「職務上のバディとしては認めてやる」


 学は曹長のしかめっ面を眺めた後、静かに頭を下げた。

 結局退室時に“気合を入れて”貰い、外で待っていたアリサが方に手をおいてくる。


「まただめだったのね」

「いや、そうでもなかったよ。あと、やっぱりポーションを頼むわ」


 ポーションを一気飲みした学はぼそりとつぶやいた。


「結局、俺はやっぱり弱いんだ。でも弱くてよかった」


 アリサは狐につままれたように恋人を見つめ、背中をどんとたたいた。


「よし、そこに気づけてお姉さん嬉しいわ」


 〔破壊の勇者デストロイヤー〕は照れたように微笑んだ。

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