第10話「勇者は元勇者と決別する」

 志賀武史がやってきたのは、全ての一般人の避難と、体育館のバリケードが完成した後だった。

 偶然かも知れないが、彼は学たちの準備が終わるのを待っていてくれた気がした。


「やあ、久しぶりだね。学君」


 傍らに〔隊長コマンダー〕を従えてはいるが、彼が放つ魔力の気配は桁違い。恐らく彼一人でもこの場の全員を相手取れるだろう。


「ご無沙汰してます。志賀さん。できればこんな形じゃなく、また研究の話を講義してもらいたかったよ」


 武史は学の言葉に答えず、ネフィルに視線を向けた。


「マスター、私は……」

「いいんだ。君が心を痛めていたのは知っていた。僕はもう行いを止める気は無いが、君は好きにすると良い」

「武史さんっ!」


 武史はネフィルの叫びを黙殺した。

 そこに迷いや苦悶はあったのか、学には推し量れない。


「学君、諦めて僕と来る気はないかい? このままでは僕は、君の大切な人たちを殺さねばならない。女神との契約だからね」


 武史の言葉に、図書館で言葉をかけてくれた彼は、何処かに行ってしまったと痛感した。

 取り戻さねばならない。


「それで、ポーションをばらまいて世の中を滅茶苦茶にするのを許容しろと? たとえそれでこいつらの命を助けても、今度は俺がこいつらに殺されちまいますよ」

「君は、〔破壊の勇者デストロイヤー〕を名乗りながら正道を行くつもりなんだね? だが、それは君が”間に合った”からに過ぎないよ」


 それは、否定できないだろうなと思う。

 捕らえた〔軍団バタリオン〕から聞き取った話によると、地球人が何らかの異世界に召喚されたのは1年程度の誤差があるが、ほぼ全ての例が地球への帰還は召喚された直後の時間で、武史のように一ヶ月のずれは例外だ。

 だが、もし自分の帰還が遅れ、そのせいで倫に何かあれば、自分はクラスメイト達を許さなかっただろう。


「女神の話では、世界の壁を越える際、座標のずれからそうなる事があるらしい。だが僕にとってそのずれは全てを失うきっかけだった。香里はね、病弱な子だった。最初は妹みたいに思っていたが、大学の帰りに迎えに行くと僕を見てぱっと顔を輝かせるんだ。大切な幼馴染で、大切な人だった」


 学は無言になる。

 自分も大切なものがあるからこそ、失った痛みに想像がついたからだ。

 それは、心が引き裂かれるほどの激痛だろう。


「地球に戻った時、香里の葬儀はもう済んでいたよ。僕は彼女が自殺するなんて納得いかなくて、彼女のクラスメイトを下校途中に捕まえて問い詰めた。言葉を失ったよ。SNSで性器の写真が出回っていたそうだ。クラスの女子が同調圧力で無理やり撮影して配ったそうだ。既に拡散されていて消去は不可能。あとで、『武史ちゃん、ごめんなさい』と書かれた手紙が出てきた。意味は明白だ」


 ありうる話だと思う。

 今日あれだけの団結を見せたクラスメイト達が、倫や美都に対して非人間的な対応をした。

 人間は制度と言う鋳型に嵌められると、どんな残酷なことも平気でこなしてしまう。そして、そこに罪悪感など存在しない。

 だから学は、カーストを壊したのだ。


「気が付いたら、目の前の女子を引き裂いていたよ。最初は怖くてたまらなかった。命がけで世界を守った自分が、闇に堕ちたと。でも、怒りは収まらなかった。結局、残りの当事者も〔博士ドクター〕に頼んで心を壊してもらった。残念ながら、後悔はいまだに無いんだ」


 「学!」

 倫が呼び掛けてくる。

 頷いて、武史に向き直る。

 自分は、言わなければならない。そして、決別しなければならない。


「志賀さん。多分、俺とあんたはそう変わらない。俺が同じ立場なら、やっぱり同じことをする。いや、俺は性根が曲がってるから、もっとえげつないことをするんだろうな。だが、決定的に違う事がある」


 自分は、危ないところにいたと思う。

 すべてを背負い込む傲慢さは、間違えれば多大な流血をもたらす。

 それをツバキたちが止めてくれた。

 だから。


「俺もあんたもスクールカーストを壊そうとした。だが、俺は腐った制度を取り払えば、皆が人間性を取り戻すと信じていた。あんたがやろうとしてるのは、強者と弱者を入れ替えるだけ。ただの憂さ晴らしだ。あんたは信じる事を否定しちまったんだよ!」


 武史の目がすっと細まる。

 彼が何を思っているのかは分からないが、学は言葉を続ける。決別の為に。


「あんたがポーションをばらまけば、あんたの幼馴染みたいな犠牲者が大勢出る。たしかにその犠牲者はかつての加害者かも知れない。でも、まだやり直せるやつもいっぱいいる。そいつらを足蹴にして、あんたは元勇者を名乗るのか!? 俺はあんたと共には行けない。たとえ俺の愛する人間が引き裂かれようとも。俺が俺の生き様を汚したら、こいつらの誇りまで汚すことになる。そして、これ以上犠牲者を出す気は無い! 俺の仲間も、未関係の人間もだ!」


 学は武史を正面から見据え、宣言する。

 それは、宣戦布告の掛け声だった。


「俺は、あんたの傲慢をぶっ壊すッ!」


 沈黙が流れた。

 武史は「そうか」と呟き、眼鏡の蔓を触った。


「デハ、皆殺しにしよウ、大人も子供も切り裂いテ、香里の死を黙認しタ社会を壊しテしまおウ!」


 武史の周囲に、妖気が漂い始める。

 突然の豹変に、ぎょっとした〔隊長〕が「〔元帥マーシャル〕! 我々は世直しをすると……!」と抗議する。


「うるさイ!」


 苛立ちと共に、魔力の力場が〔隊長〕を跳ね飛ばす。

 耳障りな金属音と共に、武装を粉々に砕かれ、〔隊長〕は昏倒した。


「……が、女神の力」


 アリサが嫌悪感をむき出しに武史を見つめる。

 それはこの場にいる人間の共通した思いだろう。このような事、神を名乗るものがやっていい筈がない。


「……行くぞ」


 学は静かに宣言して、ポーチから魔銃を取りだす。

 戦端が、開かれた。

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