第18話「文学少女と御曹司」
勉強会で一星が現国が苦手だと知って、小暮霧花は小躍りしたい気分だった。
美都と千彰は示し合わせたように一星を霧花の隣に座らせ、教科は現国から始めようと宣言した。
「一星君、現国の問題は、作者の意図を読み取ろうとすると失敗する事があるの」
「どう言う事だ? 問題は作者の意図を問うているんだろ?」
「ええとね、この小説の作者は、ずっと前に死んじゃってるから、意図を問うても確かめようがないの。だから、質問から読み取るのは、作者じゃなくて、出題者の意図なの」
一星は「そうか!」と膝をたたく。
文学に思い入れがある人間が現国の勉強でひっかる間違いだ。勉強は勉強。時として、文学を楽しむことと切り離して考える割り切りが必要だ。
考え方の癖を修正してやれば、たちまちのうちに正答率が上昇する。
(やっぱりすごいなぁ、一星君は)
一星が気になりだしたのは、たまたま読んでいたマキャベリの『戦術論』を見られた時だ。
『やっぱり、変かな?』
つい出てしまった卑屈な言葉を、彼は一笑に付した。
『良書を読むのに男も女もないだろう?』
彼が、自分の芯の無さを嫌っていることは薄々感じていて、だからこそ近寄らないでいた。
だが、彼は嫌いなはずの自分に対して筋を通したのだ。
すごくかっこいいと思った。
一星は人気者で、狙っている1軍女子は多い。
だから。「3軍の自分なんて……」と諦めていた。美都に、河衷防衛隊の皆に勇気をもらうまでは。
もしかしたら駄目かもしれない。でも、別に駄目でも失うものがあるわけじゃない。自分を曲げたら、皆の励ましを無にしてしまう。
(わたし、頑張るから!)
◆◆◆◆◆
鮫島一星にとって、一軍女子たちの「いじり」を受ける小暮霧花には苦々しい思いを抱いていた。
クラス分けの日、彼女が読んでいたのは、人生の師が後援した絵描きの画集だったからだ。
もし彼女が2軍以上なら、憧れの絵師についての話に花を咲かせただろう。
だが、彼女は卑屈な振る舞いで、早々に3軍に転落した。
どうせ勝手に消える弱者だ。
そう自分に言い聞かせても、無念さと強い苛立ちを感じた。
だが、何が彼女を変えたのか。
霧花の発言や振舞に一本芯が通ったような印象を受けた。
菅野学にどういう事か尋ねたら、「愛だよ、愛」などと良く分からない事をしたり顔で言う。
だが、認めねばならない。
「弱者」や「負け犬」は、けっして弱いままだとも、負けたままだとも限らないと言う事を。
そして、自分が今この瞬間、とても楽しいと感じている事を。
それは昔、「先生」に教えを乞う日々を想起させた。
◆◆◆◆◆
鮫島一星の曾祖父は、原爆投下で焼け野原になった広島で、鮫島商会を興した。ただし、まっとうでない方法で。
戦時中は戦争協力に消極的な人間に非国民のレッテルを張って苛め抜いた彼は、戦後になると手のひらを返し、反戦思想で県議になり、マージンを取って復興工事の業者をあっせんし、財産を築いた。引退後に興したのが鮫島商会だ。
会社が大きくなる過程も、まともな人間なら眉をひそめて当然のものばかり。
幼少時は自分は社長の息子と上得意だった一星も、会社の実態を知って消えてなくなりたいと思うほどショックを受けた。
そんな彼を変えたのは祖父の見舞い先で出会った「先生」の存在だった。
先生は、大病院の個室で、家族や友人の元に行く日を待っているのだと言った。
彼は、鮫島商会と同じく、焼け野原の広島で商社を興した企業家だ。創業時には、やはり綺麗とは言えない商売をやっていた。
だが、先生は儲けた金を独り占めにせず、有望な若者や、新しい商売を始めようとする経営者に惜しげもなく投資した。多くは返ってこなかったが、それでも何人かの人物を大成させ、それを自慢げに話してくれた。
父とは偉い違いだと一星は思う。
商売人としての一星は、父ではなく、先生の教えによって構成されている。
自分の出自を恥じる彼に、先生は言う。
「わしも、綺麗な商売をしてきたわけじゃない。確かに、金はどう稼いだかも大事じゃ。でも、一番大事なのは、どう使ったかじゃけえ。汚れた金を悔やむなら、人の幸せの為に使ったらええ」
先生は、そう言って、病室に掛けてあった絵をくれた。
絵師は、先生が初めてパトロンとして支援した画家だと言う。
「世話になりっぱなしは良くない」と、この絵を残して単身東京に行ってしまったそうだが、大手の広告に使われた彼の絵を目にし時、先生は涙を流して彼の成功を喜んだと言う。
「この絵、あんたが受け継いでくれんかのう」
老境の先生は、一星に自分の魂である麦畑の絵と、商売人の魂を託してくれたのだ。
そして、現在鮫島商会と町が進めているガラス事業は、広島の新たな産業になると、生前の先生が心血を注いだプロジェクトだった。
だから、絶対に利権屋どもに邪魔はさせない。
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