第17話「支配者はコンプレックスに気づかない」★
にぶい音を立てて、路地に並べられたポリバケツが蹴り上げられた。
「……菅野、学っ!」
いつもの冷静さはどこへやら、望月静磨は再びバケツを蹴り飛ばし、苛立ちをぶつけた。
この湧き上がる感情は、静磨自身もうまく言語化できない。
ただ、胸に渦巻く気持ちの悪さと苛立ちの根源は、転校生であることは理解できた。
静磨は、最近めっきりへった中流階級の家に生まれた。
他の家庭は知らないが、彼の母親は専業主婦で、子煩悩だった。
だが、母親は「子供に『悪いもの』を近づけなければ、健全に育つ」と言うありがちな誤解に囚われていた。
おかげで、漫画やアニメの類は家で見せてもらった事がない。
友人の家にお呼ばれしてアニメを見せて貰った時の興奮と罪悪感は忘れない。
だが、母親が悪と断じるものに魅力を感じている自分を認められず、「こんなもの下らない」と言い放ち、その友人とはしばらく険悪になった。
容姿の良さと立ち回りの上手さから、カースト上位に所属する様になり、それなりに充実していたつもりだった。
だが、渇きは消えなかった。
そんなとき、香川倫を目にする。
彼女はカーストや空気などお構いなしで好きな話題を話し、母が禁じた漫画やアニメを好きだと公言する。
その絵ががとても魅力的に感じた。彼女の奔放さは、彼がずっと求めてきたものだったからだ。
だが彼女を見ると、友人の家でアニメを見せてもらった時の罪悪感がよみがえってくる気がした。それはとてもみじめな感情で、このまま彼女が好き勝手しているのを見ていたら、自分が壊れてしまう気がした。
だから、取り巻きをけしかけ、彼女を追い込んだ。
不思議と引け目は感じなかった。自分を脅かすものを排除しただけ。ただそれだけだった。
だが、笑顔を無くしてゆく彼女を見るたび、渇きは強まっていった。
この渇きは、彼女のせいではないのでは?
心の中で誰かが言った。
だが、その自問自答は、更なる「恐れ」の感情に上書きされる。
転校してきた菅野学がクラスの空気を壊し始めたからだ。
菅野学は不登校になっていた香川倫を呼び戻し、大声でヒーローや野球の話を始めた。
遠巻きに見ていた2軍や3軍に同調する者が現れ始める。
被支配者が統制を離れた時、支配者が取る方法は大抵2つだ。
それなりの権利を認めて体制に取り込むか、完膚なきまでに潰すかである。
だが、静磨はどちらも選択できなかった。
1軍のメンバーが美都に対しはやまった行動に出た時も、もう二度と勝手な行動をしないように言うに留めた。そのご彼らは全員中立もしくは菅野寄りに
3軍に発言権など与えたら、自分たちのヒエラルキーが失われるし、かといっていじめや暴力は彼の忌避するところだ。
菅野学が彼の考えを知ったら、怒りを通り越して失笑するだろうが、この時彼は本気で自分が平和主義者だと思っていた。
だだ、どうする。
一星が1軍を離れた時、里桜や取り巻きの不安げな表情を見て、このまま放置すれば、自分の立場はおろか、アイデンティティの危機に繋がると直感的に感じた。
このままでは、まずい。
「お困りのようね。手助けは必要かしら?」
声をかけられ振り向くと、小麦色の肌をした女生徒が、こちらに笑いかけてきた。
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