第31話「一応の決着」

 学が渡してくれたリップクリームは流行りのキャラクターがプリントされていて、多分もともと美都に持たせるつもりで、それっぽいのを買ってきて改造したようだ。

 彼が何を言っているのかは完全には理解できなかったけど、さっきの日本刀を振り回すような危ない奴に出会ったら、隙をついて底に付いたボタンを押し込めば、中から魔法の火花が飛ぶらしい。

 一発しか撃てないから、チャンスは一度だけ。


「盛り上がってるところ悪いけど……」


 じりじりと迫りながら隙を伺う千彰に、椿はつまらなそうに言った。


「ポケットに入れてるの、マジックアイテムでしょ? 確かに、私が貴方があの男の友達だと知らなければ、油断して見落としたかもね」

「……っ!」


 バレた! どうする? どうする!?

 さかんに視線を動かしながら、千彰は突破口を探る。


「もういいかしら? それじゃあ、彼女は連れて行くから」

「……このっ!」

「千彰! 落ち着きなさい!」


 頭に血が上り、飛び掛かろとした千彰に冷や水を浴びせたのは倫だった。

 彼女は、唇を真一文字に結び、椿をまっすぐに見つめたまま、ぴしゃりと大喝した。


「学は千彰ならやれると言ったわ。学が大丈夫だと太鼓判を押して、大丈夫じゃなかった事ってあったかしら?」


 その一言で、千彰の心から焦りが消えてゆく。

 そうだ、学なら、ピンチの時ほど虚勢を張る。千彰は深呼吸すると、1つのアイデアを思いつく。


「……ちなみに聞きたいんだけれど、これを君に向けて撃とうとしたらどうするんだい?」


 別人のように冷静になる千彰に、気味悪そうに見つめ、椿は答える。


「そうね。撃とうとした方の腕を斬り落とすのはどうかしら? あの男菅野学なら元通り繋げそうだから、腕は持ち帰って豚に食わせるわ。それとも、ミンチにして返送しましょうか?」


 先ほどまでの千彰なら、凄みのある言葉に確実に委縮しただろう。だが、今の彼は微笑すら浮かべていた。


「それは困るね。僕、まだ飽きるほど美都を抱きしめてないし。多分一生飽きないけど」

「……ちょっ! 千彰!」


 普段なら絶対言わない軽口に、美都が状況を忘れて赤面し、倫は気まずそうに頬をぽりぽりと掻いた。


「あなた、かわいらしい顔してやっぱりあの男の同類ね! じゃあ、どうするわけ!?」


 戦力外と侮っていた千彰に、学顔負けの人を食った切り返しをされて、椿の余裕が崩れた。


「こうしよう。君を撃たないで、ここを撃つよ!」


 パシュッ! という空気音とともに、リップクリームのケースから火花が飛ぶ。

 しかし、それは完全に明後日の方向だった。

 椿を無視して、部屋の隅に飛んで行った威嚇用の火花は、防災用に設置された消火器に命中し、消火剤をまき散らした。


「しまっ!」


 粉塵が部屋中に広がり、視界が塞がれる。

 最近の消火器には有害物質は使われていないが、眼に入れば染みるし、傷口に入れば痛みを感じる。

 そして、こちら・・・に来たばかりの椿は粉塵がただの消火剤とは知らず、学が作り出した危険物である可能性を除外できなかった。止む無く美都の確保より安全の確保を優先した。

 魔法で防御フィールドを張った時には、部屋はパニックになって逃げ出そうとするクラスメイトが出口に殺到し、誰が誰だか判別がつかない状態だった。

 当の美都は、千彰と倫に抱えられ、とっくに部屋を出ていた。



◆◆◆◆◆



「畜生! 皆殺しにしてやる!」


 椿の気性は、幼いころから父も手を焼く程激しかった。

 激高した彼女の脳裏からは、復讐の段取りなど吹き飛んでいた。

 右手の魔剣に魔力を込める。彼女の家に代々伝わる最上級のマジックアイテムは、最大出力で使用すれば勇者の極大魔法と同レベルの威力を持つ。父ですら連続使用が難しいほど魔力食らいのじゃじゃ馬で、使いこなせる者がいなかったため屋敷の宝物庫に死蔵されっていたものだ。

 だが、椿が持つスキルを併用すれば、ある程度の継戦が可能だ。

 この街を吹き飛ばし、その後の事はまた考えればいい。

 ヒートアップした彼女の思考は、後頭部にコツンとぶつかった銃口で中止された。


「お疲れさん。とりあえず、その魔剣を床に捨てろ」

「……〔破壊の勇者デストロイヤー〕」


 ぎりっと、奥歯をかみしめる椿に、学は容赦せず言葉を続ける。


「今回は本当に危なかったが、おたくが俺の幼馴染を侮ってくれたおかげで何とかなったよ。どうだ? あいつら最高だろ?」

「……〔騎士〕をこんな短時間で突破したと言うの?」

「何とかな。その魔剣、魔王軍のものだな? お前は魔王の仇を取りに来たのか?」

「馬鹿言わないで!? あんなサディストの屑野郎の為にこんなしみったれた世界に来ないわよ!」


 再び激高する椿だが、学は彼女が何故怒ったのか理解できない。

 魔王軍は戦争中期に分裂したが、それは魔王の強権的な治世を嫌う魔族が多かったからであり、彼女が親魔王派でないのなら、今頃サーシェスで魔王領の再建に勤しんでいるはずである。


「本当に分からない? 流石、『勇者でありながら魔王に最も近い男』なんて言われてただけの事はあるわ。お父様はそんなあなたを高く評価していたけど、あなたはその信頼を踏みにじった」


 そこまで言われて、学の瞳に怯えが浮かんだ。

 魔王軍で最も気高い武人。人間でも弱者は決して虐げず、もののふには礼儀を以て遇する。

 魔族を憎む人間たちも、彼には一定の敬意を払わざるを得ない。

 その名は……。


「お前の名は、ひょっとして……」

「私の名はツバキ。姓は無いわ。『魔将軍の娘ツバキ』と言えば、姓なんか無くても通じたし」

「じゃあ、ザンキの娘と言うのは、お前か……」

「そう、あんたが罠に嵌めたせいで、魔王に処刑された魔将軍ザンキは私の父よ」


 魔将軍ザンキ。

 学が罠にかけ、魔王軍分裂のきっかけになった英雄。

 学は、彼が手塩にかけて育てた部下を人質にとり、彼を……。


『出来る事なら、こんな形ではなく、勇者・・学と正々堂々雌雄を決したかった』

『あんたは! こんな行いをした俺をまだ勇者と呼ぶのかよ!』

『誰が何と言おうと貴殿は気高き勇者。最後の願いだ。もし娘が短気を起こすことがあれば、貴殿が諭してやって欲しい。経緯としては不本意だが、良き戦いであった』 


 フラッシュバックしたあの日のやり取りに、学の警戒が緩んだ。

 椿、いやツバキは後ろ回し蹴りで学の横腹を狙う。魔力を流し込んで強化したデバステイターの銃身で受け止めるが、ツバキはその隙に魔剣を拾って魔力を込め、天井を吹き飛ばしていた。


「今日は動揺するあなたを見ただけで良しとしてあげる。次は大事なお友達ともども切り刻むけどね」


 飛び出してゆく宿敵ともの娘に、学は「待ってくれ!」と呼び掛けるが、答えはなかった。


「ザンキ、あんたは随分とヘビーな宿題を残してくれたな」


 学は天井から差し込む夕焼けを見上げ、ヴァルハラで眠るザンキにぼやいた。

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