第26話「支配者たちは一線を越える(その1)」

 入った店は、いつもの商業ビルではなく、個人経営の地下店舗だった。

 美都は何だか嫌な予感がして、周囲の顔色をうかがうが、特におかしい様子はない。

 だが、席に着いた時、1軍の女子が「ねえ、菅野ってさあ、どんな奴なの?」と切り出した。

 胃の辺りが重くなるような、嫌なプレッシャーを感じた。


「ええと、ちょっとお調子者って言うか、昔からあんな感じで……」


 いつものように曖昧に笑ってやり過ごそうとするが、今回それは許されなかった。


「ってか、酷くね? あいつ香川を使って、里桜に『ブス』って言わせたんだぜ? 女子に言う言葉じゃねぇよな?」


 2軍の取り巻きたちがそうだそうだと同意する。


(あんたたちだって、倫に「キモイ」って言ったじゃない!)


 普段押さえていた1軍への嫌悪感が頭をもたげる。

 彼らに対して、無難に付き合うにはいい相手だとは思っていたが、心を許したことは無いし、幼馴染たちと同じ位置に置いたこともない。倫が登校拒否になってからは、奨学金と推薦入学を決めたら、きっぱり縁を切って言いたい事を言ってやろうとすら思っていた。


「あたしたちさぁ、美都がああ言うのと付き合ってて、何かあったらと思うと気が気じゃないわけよ。だからさ、きっかり縁、切っちゃわない?」


 彼女が取り出したのは、学がやった「悪事」を箇条書きにしてあって、この場の人間の署名がしてあった。

 クラスメイトへを公然と罵倒し、陰口を広め、クラスの絆を壊そうとした。

 確かに、最大限の拡大解釈はしてあったが、嘘は書いていない。こんな書かれ方をするのも、ある意味学の身から出た錆と言える。

 ただ、「先に倫を追い込んだのは彼らで、学の行動は彼女を助ける為」であることを考えなければ。

 彼は髪の件もあり、教師たちからは「問題児」と見なされているので、彼の立場は相当に悪くなるし、家に連絡が行く可能性がある。

 恐らく、彼は気にしないだろうが、ここに美都の署名が入っていれば別だ。彼ならそれを知った時、美都のサインが本意ではないとすぐに気づき、そして死ぬほどへこむだろう。自分のせいでこんなものにサインをさせたと。

 あれは、口が悪い癖に妙なところでメンタルが弱いのだ。


「ねえ、これじゃ足りなくない?」


 スマホを弄っていた1軍の女子が、調子付いてとんでもないことを言い出す。


「クラスのLINEにあいつの口調真似てあたしらの悪口書かせるってどうよ? どうせうちのセンセイは皆IT弱いから裏なんて取らないっしょ?」

「いいな! それ印刷して、あいつの家に送っちゃうとか!」

「いいじゃん! タカシ天才!」


 2軍の連中は流石にまずいのではと顔を見合わせるが、誰もそれを指摘できない。

 いつも安全弁を務めるリーダーも参謀役も、ここにはいない。そもそもこれは彼らの独断だからだ。

 美都の中で、色々なものを守ろうとしてきた努力や我慢が、潮が引くように意味を失っていく。ありていに言って、全てが馬鹿らしくなった。


「悪いけど、我慢の限界」


 傍らの鞄をひっつかみ、隣に座っていた女生徒に「どいて」と道を作らせる。


「あたしは散々我慢してきたけど、大事な友達を売れとかありえない! あとは勝手にやってちょうだい!」


 茫然とこちらを見つめる有象無象に、たまっていたものを吐き出してドアノブを掴むが、まだ気が収まらず、振り返って、さらに一言捨て台詞を放つ。


「あんた達と遊ぶの、楽しかったは楽しかったけど、いつもいつもお互いの顔色を窺って息が詰まりそうだったわ! あと、オヤジくさくてもカープは最高だから! 次馬鹿にしたらその舌引っこ抜くから!」


 ぷいっと振り返ってドアを開ける。やってしまえば後悔は無かった。

 晴れ晴れとした気持ちで、明日からは幼馴染たちとカープの話ができると思うと、高揚感すら感じた。

 カープの件は里桜本人に言ってやれなくて残念とも思った。




 だが、空いたドアから入ってきた小柄な女生徒に突き飛ばされ、部屋の中に倒れこむ。


「ごめんなさいね。ここであなたを帰すわけにはいかないの」

「あ、あんたは!」


 突然の登場に、贄川が驚きの声を上げる。

 あの時ファミレスで話を持ち掛けてきたあの女生徒だ。


「どうやら、失敗したようね」

「だって、あんたが……!」

「それはそうよ。やってもいない誹謗中傷をでっち上げようなんてしたら、普通はこうなるわ」


 余裕の笑みで切り返されて、先ほど盛り上がっていた数名が言葉を失ってうつむく。


「さて、どうしようかしら? 多分、他のメンバーがこの事を知ったら怒るかもねぇ。もしかしら『空気を読まない行動』のせいでカーストが落ちるかも」


 一番恐れている言葉を突きつけられて、その場にいた者達の目つきが変わる。


「それは困るわ!」

「何とかならねえのかよ!?」


 女生徒は満足げに笑って「そうねぇ」とあごに指を当てる。


「この子が黙っていれば良いんじゃない? 『いままで通り一軍で仲良くやっていきます』って約束してもらえばいいのよ」


 美都は反射的に「お断り!」と叫んだが、それを顧みる余裕のない贄川は、「どうすればいい?」と、またもや判断を丸投げする。


「例えば、ここで『絶対に他言できないような経験』をすれば、言う事を聞いてくれるかもね」


 『他言できないような経験』の意味するところの思い当たって、美都は真っ青になってで言葉を失い。他のものは皆息を飲んだ。


 「それは流石に……」と誰かが言うが、「じゃあ、勝手にしなさい」と突き放され、視線を落とす。

 大音響で満たされるはずの宴会用の個室は、重い沈黙に包まれた。


「……すこし、時間をくれ」


 贄川の言葉に、女生徒はすまし顔で笑って、「どうぞ。少し外の空気でも吸ってくれば? この子は私が見ててあげる」と答える。

 ぞろぞろと部屋を出てゆくクラスメイト達を、美都は絶望的な表情で眺めた。

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