第16話「ヒーローなんていないけど(その2)」

「……それで? 説明してくれるかしら?」

「決して痴漢に来たのでは無いのデス。ほんの行き違いでしタ。ごめんなさイ」


 腕を組んで学を見下ろす倫に、カーペットに額を擦りつけながら、怪しい気なイントロネーションで許しを請う。

 まさか、地球で初めて使った力で痴漢行為を行ったと知れたら、死んでいった195人の勇者達にあの世でドツキ回されるだろう。不名誉の極みだった。

 涙目でクローゼットから引っ張り出したTシャツとジーンズを身に着けてた倫に、他にやりようがないとは言え、最悪の形で再会したもんだと頭を抱えた。


「どうやって突然現れたのよ?」

「ほら、俺、追加戦士だから。レッドが苦戦してたら颯爽と助けに来るのが役目じゃん?」

「……やっぱりグーの方が良かったかしら?」

「すみません許してください! 何でもしますから!」


 母親に反対されて高校からやっていないとは言え、元空手部である。

 ヒーローはそこらの痴漢に全力で技をかけたりしない。あと、自分は痴漢ではない。多分。


「助けに来たぜ!」


 色々ぶつけたい言葉あったが、まずこれを言うべきだと思った。

 戦いに敗れたヒーローが居たら、それはきっと背中を支える助手が必要なのだ。


「……帰って。私はもう戦わない」


 諦観の表情と共に返ってきた拒絶は、完全に予想していた言葉だったが、それでも倫にこんな言葉を吐き出させた連中に怒りが募る。


「ヒーローだって負ける事はあるだろ? キバコンドルに負けた機面ライダーもおやっさんと特訓して勝利したし、負けてグレートに助けられたマシンダーΣだって、強化改造を受けてグレートを助けに来た」

「……ヒーローなんて居ないわ。人間は悪いやつに無力で、誰も守ってくれたりしない」


 「なら自分が守る」なんて言う気は毛頭無い。

 彼女を打ちのめしたのは、悪に敗れた事ではなく、折れてしまった自分の心なのだから。


「そうか、じゃあ世の中は強い者が弱い者を食い物にして当然って事だな?」

「そうよ……」


 首肯する倫の表情が強張った事を、学は見逃さなかった。

 やはり、香川倫の心は死んでいない。


「じゃあ、お前が居なくなったクラスを、俺がどんな引っ掻き回しても問題ないな? ダチをコケにされたんだ。多少の報復はありだよな? 加納だっけ? 試しにあいつの顔写真と連絡先、家の写真を調べてSNSで大公開してみようか? 聞いたらあいつ片親だって言うし、住所バレした部屋で親の帰りを待つのはどんな気持ちかなぁ?」


 倫の瞳に、焦りが浮かび「やめっ……」と言いかけて、口をつぐんだ。

 尚、情報は木本に先ほどの謝罪がてら根掘り葉掘り聞いてきた。これも反撃の布石である。


「……学のわざと汚い言い方をして、変な方法で人を諭そうとする所、嫌いだわ。やる気なんて無いくせに」

「ははっ、そりゃ失敗だった」


 馬鹿っぽくおどけて見せる。確かにそんな事をするつもりは無い。

 人を食った様な物言いは、甘えられる相手だけに見せる、学の悪い癖だ。

 当然やる気はない。ただし、「大勢の人命がかかっている状況で他の選択肢が封じられていなければ」と言う条件が付くが。


「もう帰って。私の事なんか忘れて、千彰や美都を守ってあげてよ。私はもう、駄目なんだから」

「……そうか。じゃあ、もう会う事は無いな」


 腰を半分持ち上げた時、倫が「あっ」と漏らす。

 それを見届けて、学はにやりと笑った。


「なんて言うと思ったかバーカ! お前がどんなに嫌がっても、俺はお前に付きまとうからな? 嫌なら今大声をあげるなり、110番するなりすればいい。お前を見捨てるくらいなら、前科1犯くらい覚悟してやらあ! ありがたく思え!」


 今度はどっかりと胡坐をかいて、「さあ、煮るなり焼くなり好きにしろい!」と開き直る。

 我ながら酷い言い草だが、学は同情も共感も与える気はない。ただ、地獄の果てまで付き合ってやる。一緒に戦ってやると伝えるだけだ。

 誰かの人生を、誰かの戦いを、別の誰かが肩代わりする事は出来ない。だから、せめて傍らで共に戦うのだ。ヒーロー達が正義そのものではなく「正義の味方・・」を名乗るように。


「……何で、負けちゃった私なんかにそんな事言うのよ? 私はもういいの。こんな無様でカッコ悪い私は、ここで膝を抱えてるのがお似合いなの」


 多分、倫は今必死に自分と戦っている。だから、学は彼女の弱音を鼻で嗤ってやった。


「人間生きてりゃ誰でも無様を晒すだろ? 再戦で勝利したヒーローなんてごまんといる。お前だって……」

「……無理よ。ヒーローは皆スーパーパワーあるもの」


 学の双眼がすっと細まる。

 それはヒーローに憧れる香川倫が口にしてはいけない言葉だと思った。


「自分にごめんなさいしろ。その言葉は、他でもないお前自身を侮辱した」

「……っ! だってっ……!」

「後輩戦士の敗北を前に、変身不能なスペシャルマン4兄弟はどうした? 変身セットを取り上げられたターマン1号の心は死んだか? 負傷して戦えない鎧鋼児は、東京を襲う戦闘ロボット軍団相手にどうした!?」


 倫は唇を噛んだ。

 釈迦に説法だと思う。だけど、ここで「もう戦わなくていいんだ」なんて言ったら、きっと彼女は自分自信を許すことが出来なくなってしまう。


「お前はな、倫。どんなに逃げようがヘタレようが、俺と和美にとっては最高にかっこいいヒーローなんだよ」

「え?」

「俺たち兄妹が一番苦しい時に、お前は颯爽と駆け付けてくれた。救ってくれたんだ。俺はお前を尊敬してるし、誰よりも憧れてる。テレビにでてくるヒーローは本当にいないかもしれない。でも香川倫はいるんだよ!」


 「思ってもみなかった」と顔に書いてある。

 倫の表情が驚愕に染まり、続いてゆでだこの様に真っ赤になった。


「ヒーロー好きは推しのヒーローをディスられたらキレるもんだろ? ディスったのがヒーロー本人でも同じことだ」


 倫は「あのっ、あのっ!」と両手をバタつかせながら、口をぱくぱく言わせる。

 続いて言葉を紡ごうとした学は、階段を上がってくる音に気付き「潮時か」と呟く。


「倫? 誰か居るの?」


 声をかけてくる倫の母をドア越しに一瞥して、「じゃあ、また来る!」と宣言し、窓に足をかけた。


「さらばだ! ヒーロー!」


 二本指で敬礼して宣言すると、ひょいっと宙に身を躍らせた。


「ちょっ、ここ2階!」


 窓に駆け寄った時、既に彼の姿は何処にもなかった。

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