第8話「スクールカーストの洗礼(その3)」

「おい、邪魔だ」


 横合いから威嚇と共に放たれた蹴りを体を傾けて逃がし、「おっとっと」とよろけたふりをする。

 何か嫌な視線は感じていたが、向こうでは日常茶飯事なので慣れっこになって無視する癖がついていた。とっさに対応しなければ、反射的に蹴ってきた足をへし折る・・・・所だった。


(やばいやばい。初日で「5つの誓い」を破ってアリサとアポロとやりあうなんて御免だからな)


 パンパンと尻を払って、「ええと、何?」と尋ねた。


「何じゃねえよ。廊下で下らねえ話してんな。空気・・が汚れるだろ?」


 ツンツン頭の金髪がぺっと廊下に唾を吐く。

 

「ごめん贄川君。ちゃんと空気・・を読むべきだったよ」


 眼鏡を取った木本が、普通の口調で謝罪する。

 遠巻きにこちらを見ていたクラスメイト達がくすくすと笑う。

 声は抑えていたが、唇の動きを追えば「きもい」「バーカ」など嘲っているのが分かった。


「キモオタはキモオタ同士分を弁えろよ。罰として掃除当番やっとけ」

「贄川やさしー!」


 茶髪の女生徒がゲラゲラ笑いながら囃し立てる。自己紹介の時は彼女から容赦無い評価を頂戴した。確か、加納とか言ったが、どうやらこの場の空気は彼女が掌握しているようだ。

 「こいつら滅茶苦茶言いやがるな」と思ったが、木本達は頭を下げて、「分かった。今度から気を付けるから」と教室に入ろうとする。

 驚いて3人を見ると、先ほどの楽しげな笑いは、卑屈なそれに変わっていた。


「良いのかよ?」と尋ねても、戻ってきたのは「しょうがないよ。彼らはカースト1軍で、僕らオタクは3軍だもの」と諦観を込めた返答だった。


(……ムカつくな)


 内心では面白くないが、中途半端な情報で反撃に出ても禍根を残す。やるなら芋づる式に根こそぎケリをつけたい。

 録音アプリでも起動してやれば良かったが、生憎とスマホの使い方は失念している。

 仕方が無いが、見逃してくれると言うなら、ここは大人しく見逃されてやる・・・・・事にしよう。


「おい、転校生」


 呼び止められて、振り返ると、嗜虐心に満ちた贄川とやらの笑顔に出迎えられた。

 向こうでも、散々侮られたり、馬鹿にされたりしたが、どちらかと言えば彼の顔はあの軍使を彷彿とさせた。


「お前さ、あの勘違い女とつるんでたんだって?」


 勘違い女? 半分自動自得とは言え、転校してから女生徒とはろくに話していない訳だが。

 学の怪訝そうな顔に優越感を覚えたらしい。「馬鹿だこいつ」と鼻で笑うと、へらへら笑いながら「えーと、あいつ何つったっけ?」と前置きする。

 どっちが馬鹿だよと思うが、次の一言で余裕は吹き飛んでいた。


「そうそう、キモ川、引きこもりのキモ川倫」


 加納が爆笑と共に「贄川ー、香川だよカガワ!」とツッコミを入れるが、そんなものはどうでも良い。


「引きこもり? どういう事だ?」


 初めて余裕を崩した学に、贄川は笑みを強める。


「もう学校には来たくないとよ。知りたきゃ自分で調べれば?」


 学の瞳に僅かな殺気が灯る。

 自分の好きな物をきもいと呼ばれた事は、まだ良い。だがこいつらは言ってはならない事を言い、恐らくだがやってはならない事 ・・・・・・・・・をした。

 後々面倒は増えるだろうが、その面倒を避けるためにこの状況を流したら男じゃない。

 一般人に手を上げるのはやりたくなかったが、傷つけずに痛覚だけ刺激する方法はごまんとある。ちょっと自然に話したくなるように協力・・して差し上げようか。




 一歩踏み出した時、「学!」と声がして、腕を掴まれた。

 親友浅見千彰が、真っ青な顔で頭を下げていた。


「贄川君。彼にはよく言って聞かせるから。今日はこれで!」

「千彰! お前……!」


 学の抗議を千彰は「良いから!」と遮って、ぐんぐん腕を引っ張ってゆく。

 後ろから「転校生! あんまり親友に迷惑かけんなよ!」と言う声と、爆笑が追いかけて来た。

 人類を殺しつくそうとした魔王の気持ちが、ほんの少しだけ理解できたのはこれで何度目だろうか。

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