第3話「少年はヒーローと出会う」
東京に住んでいた頃から、学と妹の母親は割と奔放で、週末になると友人と買い物に出かけ、2人の面倒を見ていたのは父だった。
ただ、それでもそれなりには噛み合ってはいたと思う。ただ、溜まったゴミを片付けたり、早く帰った際に食事を作る父にお礼を言う姿は見た事が無かった。
破綻は、河衷町への転勤が決まったことで訪れた。
母は散々引っ越しを渋ったが、結局は応じた。黙々と母をフォローしていた父も、子供達を母の元に残して単身赴任するのは不安だった様だ。この時ばかりは折れる事は無かった。
もう少し早く態度をはっきりさせていれば違っていたのかもしれない。当時の河衷はまだ地方都市で、人の流れも少なく、母の気性はこの町の水に合わなかった。
両親の口喧嘩が増えるにつれて、兄妹は不穏な空気を感じるようになる。
3か月も暮らせば、両親の不仲は学校で公然の噂となり、含み笑いする近所のおばさん達を避けるようになる。
その日は休日だったが、2人で出かける両親に留守番を命じられる。最近の会話に混じり始めた「弁護士」と言う言葉から、2人は「何か嫌な事が起こる」事は直感で分かっていた。
ゲームもネットも手に付かず、2人は言いつけを破って近所の公園に繰り出し、それを後悔した。
クラスメイト達が、良い標的を見つけたとばかり、兄妹の両親をネタに大盛り上がりしたのである。
学が「子供は天使」と言う言葉が嘘っぱちの寝言だと考えるようになったのはこの時の体験からである。
人間だって動物であり、「やってはいけない事」を学ばなければ動物は人間になれない。
だが、天使は居なくてもヒーローはいた。
「止めなさい! 悪党ども!」
縁日のお面を付けた半ズボンの女の子が、滑り台の上から仁王立ちで見下ろしていた。
ちなみに何故女の子か分かったかと言うと、長い黒髪とカチューシャは間違いなく女子のそれだったからである。
なお、悪党認定された動物、もとい少年たちは「またお前かよ」と白けた顔を浮かべ、去っていった。どうやらいつもの事らしい。
女の子は「とうっ!」と滑り台からジャンプして、「街の平和を守るのはダットマンの使命。礼には及ばないわ」と言った。
「はぁ」と相槌を打つ薄い反応を見て、「ちなみにダットマンスーツは超硬セラミック製の特注品で、銃弾を跳ね返すのよ!」と聞いても居ないことを解説し始めた。
「……スーツじゃなくて、Tシャツじゃん」
「いや、一見Tシャツに見えるけど、実はダットマンスーツなの! カリスマ社長のブラッド・ウィルクスがアッサム市を守るために作らせた……」
「ヒーローがそんな秘密をペラペラしゃべって良いのか?」
「ぐっ、だって、『ダットマンひみつ大百科』に載ってたからみんな知ってることだし……」
「そんな本出して、悪の組織が買ったらどうすんだよ?」
次々と退路を断ってゆく学に、妹の和美が「おにぃ」と袖を引いた。
視線を戻すと(自称)ダットマンは、鼻声で「だって、だって」と言いながら切り返す言葉を探していた。
当時の学もまた”動物”だったが、両親の顔色を伺う生活から「何か悪い事をした」と感じ取るアンテナは持っていた。
「……どうやら本物の様だな。最近偽ダットマンが出没してるって聞いたから、ついつい警戒しちまったんだ。悪かった」
取って付けた様な言い訳だったが、ダットマン(仮)は満足したらしい。
「そう! 分かってくれればそれでいいわ! あなたたち、また悪党が来たら私に頼りなさい!」
ふんす、と言う鼻息がお面越しに聞こえた。
話に乗った手前、「いや結構です」とは言えず、兄妹は曖昧に頷いた。
「倫ちゃん!」
背後から声をかけられて、正義のヒーローはびくっと体を震わせた。
「ち、違うわ。私は正義のヒーローダットマンよ!」
「またお稽古事さぼったでしょ? 倫ちゃんのお母さんカンカンだったよ?」
腕を組んでヒーロー(「りん」と言うらしい)に説教したショートボブの女の子? は、公園の時計を見て、「あーあ。もう間に合わないや」と零した。
「じゃあ、しょうがないわね。それより、『防衛隊』の新たな隊員を紹介するわ! 名前は……そう言えば聞いてなかったわね?」
何か彼女の脳内では既に入隊が決まった様だ。
「またそんな事言って。この間もクラスメイトを無理やり誘って怒られたでしょ?」
女の子の説教に、ヒーローは指先をつんつん合わせて縮こまった。
「だって、私をダットマンだって認めてくれたの、初めてだったから」
その時、学は思っちゃったのである。「こいつ、良い奴かも」と。
「学だ」
「え?」
「名前。菅野学。こっちは妹の和美」
妹の肩に手を乗せる。
当時和美は人見知りだったが、それでもぺこりと頭を下げた。
「入ってくれるの? 防衛隊!?」
お面をずらして出て来たのは、期待できらきらと輝いた大きな瞳だった。
学は子供心に「ちょっとだけ、可愛いかも」とマセた事を考えた。
「いや、それが何なのかは分からないから、まず話を聞かないと」
ヒーロー、倫は「ありがとう! 私は香川倫よ!」と照れる学の手を取って、「じゃあ秘密基地へ行きましょう!」と宣言する。
傍らの女の子は少しだけ苦笑して「『秘密基地』って僕の部屋なんだけどね。あ、僕は浅見千彰。多分、皆同じ学校だよね? 学は水泳の授業で見かけたし」と2人を歓迎する。
そこで、男子用の水着を着た千彰の姿を思い出したが、当時の学でも「女子かと思った」は言わない方が良い事は察しがついた。
「では! 行きましょう! サリーゴー!」
「はいはい。あ、僕の家はこっちだから」
「そこは、はいじゃなくてK・I・Gと復唱するの!」
ずんずん進む倫の背中を追って歩き出す兄妹の足取りは、少しだけ軽かった。
結局、防衛隊が何なのかという説明はなく、基地に着くなりダットマンの上映会が始まり、4人は大いに盛り上がった。
帰宅した両親は、案の定離婚の話を切り出した。
ショックだったが、朝両親を見送った時ほどの絶望は無かった。
あの2人と秘密基地で映画を観れば、辛い事もやり過ごせると思ったからだ。
結局、兄妹はなし崩しに「河衷防衛隊」に入隊する事になっていた。
その後
「私はきっとヒーローになる! 皆の幸せを守るわ!」
「じゃあ俺司令やる。ロボの発進許可だしたりする以外は、基地で寝てる」
「司令は引退したヒーローがなるから、司令になるには体を鍛えないといけないわ! 明日の早朝公園に集合! 皆で走るわよ!」
「まじか……」
学は思うのだ。彼女たちが自分を人間にしてくれたと。
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