私にとって文章を書くということ
人はなぜ文章を書くのでしょうか。小学生の頃作文は好きでした。大体、作文が好きな子は少なかった気がします。読書感想文も同じです。
中学生の時、作文コンクールで賞をもらった。その頃は、将来、小説家になりたいと思っていました。
高校生の時は漫画研究部に入り、もっぱら漫画を読むことに夢中で、文章を書くことはありませんでした。ただ、受験科目に小論文があったので、受験のためにそれは何度も書きました。
深い考えもなく、将来小説家になるなら、文学部だろうと、地元の大学の文学部に進みました。そこで、自分の文章のレベルの低さを思い知らされました。文学部に来るような人間はみんなそこそこの文章力を持っています。私など足元にも及ばない人がたくさんいました。それでもサークルは文芸同好会に入って、レベルの低い文章を恥ずかしげもなく書いていました。自分が小説家になるなど、無理だと思い知らされました。だから、小説家になるのはやめようと決心しました。
大学卒業と同時に、もう、自分は書くことはやめようと決意しました。ところが、前にも書いきましたが、皮肉なことに、その会社で採用活動のための本を作ることになり、文学部出身の私にその仕事が任されました。そこで、ゴーストライターのような仕事をしました。
結婚して、2度目のうつ病から回復する途中で、いろいろなうつ病の闘病記を読んで、これなら自分も書けると思って、家族のこと、うつ病のことなど書きました。それを幾人かの人に読んでもらいました。概ね好評でした。それから、書くことにハマり、小説、エッセイなどいろいろ書いてはさまざまなコンクールに応募しました。残念ながら、採用された作品はありませんでした。
離婚して、独り暮らしになって、もう文章は書かないと決めました。しかし、今回3度目のうつ病になってから、娘にカクヨムを勧められて、最初は書く気力もなかったのですが、自分の思うことを思うままに綴ってみたら、楽しかったので、再び筆を取りました。久しぶりに書くのが楽しくてたまらなかったです。
そして、思いもかけず、自分の文章を読んでくれる人がいることに、言いようもない達成感を感じました。嬉しかったです。また、応援メッセージやフォローも嬉しかったです。1人でも読んでくれる人がいることが嬉しかったです。寝食を忘れて書きました。「何を書こうか」と考えることで、うつのぐるぐる思考がなくなり、回復に一役かいました。ただただ、書くのが楽しかったです。
「働くのは来春から」と主治医に言われ、今は治療に専念するしかない私に、カクヨムで欲が生まれました。たくさんの人に読んでもらって、人気作品になれば、出版社の目にとまり、書籍化されるのではないか、などという、とんでもない野望を思いついたのです。それから、文章が書けなくなりました。PVの数ばかりが気になり、★や応援メッセージばかりが気になり、前のように無邪気に書けなくなりました。
せっかく手に入れた楽しみが楽しみじゃなくなっていたことに私は気づきました。初心を忘れていました。始めてPVをもらった喜び。始めて、★や応援メッセージやフォローされた喜び。ささやかな楽しみが、うつの回復にプラスに働いていました。なのに、夢みたいな野望を抱いたせいで、書くことがうつにとってマイナスになっていました。
私は初心に戻りました。文章を書くことはやめません。小説は書けません。それでいい。私は、何か書きたいことがある時に、エッセイや評論、創作論を書きたいです。読んでくれる人が1人いれば、嬉しいし、応援してくれる人、フォローしてくれる人、★をくれる人も嬉しいです。でも、それが目的ではありません。あくまで、自分が書きたくて書いた文章が、1人でも評価されたら嬉しい。
書くことは、私のライフワークにしたいです。もし、来春仕事を始められたら、それからも、この趣味が続けられるといいと思います。今は、時間があるのでたくさん書けますが、仕事を始めたら、書く時間も減ると思うけれど、それでも、書き続けていきたいです。大切な趣味として続けていきたいです。
読んでいただきありがとうございました。
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