第22話 眷属
血塗れのベールから発せられた言葉に、ゼラは息を呑んだ。
クレハとメルが攫われた。
その事実だけで、ゼラは何か自身の身体が冷たくなっていくのを感じる。
だが、まずは考えるよりも先に、ベールの治療をしなければならない。腕には内出血が幾つも見えるため、骨も折れているだろう。
背後に控えていたルーリアに目配せをし、彼の治療を託そうとするが、当のベールは首を振った。
「俺は……あとで、いいです。それよりも、ロンドが」
「ロンド?」
「あそこ、に」
震える指でさし示した方向を追い、ゼラは更に驚愕。
ぐっと拳をきつく握り、歯を食いしばった。
ベールの倒れていた場所の少し先、路地の壁際に、ロンドが凭れ掛かっていた。
ただ凭れ掛かっているのではない。両手両足を金属の杭のようなもので刺され、石の壁に打ち付けられているのだ。幾ら襲撃者とはいえ、学生にするような仕打ちではない。明らかに殺し屋──それも、慈悲も情けもない冷酷無比な極悪人の仕業。
だが、怒るのは後だ。一先ず、磔にされているロンドを助けなければならない。
ベールをルーリアに託し、ゼラはロンドの元へと駆け寄る。
「まだそう時間は経ってないな。せいぜい十分か、その程度」
意識を失っているが、息があることを確認したゼラは胸を撫で下ろした。
怒りが収まったわけではないが、生きているのならば、救う方法は持ち合わせている。
「ゼラさん、彼は?」
「大丈夫だ、息はある。けど、出血が酷いな。切り傷も結構ついてる。これは手酷くやられたな……ふざけやがって」
ロンドに刺さっている杭をゆっくりと引き抜き、彼を解放。風穴の開いた手足からはゴポリと血が溢れるが、それを止血することもなく、ゼラは彼の胸に手を置いた。
「先生……」
「ベール君。大丈夫ですよ。彼は助かりますから」
「でも、先生は、魔法が……」
「今、私が遠隔で治癒魔法を使っています。すぐに傷口は塞がるはずですから、安心してください。勿論、今の貴方にも」
咄嗟にルーリアが説明すると、安心したのか、ベールは思わず笑みを零した。
今、彼の身体に走る温かな感触を感じたのだろう。
一命は取り留めることができたことに、安心を憶えているのだろう。
こんなに怖い体験をするのは、本来の学生ならばあり得ない。
「ベール、治癒されながら、何が起こったのか話してくれるか?」
ベールの顔を見ることなく尋ねると、彼は「うん」と頷き、ゆっくりと話し始めた。
「俺たちが帰っている途中に、突然黒いローブを着た男たちが、現れたんだ。そいつらはクレハを、押さえつけた後、助けようとしたメルを、組み伏せて……それで──」
その先は涙声に変わった。
「ロンドが、一人で二人を助けようと、戦って……俺、腰を抜かしてただけで、何もできなくて……。二人が連れてかれるのを、黙って見てることしか、できなかったんだ。ロンドは最後まで、傷だらけになってまで、戦ってたのに……俺は──」
「馬鹿」
ゼラは泣きじゃくるベールに、優しい声音でそう声を掛けた。
突然その言葉を言われたベールは、困惑のままゼラを見やった。
「ぇ?」
「誰もお前を責めたりしない。生き延びただけで、俺としては十分だ。ギリギリだったがな。でも、生きてさえいれば治癒はできる。これ以上君らに責任を感じさせるわけにはいかない。今はゆっくり休め」
立ち上がり、ゼラは腰の一振り──窈窕をすらりと抜き放つ。赤い月光を反射するそれらをだらりと下げ、横たわるベールに微笑みを向けた。
「この落とし前をつけるのは、俺たち大人の役割だからな」
「……」
「メルーナもクレハも、必ず奪い返す。だから、【安心して、今は眠れ】」
その言葉を発した瞬間、ベールは緊張の糸が切れたように意識を失い、穏やかな寝息を立て始めた。
流石に石畳の上に寝かせておくわけにもいかないので、ルーリアにばさりと自身の魔法ローブを投げ渡し、丁寧にそれを畳んだ彼女はそれをベールの後頭部に置いた。
「さて、主。これからどうなさるかを聞く前に──」
ルーリアはゼラの元に歩み寄り、上を見上げた。
「あれ、どうなさいますか?」
同じようにゼラが頭上を見上げると、そこには三つの黒い影が、建物の屋上からこちらを見下ろしているのが視えた。全員が手に金属の光沢を持つ剣を持っており、今にもこちらに襲い掛かってきそうな程。
明らかに負傷した生徒たちを心配して様子を見に来た近隣住民ではないだろう。推測するに、彼らをこんな痛々しい姿に合わせた者の仲間か。
本心を言えば、ゼラ自身が始末したいところではある。しかし、隣の従者がやる気満々、期待に満ちた視線でゼラを見つめているのだ。ここで自分がやると言えば、意気消沈してしまうのは自明の理。
仕方ない、ここは譲るとしよう。
そう決めたゼラは、ルーリアに許可を下す。
「遠慮はいらない。全力で相手をしてやれ。私の眷属」
「仰せのままに」
嬉しそうに口元を歪めたルーリアは、右手の甲に左手の甲を打ち付ける。
途端、彼女の周囲に無数の魔法陣が形成された。加えて、彼女を起点として周囲に氷の花々が咲き乱れ、一帯の気温を一気に引き下げる。
「顕現せよ、眷属獣──ラミア」
見れば、ルーリアを包む衣装や、姿そのものも変化していた。
女性用の講師服から、まるで踊り子のような水色の衣装に。蒼い羽衣には、無数の星々が描かれ、覗く肌には奇妙な紋様。髪色は金から濃い蒼に。
彼女の脚は鱗を持った蛇のようになり変わり、腕にも同様の硬質な鱗が。
もはや人間の身体とはいえないものになっていた。
ルーリアの変身に、建物の屋上にいた男たちは明らかに狼狽しているのがわかる。襲撃し、殺害することが目的だったようだが、予定が大きく狂わされたらしい。標的が本来、ただの人間が相対するべきでない敵だったのだから。
しかし、だからと言って、ゼラはもう彼らを逃がすつもりはなかった。
「【降りてこい】」
視線を鋭く、力の籠った言葉を口にすると、頭上の殺し屋たちは全員が一斉にゼラたちの元へと飛び降りてきた。先ほどまでの躊躇いはいったいなんだったのか、とても勢いのある飛び降りであった。
「あ、あれ?俺たちなんで──」
着地した男たちは、皆一様にどうして自分たちは降りてきたのかを疑問に思っているように、動揺。まるで自分の意志とは裏腹に行動してしまったかのような物言い。
滑稽な。
ゼラは胸中で嘲笑い、既に戦闘態勢を整えたルーリアの肩に手を置いた。
「一人残せ。メルーナとクレハの居場所を聞き出す」
「情報を引き出した後は、どうなさいますか?」
「俺が始末する」
「御意」
前に躍り出たルーリアが指を鳴らすと、一帯に無数の氷粒が生まれ、漂い始めた。
大気中の水蒸気を瞬時に凍らせ、また合成することで、目に見える程の大きさにまで成長させたのだ。
殺し屋たちは明らかに狼狽し、数歩後ずさる。既に逃げ道はないのだが。
「
開いていた右手をぐっと握りしめると、浮遊していた氷の粒は融合し、数十本の氷の槍と成り──男たちの身体を幾カ所も貫いた。
激痛から苦悶の声を上げる男たちだったが、これだけでは終わらない。
氷の槍が貫いた箇所を起点として、徐々に身体を氷が蝕んでいくのだ。ものの数秒で、一人の男が氷の像へと成り代わり、数秒後にはもう一人。
最後に残った男は顔だけが凍らずに残り、しかしそれ故に苦しみ喘いでいる。
「終わりました、主」
「ご苦労」
ゼラはルーリアが生かした男の元に歩み寄り、その場にしゃがみ込んで彼の首を掴んだ。途切れ途切れの呼吸を繰り返す男には、同情の余地はない。
自分の生徒を死の間際にまで追い込んだ連中なのだ。寧ろ、氷漬けで苦しみ少なく楽にしてやることに感謝すらしてほしいほど。
「さて、俺の可愛い生徒たちは何処に連れて行った?」
「はっ……はっ……」
「そんな苦しそうな呼吸じゃなくて、俺の質問に答えてほしいんだが、仕方ないな」
ため息を吐いたゼラは、今にも死にそうな男の瞳を覗き込んだ。
「場所言うなら、お前だけは氷から解放してやる」
「ほ、本当、か?」
「あぁ、約束しよう」
「……ここから、北東の郊外にある、廃村だ」
ゼラは訝しげに眉を顰めた。
郊外廃村があるのは知っているが、ここからだとかなり時間がかかるのだ。とても十数分で行ける距離ではない。
「嘘じゃないんだな?」
「あ、ぁ。本当だ」
「……わかった」
ゼラは男から離れ、大通りの方向へと向かう。
殺し屋の男は決死の思いでゼラに叫ぶ。
「お、い!助けてくれ、るんじゃない、のか!」
「あぁ、そうだったな」
ゼラがルーリアに目配せすると、本当にいいのか?という問いを含んだ視線が返って来た。ここで男に逃げられれば、ルーリアの力のことが外部に流出してしまう危険性がある。それ以前に、ゼラの生徒たちを殺害しようとした連中を生かしてもよいのか。
「いいから、解除しろ」
有無を言わせぬ気迫でゼラはルーリアに指示し、とまどいながらもルーリアは言うとおりに男を覆っている氷を霧散させた。
ガタガタと肩を抱きながら震える男。その顔には既に戦意なんてものは感じられず、命が助かったことに対する安堵感で溢れていた。
と──。
「え?」
男は自身の首筋に当てられた銀の刃に、呆然とした声を漏らした。軽く押し当てられると、紙きれのように首の肌が浅く切り裂かれ、つーっと血が流れる。
その鋭い痛みに何を反応するわけでもなく、男は絶望に満ちた表情で、剣を向けるゼラを見上げた。
「……なんでだ?」
「俺は氷は解いてやるとは言ったが、お前を生かしてやるとは言ってない」
「そんな……」
「どのみち殺し屋だろう?今まで何人殺してきたのかは知らないが、自分の番が回って来ただけだ。慈悲はない」
冷酷に告げるゼラの眼は据わっていた。
この男の命など、路肩に転がる石以下の価値でしかない。今から人の命を刈り取ることに、なんの抵抗も躊躇いもないことを、本気で窺わせた。
「じゃあな」
別れを告げたゼラは、温度の感じない視線を向けながら、剣を握った手を大きく振りかざし──刃ではなく、固めた拳で男の顔面を殴りつけた。
ゴンッ!と何とも痛そうな音を響かせながらその場の石畳にめり込んだ男は、ピクピクと痙攣を繰り返し、やがて力の抜けた芋虫のように動かなくなった。
手にしていた月天子を鞘に納刀したゼラに、思わずルーリアは吹き出した。
「てっきり、命を奪うのかと思いましたよ」
「生かしておくつもりはないと言ったが、殺すとも言ってないからな」
「そういうことにしておきます。ところで、この後は?」
「決まってるだろ」
ドクン。
大気が脈動する音が周囲に木霊し、怪しい風が街路樹を揺らす。
「俺はクレハとメルを助けに行く。ルーリア、君はロンドとベールを安全な場所……そうだな、俺の講師室にでも運んでくれ。ベッドとソファに寝かせておくんだ。少し、急ぐ」
「了解しました。二人の怪我は──言うまでもありませんね。お気をつけて」
「あぁ」
ゼラは短く返事を返し、大空に向かって飛び立った。
その後ろ姿が視えなくなるまで見届けたルーリアは、さて、と元の人間の姿に戻り、横たわるロンドとベールの元へと歩み寄る。
二人の傷ついた身体には、小さな紫色の炎が這っており、やがてそれが消えた後には、彼らの負傷はなくなっていた。
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