第9話 問題

ゼラが講師として1-Fに赴任してから二週間が経過した。

その間に今まで教えられてこなかった基礎となる箇所は全て網羅し終え、完璧とはいかないまでも、生徒たちはある程度の知識を身に着けた。

現に再テストをしたところ、平均点も十五点以上上昇しており、この短期間では上出来以上の結果と言えるだろう。学年全体に比べれば、平均点はまだまだ低い方なので、まだ頑張りが必要だ。

点数が上がっているのはゼラが授業を行っているだけでなく、生徒たちの学習意欲が高く、自主的にも勉強に取り組んでいることも大きく影響しているが。


そんな経緯もあり、ゼラは今日からは魔法実技も授業に取り入れることに決めた。



第三魔法実技棟。

学園北西に建設されたこの建物は、主に一年生の魔法実技授業の際に使用されることを主な目的としている。

使用する際には学園長への申請が必要であり、またそうすることで他クラスと使用時間が重なることを防いでいる。

最大使用時間は三時間。

それ以上の使用は厳禁だ。


「さて、座学の基礎は粗方頭に叩き込むことができたはずだし、今日から実技を行っていくぞ」


実技棟内部──精錬の間と呼ばれる灰色一色の部屋の中央で、ゼラは自身に視線を向ける1-Fの生徒たちを見回した。

皆、やや緊張気味に顔が強張っている。予想はしていたが、実技の授業に何かトラウマ的なものがあるようだ。

気休めかもしれないが、ゼラは生徒たちを安心させるようにできるだけ明るい声を作る。


「そんなに緊張しなくていいぞ。どれだけできなくても、怒ったりしないから」

「でも、ゼラ先生」


ゼラの言葉に返したのは、不安そうに眉根を顰めた陽気そうな黒髪の少年──ベールだった。


「俺たち、今までの実技の授業で色々とやらかしまくってるんだよ。それで担当の講師がやめていったこともあるし……」

「ちょっと怖いってことか?」


無言のまま頷きを返すベール。

彼らの表情が堅いのは、そういう理由もあるようだ。やっとまともに教えてくれる先生が来たのに、ここで失望されたくない、なんて考えているのがまるわかりだ。

ベールの不安は周囲へと伝染していき、次々と不安の声が上がっていった。

「私たちの魔法じゃ……」「失望されて、またいなくなっちゃう」「魔法が暴走したら……」

弱気な声は押さえどころが壊れると、延々と垂れ流しになる。


はっきり言って、これは非常によくない状況だ。

魔法は本人の集中力と技量がものをいう。発動の際に集中が揺らぐ──詠唱時によからぬ不安が脳裏を掠めれば、その時点で魔法は制御を失ったことになり、本人の望んだ結果とは異なる効果を発動してしまうのだ。

全く別の魔法になる、魔法式が魔力そのものに変化し暴発、はたまた発動しない。などなど、様々な変化を齎してしまうのだ。

とてもこんな危険な精神状態で魔法は発動させられない。


「前の先生がやめたの、私が炎を暴発させちゃったからだしね……」

「あ、あれは仕方ないですよ。メルを怒らせたあの先生が悪いんですし……」

「でも、今回も暴発しちゃったら……」


見れば、普段は強気なメルも不安に満ちた台詞を吐き、クレハが宥めていた。

よもやここまで魔法を行使することに恐怖心を持っているとは、思いもしなかったゼラだったが、次に聞こえた声に「お」と声を上げた。


「フン、たかだか魔法で何を狼狽えているんだ」


不機嫌そうに皆を一瞥し、馬鹿にするのはロンドだ。

いつものように悪い目つきをより一層細め、嘆息する。


「今までに使っていた通りに魔法を使えばそれでいいだけだろう。別に難しいことじゃないし、怯えるようなことでもない。そんな脆弱な精神を持っているから、今までみたいなことが起きるんだ」


相変わらずの強気発言。

しかし、彼の言っていることはゼラからすれば尤もだ。

魔法を扱うにはある程度の精神力が必要になってくる。柔らかで撃たれ弱い、失敗を恐れるような心では魔法士として成長していくことはできないだろう。

強靭、ともまではいかなくとも、ある程度の自信は必要だ。


ともかく、ゼラは険悪になりつつあるクラスの注意をこちらに引き付けることに。


「ロンドは少し言い過ぎだけど、彼の言っていることは正しくもある」


こいつの肩を持つのか?と言いたげな生徒たち(主にメル)をまぁまぁと落ち着かせ、続ける。


「魔法、だけに限らず、何かを為そうとするにはそれなりの度胸が必要だ。例えば、高い場所から飛び降りようとするには、勇気が必要だろ?それと同じで、魔法を使うためには勇気と度胸、そして絶対に成功するっていう自信が必要だ。でも、今はそれが君らにはない。だから──」


当初思っていた趣旨とは違うが、やることは同じだ。

精錬の間後方に設置された、七つの騎士像。

騎士であるはずが、その手には剣が持たれておらず、盾だけが持たれている。その盾も、中央に白い丸が描かれている、という奇妙なものだった。


「学園長から借りてきた、特殊な騎士像だ」


なんだあれ?と目を丸くする生徒たちに、ゼラは説明する。


「今からのあの騎士像が持つ盾に魔法を撃ってもらう。狙いは勿論、あの中央に描かれた白い丸だ。あの盾は特殊な魔法が付与されていて、魔法が着弾した箇所の色が変わる仕組みになっている。込められた魔力によって色が変化する。理想的な色は赤だ」


しっかりと狙いを定めるコントロール技術、魔法に無駄な魔力を込めない制御技術。どちらも魔法士といて必須のスキルであり、この授業はその二つを同時に鍛えることができる合理的なものなのだ。


「試しに、そうだな……ベール。撃ってみろ」

「うぇ、俺ッ!?」


突然の指名に、ベールは驚きながら嫌そうな顔を作る。

自分に自信がないのがよくわかる。


「そんなに嫌そうな顔をするなよ。大丈夫、失敗してもいいし、お前なら大丈夫だ」

「いや、でも……俺がやるより」


ちらり、とベールは腕を組むロンドを見る。

視線で、「俺なんかより、あいつの方が確実に成功させるだろ」と言っているようだ。

確かに現時点での魔法技術に関しては、ロンドに軍配が上がる。けど、それでも彼らは同じ年齢だ。ゼラとしては、今はまだ未熟な方が伸びしろがあるため、将来的に大成する、と考えている。決してロンドがここまでと言っているわけではないし、彼はこのクラスでもトップクラスの実力を持っているのは事実だ。


「ほら、いいからやってみろ」

「……わかりました」


何を言っても変えてくれそうにないことを察し、ベールは渋々前に出て、遠くに置かれた騎士像に向かって手を伸ばした。


「《残滓よ凍れ・水を贄に・氷雪の牙》」


詠唱の末に魔法式が眼前に展開され、次いで鋭利な氷の矢が射出された。

初級魔法──氷雪矢ひょうせつや

氷系統魔法の中では基本中の基本の魔法だ。シンプルに氷の矢を生み出す魔法だが、魔力量や魔法式の改編などによっては非常に強力になる。

今回は学生らしく、人の腕ほどの長さの矢だったが。


氷の矢は騎士像に向かって飛んでいくが、的としていた盾には着弾せず、やや左に逸れて後方の壁に衝突し、砕け散った。


「や、やっぱり俺じゃだめだよなぁ……」


あからさまに落ち込むベール。

その様子に苦笑したゼラは、一応慰めの言葉をかけた。


「惜しかったな。でも、発動は滑らかで暴発することもなかったし、線は悪くない。あとは集中力と標的との距離感を掴むことが大事だな」


次はがんばれ。と労い、今の光景を見ていた生徒たちに向き直った。


「今お手本を見せてもらった通り、君らには魔法を撃ってもらう。別に緊張しなくていいから、まぁ気楽にやりな」



授業を始めて一時間が経過したが、生徒たちはかなり苦戦している様子だった。

的に当たらないのは当然で、それ以外にも魔力が足りずに途中で魔法が消滅してしまったり、魔法式が完成した時点で集中を欠き式が消滅してしまったりと、ゼラは初めてのテスト結果の時と同様に驚愕してしまった。

これでよく魔法学園に受かったなと思ったが、その時のコンディションも影響する。

まともに実技をやるのはほぼ初めての状態なので、緊張しているのはわかるが……堅くなりすぎだ。もっと肩の力を抜かなくては。


「次、ロンドか」


我がクラス期待の星の番が回ってきたようだ。

やはり傲岸不遜というか、毅然とした態度で騎士像の直線状に立つ。

あれだけの大口を叩いているのだから、絶対に成功させるだろう、と生徒全員が見つめる中、そんなプレッシャーはないも同然のように手を翳す。


「《英明なる風の化身よ・鋭き刃を穿ち斬り裂け》」


以前ゼラに向けても放った魔法だ。

形成された風の刃は、以前よりも鋭さを増し、射出速度もかなり上昇しているように見えた。とてもこの短期間で上達するとは思えない。


「(けど──)」


ゼラは騎士像に目を向ける。

魔法は確かに当たりはしたのだが、的である盾を微かに掠った程度。風刃の大部分は騎士像本体に直撃してしまったようで、深くまで抉り切ってしまっていた。

威力は申し分ない。

けれど、まだまだ狙いが甘い。


「上達してはいるけど、もっと狙った箇所を正確に撃てるようにしないとな」

「……」


悔しそうに歯噛みするロンドは、それでも礼儀として一礼を返して踵を返した。

口調はきついし、敵を作りやすい性格ではあるのだが、根はとてもいい子なのだ。

どこか小さくなった気がする背中から視線を外し、次の生徒を呼ぶ。


「じゃあ、次はメルーナ」

「は、はい……」

「頑張ってください」


どこか弱気そうなメルは、近くにいたクレハに背中を押されて前に出る。

ここ最近、放課後にゼラと居残り授業をすることが多い彼女たちは、それなりに優秀だ。二人の性格も大体理解しているし、メルがここまで怖気づいているのはちょっと意外だった。


「いつもの強気はどうしたんだ?」

「う、うるさいですね……別に、怖くなんてないです」

「いや、怖いのかなんて聞いてないんだが……」

「うっ」


墓穴を掘ったようだ。

魔法を使うのが怖い……何をトラウマに抱えているのかはわからないが、とにかくやらないことには前に進めない。前回の魔法講師がやめた理由が彼女の魔法の暴発というのは知っているけれど、彼は評判も悪かったようだし、そこまで悲観することでもないはず。彼女の強気な性格を考えればなおさらに。

なら、別の理由があるのだろう。


「自信を持て。普段のように、平常心で魔法を放つんだ」

「わ、わかってます」


一度大きく呼吸をし、掌を地面へと向けた。


「大丈夫よ。あの時とは違う、あの時とは……」


ブツブツと何かを呟き、メルは閉じた目をゆっくりと開いて詠唱する。その頬には、一筋の汗がきらりと光ってみえた。


「《深炎なる炎の祖よ・燃え盛る煉獄を蛇に・罪科を焼き尽くせ》」


その詠唱を聞いたゼラは、「ん?」と首を傾げた。


「今の詠唱は……」


聞き覚えのある詠唱句。

展開された魔法式も、初級のそれではなく、もう一段上の魔法だ。

やがてメルの足元には炎が渦巻き、それはやがて一体の蛇を模っていく。


見たことのない魔法を前に、生徒たちが驚嘆の声を上げる中、クレハだけは何故か、心配そうに胸の前で手を合わせていた。


「大丈夫よ。絶対に、成功する。あのころとは違う、あの時の私とは違う。もう、あんな冷たい目で──っ!」


メルが極限まで集中し、自信を鼓舞するように呟いた──次の瞬間だった。


「あ──」


炎の大蛇が突如として大きくとぐろを巻き、騎士像を狙うことなく暴れ始めたのは。


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