第10話 講師の剣技
室内はすぐにパニックに陥った。
メルの制御を離れて暴れ狂い暴走する炎蛇から逃げるように離れる生徒たち。
何人かはその炎を消し去ろうと水系統の魔法を放つ者もいたのだが、圧倒的な熱量により即座に蒸発させられてしまった。生半可な初級魔法では意味がないのだ。
しかし、そんな彼らよりも余程大きく慌て焦っているのは、魔法を発動したメルだった。
「止まってッ!止まってよ、バカッ!」
既に崩壊している魔法式に必死に魔力を込め、何とか蛇を止めようと試行錯誤を繰り返す。しかし、どうにもならない。
その事実が余計に焦りを生み、更に心の余裕をなくし、制御不能な状態を促進させてしまう。
魔法の
「メルッ!」
メルの名を叫び、炎の渦中にいる彼女の元へと駆け出そうとするクレハ。
親友であるメルを心配するのは当然だとは思うが──猪突猛進するだけでは何も解決しない。
咄嗟にクレハの腕をとり、ゼラは静止させる。
「先生っ!」
「待つんだクレハ。君が向かったところで何も変わらない」
「でも、傍にいてあげないとッ!あの魔法は、あの魔法は──ッ!!」
焦りに表情を曇らせるクレハ。
彼女がここまでマイナスの表情を見せることは珍しく、それほどまでに逼迫した状況ということだ。
彼女を落ち着かせるように胸元に抱き寄せ、頭をなでる。
「落ち着け。大丈夫だ、俺が何とかしてやる」
「先生……」
「とにかく、君は離れた場所に──チッ」
こちらに口腔を開いて向かってきた炎蛇を躱し、生徒たちが集まっている場所にクレハを避難させる。
不安そうに事を見守る生徒たちに、ゼラはここで待機するように伝える。
「絶対にここから動くなよ。使えるやつがいるなら、耐火防御結界を張るんだ。初級魔法だし、誰かできるやつがいるだろ」
「それは僕が張ります」
手を挙げたのはロンド。
流石は期待の星、と心中でガッツポーズをした。
「頼んだ。俺はメルーナを止めてくるから、それまで頼む。なに、すぐに終わるから安心しな」
「先生っ!」
メルの元に向かおうとした時、クレハが不意に声をかけた。
「メルを……助けてください」
「あたりまえだろ。生徒を危険な目に合わせた俺の責任だし、君らもあいつを責めないでくれ」
言い残し、ゼラは腰元の一振り──銀の月天子を抜刀。
三日月の描かれた刀身を見た生徒たちは、普段とは違うゼラの風貌、雰囲気に息を呑む。
「(使っちまうが……生徒の命には代えられないし、仕方ないな。怒られるだろうけど)」
脳裏にとある少女の顔を浮かべ、苦笑する。
その間にも、燃え盛る炎蛇は標的を見つけたとばかりにゼラへと迫ってきた。
が、ゼラはそれを躱すのではなく、あろうことか蛇の口腔に向かって駆け出した。
どよめく生徒たち。
「え?」
クレハが周囲とは違う種類の声を上げるがゼラはそれを気に留めることもなく、月天子の刃を下段に構え──。
「月天子──
眼で捉えることも困難な速度で、上段に向けて振り抜いた。
今にもゼラを飲み込もうとしていた炎の大蛇は真っ二つに両断され、数瞬後には魔力の残滓として虚空に消えゆく。
以前にも披露した、魔法を斬るという芸当。
原理としては非常に簡単なことなのだが、それを知らない生徒たちからすれば、ゼラは巨大な炎を何ともないように斬り伏せた剣の達人に見えたことだろう。
また、あの熱量を誇る炎に恐れることなく立ち向かっていく姿。
例え魔法が使えなくとも、あの人には絶対に勝てない。実力も、精神力も。
生徒たちはそれを痛感しているように静まり返り、付着した血を払うかのように一度大きく剣を振るうゼラを見つめ続けた。
月天子に魔法を斬り裂かれたことにより、術者であったメルは糸が切れたようにバタリとその場に倒れた。
リンと鞘に納刀したゼラはすぐにメルのもとへと駆け寄り、横抱きに彼女を抱えた。
「ちょっと医務室にまで届けて来るから、君らは教室に戻って自習してな」
そう言い残し、ゼラは医務室へと足早に向かうのだった。
◇
結局この日、メルが途中から授業に戻ることはなかった。
戻りづらかったとか、後ろめたさがあるとか、そういうことではない。単純に、彼女が授業までに目を覚まさなかったのだ。
医務室の教諭が何度か呼びかけたものの、反応はない。
身体のメンテナンスが長引いているように、安らかな寝息を立てるだけだった。
「ま、やったのは俺なんだけどさ」
医務室への道すがら、ゼラは隣を歩くルーリアに授業で起きたことを説明していた。彼女と一緒にいるのはただ単純に、廊下でばったりと遭遇(明らかに待ち伏せていたような気はしたが)からだ。
今は放課後。
生徒たちが帰宅を始め、校舎内の人が少なくなっている時間帯だ。
ゼラの話を聞いたルーリアは、頭痛を堪えるようにこめかみに手を当てた。
「その、ゼラさんが魔法の暴走を止めようとしていたのはわかりますが……どうしてそこで、月天子を使ったのでしょうか?」
「何でって、魔法の
「炎だけなら窈窕で良かったと思いますが……」
呆れるように溜息を吐くルーリアに、ゼラは少々ムッとしながら反論する。
「窈窕じゃあ、ただ暴走した炎の魔法を消滅させるだけしかできない。あの時に必要だったのは、過剰に魔力を放出したメル自身の意識を
「それは、そうかもしれませんけど……生徒たちには勘づかれませんでしたか?」
最後の部分は小声で言うルーリア。
あまり人に聞かれてはならない箇所だ。その心遣いに感謝しながら、ゼラは頷きを返す。
「勘づかれてないよ。俺が事前に魔法を剣で斬るのは見せていたから、特に疑う様子もなかった」
「それならいいですけど」
一応納得してくれたらしいルーリアにホッとしながら、ゼラは自身の講師室の扉を開ける。
と同時に、そこにいた先客に目を丸くした。
「クレハ?」
どうしてここに?と問うと、先客であったクレハはバッと顔を上げた。
「ゼラ先生、あの、ごめんなさい。勝手に入って」
「いや、それは別に構わないんだけど……どうした?深刻そうな顔してるぞ」
クレハは視線を下に落とす。
そういえば、今日の実技の授業の後からずっと浮かない顔をしていた。思い当たる節は……当然メルのことしかない。
「メルーナが心配、なんだよな?」
こくりと頷くクレハ。
親友が魔法を暴発させ、あまつさえ中々目を覚まさないのだから、それは仕方ない。誰だって、自分の大切な人が危険な目に合えば心配するものだ。
ゼラの右側に立っていたルーリアが一先ず、と扉を閉めながら促す。
「何か話があるようですし、お茶でも淹れましょうか?」
「あぁ、たの──お願いします」
流石に生徒の前でいつものように話すのはマズイと思い、咄嗟に敬語を使う。
ルーリアはそのことにクスッと笑い、「わかりました」と言ってお湯を沸かしに流しへ向かった。
やはり、普段とは違う慣れない呼び方は違和感があるようだ。
「あの、お二人は仲がよかったんですか?」
対面のソファに腰かけたクレハは不思議そうにゼラへ問う。
まだ講師として赴任して二週間ほどのゼラが、ルーリアと共にいるのが不思議だったようだ。
あー、と脳内でごまかす言い訳を考え、ゼラは首肯した。
「一週間くらい前に、仲良くなったんだよ。ほら、彼女はAクラスの担任だし、何か参考になる部分があるんじゃないかって、話に行って」
「確かに、評判凄いですからね、ルーリア先生。授業でAクラスの生徒を全員片手間に倒したって話は有名です」
「それは寧ろ、悪評じゃないか?」
生徒に手を上げた講師、なんて不名誉な拍が付きそうだ。
「でも、それからAクラスの生徒も凄く勉強熱心になって、成績もクラスの評判も上がってるんですよ」
「(そりゃ、心叩き折ったら変に大きな態度は取れないわな……)」
間近に格上で、自分たちが絶対に勝てない相手いるのだから、委縮して態度を改めるのも納得だ。教育方法として正しいかと言われたら、よくわからないが。
「それで、話は、メルーナのこと、だよな?」
「……はい」
俯くクレハの前に、紅茶の入ったティーカップが置かれる。それはゼラの前にも。
視線でありがとうと伝えると、ルーリアは微笑んでゼラの隣に座った。
と、クレハがゆっくりと口を開く。
「メルが魔法を暴走させたことなんですけど……私、前からずっと心配だったんです。炎系統の魔法にトラウマがあるのに、あの子、そればかり身に着けようとするので」
「炎系統の魔法にトラウマがあるのか」
何かしら心に抱えているとは思っていたが、魔法そのものに原因があったようだ。
「ってことはあれか。炎系統が怖いのに炎系統ばかり使うから、失敗し、暴発する可能性が高いってことか」
「心にそういったことを抱え込んだまま魔法を使えば、まともに発動する可能性は低いですね」
「でも、彼女はその系統ばかりに拘っている……それは、どうしてなのか」
別に炎系統だけに拘る必要はないのだ。他にも魔法の系統はあるし、自分の使いやすい魔法を扱えれば、それでいい。
魔法士の中には、自分に適した一つの系統だけを極めて賢者に上り詰めたものもいるのだ。寧ろ、色々な系統に手を伸ばすのではなく、一つの系統に絞り、研ぎ澄ませたほうが有能な魔法士になる可能性もある。彼女の場合、炎を諦め、その他を伸ばした方が賢い選択になる。
しかし、メルはそれをしない。
一体、どうして……。
「メルは、ある目的のために、炎系統を極めようとしているんです」
「目的?」
「はい」
「それは、一体どんな目的なのですか?」
ルーリアが問うと、一拍置き、クレハは言った。
「メルの目的は……世界を飛び回る不死の霊獣──
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