同居人の死

家に帰ると、同居人の酒井が、突発性ハルトマン症候群で倒れていた。「おんどりゃああああああああ!やったるぞ、おらああああ!」。絶叫しながら、床を高速で転げ回っている。体内で暴れ回るウイルスのせいで、凄まじい痛みを感じているらしい。


酒井は以前にも、マレーシア旅行の際に、上海発熱性ジストニア睡眠病に侵され、生死の境をさまよったことがある。Wikipediaで調べた情報を参考に猛烈な勢いで白い羽毛を嘔吐する酒井を逆立ちさせ、腹を氷で冷やすのだが、まるで効果はないようだ。


結局、酒井は3時間の悶絶の末、苦悶と絶望の表情を顔に貼り付けたまま、息を引き取った。


「もう……のび太さんのエッチ……」

やけに生々しく、色っぽい口調のしずかちゃんのモノマネ。28年の生涯を駆け抜けた酒井の最期の一言だった。


死ぬ間際、予定の時刻から1時間遅れてやってきた医者が、酒井を見るなり、「ああ、この方は、もう終わりですね」とつまらなそうに言っていたのが、印象的だった。


やがて、ヤマト運輸の皆さんが、身寄りのない酒井の死体を引き取りにやってきた。

体重120Kgを超える酒井の巨体は、死体運搬業者のみなさんを大いに苦しめた。

特に太ももの巨大さには難儀したようで、部屋から運び出す際に、ドアのところで何度もつっかえていた。


ゾロアスター教徒である酒井の遺言に従い、遺体は中央アジア、アルタイ・ハン高原にて、鳥葬されることになるだろう。突発性ハルトマン症候群に感染性は無く、鳥類にも無害だそうだが、奴の遺体を食う鳥のことを思うと同情を禁じ得ない。


酒井の死体が部屋から、運び去られたのち、俺は一人妙に広くなった部屋で1人、呆然とたたずむ。


「おい、ピザポテト、買ってこいよ」

いつも俺を罵りながらこき使っていた酒井の声はもうない。

唐突に俺は、酒井がこの世から消えてしまったことを実感する。


力士を思わせる体格と、無尽蔵の食欲で俺を苦しめた同居人の酒井。28年間、それまで一度も恋をしたことのなかった俺が唯一本気で好きになった女性はもうこの世には、いないのだ。


あの酒井のことだ、きっと前みたいに、ひょっこり地獄の底から戻ってくるに違いない。取り返しのつかない現実から逃げるように俺は、心の中でそう何度も何度も繰り返すのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る