表現の不自由展 〜その後〜
ニュースで随分と話題になっていたので、表現の不自由展とやらに行ってみることにした。展示会場のホールがある、「東京国際フロンティア グローバルメディア館 S2棟」は、バブルの時代に巨額の国家予算を投じて作られたそうだ。冷暖房費だけで、年間20億かかっていると噂されている。内装は豪華なもので、吹き抜けとなったロビーはガラス張りの壁に囲まれており、その頂点である天井付近には巨大な5個のシャンデリアと鳩時計型の機械仕掛けのオブジェクトが設置されている。1階の奥には、なぜか大浴場まで併設されている。「宇宙一の大浴場」とどう考えても誇大広告な紹介文句である。金も余ってるし、風呂をつければインパクトあるし受けるだろうと安易に考えた、設計者の醜悪なセンスが伺える代物だ。
会場となる5階へは、階段で登らねばならなかった。強烈な暑さで、1台しかないエレベーターが故障していたからだ。途中の3階ロビーには、金メッキのタピオカオブジェが大量に転がっていた。昨年のブームの際に、大量に生産され、今ではフリマアプリで格安で叩き売られているのが、ばら撒かれているのだろう。
『表現の不自由展〜その後〜』
展覧会のタイトルを冠した、高校の文化祭のゲートを思わせる入り口をくぐり、受付でウェルカムドリンク(タピオカ入りの味噌汁)を貰ってから、観覧を始める。
『宇宙の真理へと至る、筋肉の真髄。禁断の奥義、その末路』
最初に私を出迎えてくれた作品は、ポージングするボディビルダーをかたどった、メタリックな等身大の彫像であった。生々しい表現が物議を醸し、国外追放に追いやられた某国芸術家の渾身の一作ということらしい。鍛え上げられた男の肉体の筋肉のシワや流れる汗までもがリアルに再現されているのである。近くでみていると、たくましい男のむせかえるような体臭が感じられるように、錯覚してしまう。高校時代、男子校に通っていた私が、夏場の体育の後に凄まじい熱気の中で嗅いだ、あの若い男特有の強烈な汗の匂いである。
『儚き生命への執着と終局の時』
2つ目の作品は、首を絞められ、今まさに最期の時を迎えようとしている少女の生首の像であった。像の周囲は、生命の活力の象徴である、緑色のエナジードリンクの缶で彩られている。缶の側面には、エナジードリンク特有の妙にハイテンションなポエムが書かれている。こんな感じだ。
熱く燃えよ!我が魂!
我が社の開発チームは、最高の情熱を持って、このフレーバーを開発した!
究極の生命力の奔流を体感せよ!
GO TO HEAVEN!
この彫像の作者である、リチャード・マクローリン氏は、昨年の8月、太陽の眩しさに耐えられないと遺書に書き残し、テキーラに大量の睡眠薬を混入したものを飲み、この世を去ったそうだ。
『ザ・ダークサイド・オブザムーン〜太陽に恋がれて〜』
3つ目の作品は、ボウリングの玉くらいの大きさの、黒光りする球体であった。玉の内側からは、雷が遠くであるような音が聞こえてくる。占い師の水晶玉を思わせる、幻想的な雰囲気に心惹かれるところはあったが、なぜかじっくり観察する気は起こらず、すぐに次の展示へと足を進めた。やはり、タピオカオブジェクトを再利用した芸術作品に興味は湧かない。
『すべての生命の悲しみと孤独との源泉』
最後の展示は、黒い布の敷かれたテーブルの上に撒かれた、灰とも砂とも言い難い物体であった。白く、中に石英のような物質を含むのか、時折、キラキラと輝くものが見える。「かつて神と人とが共存した時代、不死の生命を与えられた巨人族の巫女の成れの果ててである」作品の置かれたテーブルの脇に散らばっている無数の紙には、そういった文言が、書かれていた。
これ以上、もう見るものもない。
「ああ、芸術なんて、クソ食らえだぜ!」
私は、大きなあくびをすると、展覧会場を後にした。どんなに酷いと分かっていても、この手の現代アート展覧会を見に行くのはなぜかやめられない。
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