第9話「蹂躙」

「初めての外の世界は、楽しかったか」

 国王は椅子に座り、ディルに向かって憎しみに近い嫌悪感と一緒に、吸っていた葉巻の煙を吐き出した。ディルは、国王の前で家臣二人に鎖で体を縛り付けられていた。その様子を、国王の隣でカルディスがにやつきながら眺めていた。

 国王は立ち上がり、ディルの前に静かに歩み寄った。そして、再び葉巻の煙をディルの目の前で吐き出し、その顔を力任せに殴った。ディルは思い切り咳込み、その口からは血が流れた。

「貴様、自分のしたことの意味が分かっているのか。自分が弱者であることを知らしめて、我が国を滅ぼすつもりだったのか」

 国王は、ディルの首筋に葉巻を押し付けた。ジュッという嫌な音と、少し焦げた臭いが部屋に立ちこめた。ディルが国王を睨みつけると、国王はその胸ぐらをつかみ、ディルの顔を何度も殴り、腹を思い切り蹴った。ディルは首をうな垂れ、荒い息遣いで、ぐっと奥歯を噛み締めていた。

「貴様が弱者として生まれてきたことだけですでに怒りの域を超えているが、そのうえ勝手に城を抜け出し、挙句の果てにはその態度ときた!」

 国王は再び椅子に座り、頭を抱え込んだ。

「本当ならば、今すぐにでも殺してやりたいが、祖先の神の血が貴様にも流れている以上、殺すわけにはいかんのだ。一体どこでどう間違えて弱者の血が混ざり込んだというのだ!」

 国王は歯ぎしりをし、握り拳で椅子の肘掛けをドンドンと叩いた。

「当初は、貴様を産んだ女の家系に弱者の血が混ざっていたのであろうと、あの女の一族を王家侮辱の罪で奪眼の刑に処してやった。だが、結局何度調べても血は混ざっていなかった。にもかかわらず、なぜ貴様は生まれた。許せん…この崇高なるエルマドワ一族の伝統と威厳を穢した、貴様の存在が許せん!」

「黙れ」

 国王を睨みつけながら、ディルは静かに言い放った。国王は、ものすごい剣幕でディルを凝視した。

「許せないのは貴様だ。なぜ他国との戦争をやめない。なぜ新王軍との交渉に乗りださない。貴様らがくだらない戦争をしている間に、毒の砂漠はもうそこまで迫ってきている。こんなことをしている場合ではない。貴様にはそれが分からないのか」

 国王の顔は真っ赤になり、その体は怒りで震えた。国王は、ディルに無言でその掌を向けた。そこから放たれた赤黒い光は、ディルの体を貫通した。とたんにディルは震え始め、言い表しようのない全身の痛みに体をよじり、呼吸を荒げた。

「ディアロス。今度そんな口を利いたら、その程度じゃすまないぞ。二度と口が利けないようにしてやる」

 国王は不敵な笑みを浮かべた。

「城を抜け出し、私に無礼な口を利いた罰だ。この男を鞭で百回打て。手加減はするな。そうしたらその後は、そうだな…濃い塩水に浸けてやるのはどうだ。そうしたら、最上階の牢屋に閉じ込めておけ。また抜け出すことのないよう、何重にも鍵をかけろ。もし途中で反抗したら、そのときは容赦なく口をそぎ落とせ。これは命令だ、いいな」

「承知致しました」

 ディルを縛り付けている家臣は、そろって国王に敬礼した。国王はディルを見て、満足げに笑った。

「王に反抗するとどうなるか、身をもって知るがいい」

 家臣は動けないディルを引きずるようにして部屋から出て行った。


「それにしても、本当に困った男ですね」

 カルディスがため息をつきながら首を振った。

「調べてみると、どうやらあいつの乳母だった女が抜け道を教えたそうだ。あの女はあいつに惚れていたからな、殺して正解だった。今度閉じ込めておく牢屋に抜け道はない。あいつは死ぬまであそこに入れておく」

「それなら安心ですね。それより父上、実はあの男を見つけたのは偶然で、イムロク軍の戦場跡に行っていたのは、クロムニクの尻尾を掴むためだったのですよ」

「ほう。それで、尻尾は掴めたのか」

 カルディスはにんまりと笑みを浮かべた。

「ええ、奴はイムロク軍に指示を下していました。そして、イムロク軍は新王軍と手を組んでいます。あともう少しだけお待ちください。間もなくここに、奴の首根っこをひっつかんで連れて参ります」


 石造りの牢屋の中で唯一の、壁をくりぬいただけの小さな窓から星明りが差し込んでいた。人が一人横になれるだけの空間の中に、ディルは横たわっていた。何重にも鍵をかけられた重い扉の向こうで、見張りが話している声が微かに聞こえてきた。

 体中の皮膚は裂け、いまだに体のいたるところから血が滴り落ちていた。視界がどんどんかすんでいく中で、呼吸をしているという事実だけで、ディルは自分がまだ生きていることを確認していた。

 こうなることは分かっていた…今まで、死を通り越すほどの痛みも経験してきた。だから、耐えられると思っていたが、やっぱりだめだった…ディルは心なく笑った。

 ディルの脳裏に、最後に見た凜の顔が浮かんだ。それと同時に、抱き締めたときに感じた凛の体の温もりを感じた。あれから、無事に旅を続けているだろうか、戦に巻き込まれてはいないだろうか、もう二度と会えないのだろうか…凜のことを考えると、この体中の激痛も忘れてしまうほどディルは苦しくなった。リンがどこかで生きていてさえくれれば、それ以上のことは望まない。でも、もしたった一つ望みを叶えられるのであれば…もう一度だけ、リンに会いたい…。

 ふとディルは目を開け、窓からわずかに見える星空を見上げた。それは、真っ暗な牢屋の中からだと一層輝きを増して見えた。その空は、凛が見上げた空と同じように、滲んで星がよく見えなかった。

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